第五話
それからしばらくして、コーディリアとダレルの文通が始まった。初めは栞のお礼を言うために手紙をしたためたのだが、彼女との会話が楽しくてつい手紙のやり取りをするようになったのだ。
手紙とともにコーディリアから贈り物が届けられる。使い勝手のいいペンや彼女の愛読書だという本。コーディリアの趣味と自分の趣味はかなり近いらしく、コーディリアからの贈り物はどれも気に入った。いや、たとえダレルの趣味ではなくても、コーディリアからもらったという事実だけで十分だったのかもしれない。
誰にも見つからないようにダレルもコーディリアへ心を込めた品々を贈り、コーディリアからの贈り物を大切にしまい込む。一国の王子の部屋とは思えないほど殺風景な、最低限の家具しかなかった部屋には温かみのある贈り物が隠されるようになった。
このままではいけないと頭ではわかっている。これ以上コーディリアとの付き合いが深まれば、隠し通す事は難しくなるだろう。
それに、自分には婚約者がいる。たとえ婚約者の少女の心は別の男にあり、自分もまた彼女に恋心など抱いていないとしても、今の状況はあまりに外聞が悪い。自分がコーディリアと親しくしている事を知られれば、ウォーカー伯爵にも迷惑がかかるだろう。
だからダレルは泣く泣く彼女との交流を諦めた。最後の手紙にしたためたのは、自分には婚約者がいる事、それなのにコーディリアに対して行っていた不誠実な振る舞いに対しての謝罪、そしてもう自分には関わらないでほしいという淡白な一文だけだ。その本当の理由は書かず、婚約者の存在を仄めかすだけに留めた。自分が嫌われている事を、直接彼女に教えたくなかったからだ。
どうせ少し耳を澄ませていれば、ダレルの悪評などすぐに聴こえてくるだろう。だが、彼女自身が何かを言ってこない限りは言いたくない。それがダレルに残された最後の矜持だった。
「……え?」
ダレルから届いた手紙を、コーディリアは呆然と見つめていた。内容が頭に入ってこない。もう関わらないでほしいだなどと、何かの間違いではないだろうか。
「どうかなさいましたか?」
部屋まで手紙を持ってきてくれた、ウォーカー伯爵夫人のフィオナが怪訝そうに問いかける。ようやく我に返り、コーディリアは引きつった笑みを浮かべた。
「フィオナ様……。フィオナ様は、ダレル王子殿下をご存知ですよね?」
「殿下が何か?」
「その、殿下には……婚約者がいらっしゃるのですか?」
「ああ……フォーサイス公爵家令嬢のカミラ様ですね」
フィオナは少し苦い顔をしながらも頷いた。その瞬間、コーディリアは軽いめまいに襲われる。カミラ。それは確か、ダレルと出逢うきっかけを間接的に作った意地悪な令嬢の名前ではなかっただろうか。
「婚約者とはいえ、お二人の仲はよろしいとは言えませんけれど。ダレル殿下よりオーガスト殿下のほうがカミラ様とお似合いだなんて、口さがない事を言っている方々もいるぐらいですわ」
「……どうしてそのような?」
しかし絶望に襲われていたのもつかの間、フィオナの雰囲気が変わったような気がしてコーディリアはまじまじと彼女を見つめる。何か言わなければ諦めないと悟ったのだろう、フィオナはやれやれとため息をついた。
「コーディリア様のような方に聞かせるお話ではないのですが、ダレル殿下ご自身の評判があまり……。今の言葉はどうか忘れてくださいませ」
それ以上の言葉は、国の威信にかかわるからだろう。フィオナは複雑そうな表情で立ち去った。どうやらこれ以上フィオナから話を聞く事は叶わないようだ。
ダレルに婚約者がいるのなら、自分がしゃしゃり出るわけにはいかない。今までの自分達のやり取りは、婚約者がいる男とかわすものではなかった。ダレルはコーディリアの事を友人としか思っていないだろうが、コーディリアはそうではないのだ。そしてそれは、二人のやり取りが明るみになった時の第三者の反応も同様だろう。
ダレルもそれについては理解しているのか、その点について謝罪している。しかしフィオナの口ぶりでは、ダレルもその婚約者もあまり幸せとは言えないようだ。それにカミラは、ダレルではなくオーガストといい雰囲気だった。これはもしかしたら、一縷の望みがあるのではないだろうか。
ダレルについて、あまりにも知らなすぎる事に気づいた。今まではダレル自身から語られる事だけで十分だったし、本人のあずかり知らないところで詮索するのはなんだか申し訳ないからだ。だが、今は何でもいいからダレルについて知りたかった。
*
「……?」
その日の政務を終えて自室に帰ってきたダレルが初めに感じたのは違和感だった。小物の配置が変わっている気がする。懐に忍ばせた短剣に自然と手が伸びた。置いた覚えのない場所に何かが置かれていると、どうしても警戒してしまう。護衛騎士とは名ばかりの、部屋の近くで立つ置物など信用できない。嫌われ者の王子など、彼らにとって守るに値しないのだから。
ダレルはあまり部屋に他人をいれたがらない。たとえ使用人であってもだ。むしろ使用人など彼が最も警戒している人種だった。幼少期のトラウマから、大抵の身の回りの事は自分一人でやるぐらいだ。王子としてそれはどうなのかと多方面から苦言を呈される事はあるが、死の恐怖を思えばやめる気にはならなかった。刺客が来るならさっさと殺せ、死んで楽になるならそれでいいと自嘲気味に笑うのはしょせん強がりで、本当に死にたいと思っているわけではないのだ。
ゆっくりと枕に手を伸ばして勢いよく放り投げる。白いシーツの上に拳大の黒い異物があった。蜘蛛だ。赤い斑点の浮き出た黒い塊はもぞもぞと蠢いている。恐らく毒蜘蛛の類だろう、牙から滴る粘液は不気味に輝いていた。
ダレルは深いため息をついて短剣を振りかざす。蜘蛛の体液で汚れたシーツを嫌そうに見下ろし、慎重にシーツを剥ぎ取った。今日はここで寝る事は諦めたほうがいいだろう。
眠気はどこかに行ってしまった。だが、明日も政務はこなさなければならない。徹夜をする気にはならなかった。かといってこの部屋で寝るなどもってのほかだ。そういえば、庭園には東屋があった。庭園まで散歩がてら歩いていれば眠気も戻ってくるかもしれない。最低限の寝具を持っていけばあそこでも眠れるはずだ。少し硬いが本は枕になるし、マントだって布団にならない事もない。もし寝れなくても本を読んでいるうちに眠くなるだろう。東屋の座椅子で寝ると起きた時につらそうだが、一晩ぐらいならなんとかなりそうだ。
騎士達に適当な事を言って部屋を抜け出して城の外に出る。自分の部屋で眠るより、庭園の東屋で眠ったほうが安全だと思えるのが惨めだった。
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