ぼくの先輩は人妻である

「松尾君、おはよう」

「古賀先輩、おはようございます。昨日メールをいただいた件ですが……」

 松尾大地の朝は隣の席に就業開始十分前にやってくる古賀恵先輩に笑顔で挨拶をするところから始まる。先輩の笑顔がかわいくて朝から気分が上がる。その笑顔のために先輩より三十分も早く出社してスタンバイしているのだ。そしてそんなぼくの先輩は人妻である。

 ぼくの先輩は人妻である。なんて言うとすごく色気を感じる。現に齢三十を超えた先輩の色気はすごい。すごく、すごい。それ以上言うと緊張で訳の分からないことを口走りそうだし、昼間からするような内容ではなくなってしまうのでここまでにしておこう。

 ぼくと先輩の関りはぼくが新入社員の頃からなのでかれこれ6年くらい。途中関わらない時期もあったけど、ここ2年ほどは一緒に仕事をしている。一緒に客先に打ち合わせに行き、帰りには一緒に昼ご飯を食べて、一緒に帰社して仕事をする。もちろん仕事中はちゃんと仕事の話をするし変なことは(基本的には)考えない。真面目にマジメに仕事をしている。正直、そう振舞わないとしんどいところはある。先輩が足を組む時のスカートの裾とか、パソコンを見つめるときの目じりとか、ノートに何かを書き込むときの襟元とか、その辺りを視界に入れないように気をつけている。先輩は人妻なのだ。他所に男がいて、なんなら子供もいる。とはいえぼくはそのあたりのことを詳しく知らない。聞きたくないから聞いていないし、先輩も家庭のことを話すことはない。そもそも先輩は指輪すらしていないのだ。でもぼくは先輩が結婚していることを知っている。

 数年前の休日に見てしまったのだ。先輩が小さい女の子を肩車した男性と並んで歩いているのを。女の子はめちゃくちゃ先輩そっくりだった。コピーでは? ってくらい似ていた。男性の顔はそこまで見えなかったが(目が潤んで)背の高いさっぱりした感じの男だった。ぼくも背は低くはないが、あんな爽やかな笑顔は浮かべられなさそうだ。その日は用事があって外出したはずなのに何もできないままとんぼ返りをして枕を濡らすことしかできなかった。その後しばらく先輩の顔を直視するのがつらかった。

 先輩のことを好きなのかどうかで言えばたぶん好きなのだと思う。気付くのが遅くて告白すらできない立場になってしまったけれど、それでも好きでいるだけなら罪ではない(たぶん)。そういうわけでぼくは叶いもしない想いをもやもやと燻ぶらせている。

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