第六話
「ダレル様?」
カンテラの明かりを頼りに薄暗い東屋で本を読んでいると、外から声がかかった。思わず身体を強張らせるが、外にいたのがコーディリアだとわかると緊張はとけた。だが、一方的に彼女を拒絶するような手紙を送った手前、二人きりで面と向かって話すのは何とも気まずい。
「コーディリア……」
ばつが悪い思いをしながら、手紙での非礼を詫びる。コーディリアは少し寂しそうに笑いながら気にしていないと言った。そんな彼女の姿に胸が痛む。
自分からもう関わるなと言った以上、自分にコーディリアと話す権利はない。しかしコーディリアはどうあっても「気にしていない」という自身の言葉に従う気なのか、椅子に座ってもいいか尋ねてきた。貴方さえいいならと、ダレルは戸惑いがちにコーディリアの手を引く。
「ダレル様はどうしてこちらに?」
「……眠れなかったんです。眠れるまで読書をしていようかと思ったのですが、たまには夜の風に当たりながら読むのも悪くないかと思いまして。貴方は?」
我ながら苦しい言い訳だ。それでもコーディリアはそれ以上追及せず、ダレルの隣に座る。
「あるご夫人のサロンに招かれたのですが、少し長居しすぎてしまって。そろそろ帰ろうと思って外に出たら、東屋に明かりが見えたのでつい……」
コーディリアは恥ずかしそうに笑う。どうやらここ数ヶ月で庭園の道は把握したらしい。城内の道も把握しただろうし、もう自分が彼女を案内する事はないだろう。それに一抹の寂しさを覚えるが、それと同時にコーディリアを突き放したのはお前だろうともう一人の自分が冷笑を浮かべていた。
「ねえ、ダレル様。失礼を承知でお聞かせください」
そうコーディリアが切り出したのは、しばらく無言の時間が続いていた時だ。沈黙を破ったコーディリアは真剣な眼差しをダレルに向けた。
「あなたにとってこの国は、あまり居心地がいい場所ではないのでは?」
「……やはりご存知でしたか」
そう言われる心当たりなど一つしかない。案の定コーディリアは小さく頷いた。それならもう隠す必要もないだろう。ダレルは疲れたように笑う。矜持はあっさり砕け散った。
「……私など、死んだほうがいいのでしょうね」
城中のみなが思っている。第一王子ダレル・グレーツェニウスさえいなければ、と。
もう疲れてしまった。自我を殺してへらへらと笑いながら生きる事にも、傷ついていないと自分すら騙して振る舞う事も。
死にたくない。こんなところで終わりたくない。だが、誰もがそれを望んでいる。死ねばいいのにと目で訴える者達を笑顔で許容できるほど、ダレルは強くなかった。
「……わたくしは、あなたに生きていただきたく存じます」
思わず呟いてしまったダレルに、コーディリアは震える声で返事をした。自信なさげに胸の前で手を組んでいるが、緑の瞳は正面からダレルを見据えている。一瞬虚を突かれたダレルだが、すぐに苦笑を浮かべて場をとりなそうとした。
「コーディリア、私は、」
「わ、わたくしは! ダレル様を邪魔だと感じた事は一度もございません!」
目をぎゅっと閉じ、赤い顔のコーディリアは立ち上がって叫ぶ。ぽかんとしたダレルをよそに、コーディリアは言葉を続けた。
「この国の人々があなたを厭うのならば、わたくしの国にまいりましょう! あなたに不自由はさせませんし、誰もあなたをないがしろになどいたしません! 軽んじる事などありません! きっとあなたを歓迎してくださいます!」
それも悪くないと思う自分がいた。国を捨て、王子の名を捨て、他国で人生をやり直すのだ。第一王子の責任など、取る事すら馬鹿らしく思えてくる。たとえ責任を取ったところで、どうせ足蹴にされて唾を吐きかけられるだけなのだから。
それならいっそのこと、すべてから逃げ出してしまったほうがいい。何より、ダレルさえいなければすべてが丸く収まるのだ。カミラはオーガストと婚約する事ができるし、オーガストも次の王になれる。それなら父王も継母も、貴族達も異母弟も、誰も文句は言わないだろう。表面上は恨み言を吐くだろうが、内心では感謝するに決まっている。
「……お気持ちは嬉しいですが、どうしてそこまでしていただけるのですか?」
もうどうでもよかった。場をとりなす事もやめ、ダレルは訝しみつつ尋ねる。コーディリアは一瞬言葉に詰まり、顔をそらしながらぼそぼそと呟いた。
「――――です」
「はい?」
「――あなたの事が好きだからですっ!」
東屋に自分とコーディリア以外に人はいないし、アナタという者がコーディリアの身近にいるという話も聞いた事はない。そんなわかりきった事実を確認し、反芻し、ダレルはしばらく固まっていた。
「本気で、おっしゃっているのですか……?」
ようやく声を絞り出すと、コーディリアははっとして恥ずかしそうに俯きながら座る。謝罪の言葉は聞こえたが、訂正の言葉も取り消しの言葉も聞こえなかった。勢いに任せて言ってしまったようだが、どうやら本心からの言葉というのに違いはないらしい。
「はははっ……」
思わず乾いた笑いが漏れる。もう自分の心を偽るような事はしない。確かにダレルはコーディリアが好きだ。こんな感覚は生まれて初めてだった。しかしこれこそが恋なのだと本能が告げている。まさかコーディリアも同じように自分を想ってくれているとは、想像もしていなかったが。
「では、父にカミラとの婚約破棄を申し出て、かわりに貴方との婚約を願いましょうか。それで私は失脚するでしょう。そうなればすべてが丸く収まる!」
「……ダレル様、自棄になるのはおやめください」
今のダレルの言葉を投げやりなものだと思ったのだろう、コーディリアは哀しそうに眉根を寄せた。ダレルは自嘲混じりに口元を歪めたまま、小さく肩をすくめる。
「自棄になどなっていませんよ。私は本気です。……私が死ぬか、あるいは死にはしないまでも失脚するか。そうする事でしか、誰も幸せになれませんから」
コーディリアはしばらく黙ったままだった。やがて何かの決意が固まったのか、コーディリアは顔を上げる。彼女の瞳は真剣だった。
「いいえ、ダレル様。あなたのそのお考えでは、あなた自身が幸せになれないではないですか。そして、あなたを恋い慕うわたくしも。それでは何も解決しません。……ですが、もしダレル様に覚悟があるのならば、本当の意味でみなが幸せになれるはずです」
「覚悟?」
「はい。もしもその覚悟があるならば、どうかカミラ様との婚約を破棄してわたくしとの婚約を陛下にお願いなさってください。わたくしも、父にあなたとの婚約を許してくれるように頼みます」
先ほどまでのうろたえた様子はもうどこにもない。冷静さを取り戻したのか、コーディリアは静かに語りだした。
「ダレル様。わたくしは一つ、あなたに隠し事をしておりました――――」
コーディリアの告解は、ダレルの心を動かすのには十分すぎた。
それから三ヶ月ほど経ち、ようやくコーディリアの父から返事が来た――――これで自分達の運命は決まったも同然だ。
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