第二話

 華やかな夜会の場で、グレーツェン王国の第一王子ダレル・グレーツェニウスは空虚な笑みを浮かべながら招待客の相手をしていた。たまに突き刺さる、嘲りや憎しみの混じった視線も慣れてしまえばどうという事もない。

 挨拶に来た招待客の列が途切れた頃を見計らい、ダレルは周囲を見渡した。本来なら傍にいるはずの婚約者、フォーサイス公爵家令嬢カミラ・フォーサイスを探すためだ。彼女の姿はどこにも見えない。果たしてどこにいるのかと人の波を縫うように探していると、ほどなくしてその姿を捉える事ができた。


「カ――」


 その瞬間、ダレルはカミラを探していた事を悔やむ。探さなければよかった。彼女がどこにいるかなど、わかりきっていたというのに。

 白いドレスに身を包んだカミラはオーガストと談笑していた。その周囲には二人の取り巻き達がいたが、カミラの目にはオーガストしか映っていない事などすぐにわかる。周囲には誤魔化せていると思っているのだろうが、ダレルは騙されない――――二人は愛し合っているのだ。

 いつもそうだ。カミラは婚約者である自分ではなく、第二王子のオーガストに気がある素振りを見せる。オーガストもそんな彼女を邪険にする事なく受け入れているのだからよりたちが悪い。

 以前はダレルもカミラに歩み寄ろうとしていたが、カミラはそんなダレルを拒絶し続ける。ほどなくしてダレルも諦めてしまった。彼女と愛を育む事はもちろん、友情を築く事も不可能だと。結局二人は幼い頃からの婚約者であるにも関わらず、表面だけ取り繕った関係しか築く事ができなかった。 

 ダレルは深いため息を一度だけつき、疲れた表情を引き締める。そして風に当たりたいと周囲にことわりを入れ、大広間を後にした。


 今はとにかく一人になりたい。そんな思いから、足は自然と人気のないほうに向かっていた。どうせ人々は第一王子の自分ではなく、第二王子のオーガストを重んじている。自分がいなくてもオーガストがいれば、彼らはそれで構わないのだろう。

 たとえば今こうやって一人でふらふらと出歩いていて、刺客と遭遇してしまう事があったとしても、彼らは気にもとめないに違いない。それどころかこれでオーガストが王の座につけると、自分の死を喜ぶ者も出てくるだろう。

 もちろん王の居城に刺客が忍び込めるなどありえない。ありえるとしたらそれは、王族かそれに近い有力貴族の差し金だ。もしもダレルの目の前に刺客が現れたなら、たとえ護衛の騎士を連れていたとしても何もしてくれないだろう。自分よりも尊い者が、自分の死を望んでいるのだから。

 いっそこのまま殺してくれればいいのにと、ダレルは自嘲気味に笑いながら夜の庭園を彷徨う。もちろん本気でそう思っているわけではないが、死んだら死んだでこの地獄から解放される事は事実だった。

 大広間のテラスから出られる庭園に人の気配はない。みな夜会に夢中になっているのだろう。管弦の調べを背中で聞きながら、ダレルはより暗いほうへと進んでいった。



「あら、ごめんあそばせ」


 赤い雫がドレスから滴る音を、コーディリアは呆然としながら聞いていた。眼前に立つ少女の顔は申し訳なさそうに沈んでいる。しかしコーディリアは、彼女の赤い瞳の奥に嘲笑が浮かんでいるのを見逃さなかった。

「……お気になさらないでくださいまし。不注意は誰にでもある事ですわ」

 白いドレスの裾をぎゅっと握りしめ、それでもコーディリアは笑う。涙が零れないか気が気でなかったが、どうやらうまくいったらしい。自分の反応が気に食わなかったのか、相手はほんの少しだけ顔を歪めたからだ。それだけでわかる。彼女がぶつかってきた事により彼女が持っていたワインが零れて自分のドレスにかかったのは、事故ではなく故意だったのだと。

 そのまま少女は視線をコーディリアの背後に向ける。ちらりと振り返ると、別の少女がこちらを見つめていた――――コーディリアと同じ色のドレスを着た、美しい少女が。

 彼女もまた瞳を嘲りの形に歪めている。だが、コーディリアが気丈に振る舞っている事を悟ったのか、今度はぶつかってきた少女をきつく睨みつけた。

 コーディリアが目だけを動かしてぶつかってきた少女の様子を窺ってみれば、可哀相なほどに青ざめて何度か白いドレスの少女に向けて腰を折りつつもコーディリアを睨みつけている。コーディリアは苦笑とともに視線を白いドレスの少女に戻した。

 コーディリアの視線に気づくや否や、彼女はさっと目をそらして傍らに控えていた貴公子に微笑みかける。あれはたしか、この国の第二王子ではないだろうか。名前は確か……そう、オーガスト・グレーツェニウスだ。離れた場所では第一王子らしき少年が多くの招待客と挨拶しているというのに、弟王子は随分といいご身分らしい。

 先ほどの見下したような目つきはどこへやら、美しい少女は愛らしく花を振りまいている。とても自分には真似できないと、コーディリアは小さくため息をついた。


「……生意気なのよ、貴方」

「え?」


 不意に囁かれた声音は、ぶつかってきた少女のものだった。彼女は周囲の誰にも聞こえないように声を低く落とし、コーディリアを値踏みするようにじろじろと見つめる。


「伯爵家の居候風情が、カミラ様と同じドレスを着ようとするなんて。少しは恥を知ったらどう?」


 恐らくこれが彼女の本性で、カミラというのがあの王子と談笑している令嬢なのだろう。眼前の少女とカミラが目でやりとりをしていたところを考えると、どうやら彼女の粗相はカミラの差し金のようだ。

 彼女の発言から察するに、自分は知らないうちに暗黙の了解を破っていたらしい。周囲を見渡してみれば、コーディリアとカミラ以外に白いドレスを着ている令嬢はいなかった。どうやらカミラを目立たせるため、示し合わせて他の色を選んだようだ。

 白いドレスを着ている者もいるにはいるが、みな年配の婦人だった。彼女達には若い娘同士の確執など、なんの意味も持たないのだろう。

 舞踏会の支度をしようとドレスに袖を通していても、滞在している家の夫人であるフィオナは何も言わなかった。伯爵家に、コーディリアやカミラと年の近い娘はいない。少女達の間にそんな暗黙の了解があることを、フィオナは知らなかったのだろう。

 コーディリアは、人の悪意に晒される事に慣れているわけではなかった。まさか異国の舞踏会でこのような目に遭うなど、想像すらしていなかったのだ。

 だが、他国に遊学中の身で、ことを荒立てたくはない。騒いだところで祖国の父に不安な思いをさせるだけだろう。父は少々過保護なきらいがある。今回の事が知られれば、予定より早い帰還を促されるかもしれない。両国の関係も悪くなってしまう恐れすらあった。

 それは何としてでも避けたかったし、騒ぎを大きくする必要などない。そう、笑って会釈でもしながらこの場を去ればいいのだ。それですべてが丸く収まる。

 滞在先の家族に勧められて参加した舞踏会ではあるが、このような華やかな空間はもともと自分の性に合わないのだ。退場のための理由ができてむしろ幸運だったと思うべきだろう。

 コーディリアは笑う。眼前の少女はまた何か言おうとしたが、悪意ある言葉が紡がれる前にコーディリアは足早にその場を去った。うつむきがちに歩く彼女を気に留めるものなど誰もいない。

 ぽたぽたと零れる涙を拭い、コーディリアは大広間を後にする。確か庭園を通ればゲストハウスに行けたはずだ。惨めな泣き顔も、ワインで汚された白いドレスも誰にも見られたくはない。今はとにかく一人になりたかった。

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