王子が婚約を破棄したら

角見有無

第一話


 二つ並んだ玉座に座る国王夫妻は、目の前で跪く四人の少年少女を複雑な顔で見下ろしていた。謁見の間は彼らの他に、緊張しつつも好奇に目を輝かせながら事の成り行きを見守る貴族達の姿がある。今日は第一王子の婚約が破棄され、そして新しい婚約が成立する日だった。


「ダレル。何か申し開きはあるか?」

「……私からは何も」


 父である国王の鋭い視線を受け、第一王子ダレルは静かに目を閉じる。彼のすぐ隣には楚々とした雰囲気の赤髪の少女コーディリアが控え、緊張した面持ちで異国の王の言葉に耳を傾けていた。貴族達の中には少女のこの国における後見人の夫妻やその娘も控えているが、集まった貴族達の中で彼らだけは悠然と構えている。


「では、カミラ。そなたに異存はあるか?」

「ございません」


 公爵令嬢カミラの返事を聞き、国王ライアンは小さく頷く。双方の理解があるのなら、もはや何も言う事はない。

 これでかつて交わしたこの国の第一王子と名門公爵家令嬢の婚姻が成立する事はなくなった。一度破棄した契約は、もうどれだけ悔やんだところで履行される事はない。 


「……たった今この時をもって、第一王子ダレルとフォーサイス公爵家令嬢カミラの婚約を解消する」


 謁見の間に朗々と響くライアンの声に、王妃ミッチェルは密かに笑う。愚かな継子が墓穴を掘ってくれた。これで息子が次の王だ。


「次に、ダレルとコーディリアの婚約と、第二王子オーガストとカミラの婚約を新たに認める事とする」


 顔を伏せたままの第二王子オーガストは笑みを噛み殺した。王の地位とこの国の領土、そして愛する少女。ようやくすべてが自分のものになる。

 オーガストは生まれて初めてダレルに心からの感謝を捧げた。目障りな異母兄はわざわざ自分から道を譲ってくれたのだ。さんざん異母兄の事を凡愚だ、役立たずだと心の中で嘲っていたが、最後の最後でその無能さが役に立つとは。

 異母兄も本望だろう。彼は彼で、愛するコーディリアと結ばれるのだから――――王子の立場も公爵令嬢という元婚約者の意味も考えず、なんの力もない異国の少女を選んだ事の代償は少々大きいのだろうが。


「最後に、ダレル」

「……はい」


 ダレルは平静を装っているようだが、その声はいつもより少し弾んでいる。それに気づいたカミラは心の中で彼を憐れんだ。どこの馬の骨とも知れない女にうつつを抜かして、公爵令嬢である自分を袖にするなんて。

 それがどれだけ愚かな事なのか、ダレルはわかっていないのだろう。コーディリアと結ばれる、その事に気を取られて盲目になっているに違いない。だが、今はその愚かさに感謝しなければ。彼がコーディリアとかいうつまらない女に魅了されてくれたおかげで、自分は誰に咎められる事もなく愛する人と添い遂げる事ができるのだから。

 ダレルは、今は亡き前王妃の子だ。だが、彼女の実家は貧しい下級貴族であるうえすでに没落している。ダレルの後ろ盾と呼べるのは、彼の婚約者である自分の実家だけだ。

 そんな彼が今も王子を名乗れるのはひとえに国王ライアンの慈悲であり、フォーサイス公爵家令嬢である自分とダレルが婚約できたのも国王ライアンがじきじきに父に頼み込んだからだった。

 第一王子であり、フォーサイス公爵の後ろ盾を得ているダレルが王太子の座に手をかけていた事は事実だ。しかし、大した血筋でもないうえすでに没落した家の出の女を母に持つダレルが次期国王になる事に家臣達はいい顔をしない。よってまだ立太子は終わっていなかった。

 そして今回の一件で、カミラの父はダレルを見限るだろう。国王ライアンもダレルに呆れているはずだ――――これでオーガストが王太子になれる。

 カミラにとって、ダレルは面白みのない人形だった。さすがは美貌で王を惑わした女の息子というべきか、彼は見目だけは麗しい。しかし内向的で感情の起伏に乏しく、おまけに頭も固いのでどうにも人間らしさが感じられない。それがカミラの目には不気味に映っていたのだ。人間と言うよりまるで人形のようだ、と。

 快活な笑みを浮かべたウィットに富む紳士、ほどよく肌の焼けた逞しい体躯のオーガストこそ、カミラの理想の男性だった。そしてそれは、彼女が思い描く理想の王にも通じる。そう、この国の王冠を戴くのは|第一王子(ダレル)ではなく|第二王子(オーガスト)こそがふさわしい。


「そなたはもう、我がグレーツェン王国の王族ではない」


 ライアンの冷淡な言葉に空気が凍りつく。彼の声はわずかに震えていたが、ダレルとコーディリア以外の者がそれに気づく事はない。


「よってそなたに継承権の返上を命じたうえで、オーガストを王太子とする」


 絶縁にも等しい宣言に、カミラとオーガストは笑みを深くする。邪魔者が自爆してくれてよかったと、二人はそっと視線をかわした。

 そして他の者達が笑っているように、ダレルとコーディリアもまた小さく笑っていた――――これでようやく、願いが叶う。


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