第2話コイゴコロ

ねえ、みんな。聞いて。私の部屋の隣に住んでいる人はね。




私は朝が強い。毎朝ゆっくり朝食を食べて、仕事のある日はお弁当も作って、通勤ラッシュに巻き込まれないように余裕に余裕を重ねた時間に部屋を出る。

そんな私と真逆なのが隣の住人なの。十夜さんは花屋に勤めていて、私より朝が早いはず。なのにね。いつもどこかしらに寝癖をつけて、私と同じ時間に部屋を出てくる寝坊助さんなの。ふふふっ。笑いながら「時間、大丈夫ですか」って聞いたとき「なんとかギリギリセーフ」って彼が答えるのが、一日の始まりだった気がする。おかしいよね。

後で聞くとね。私が部屋を出て来る時間に間に合えば、始業時間にギリギリ間に合うんだって。私、十夜さんの目覚まし時計じゃないですって言ったらね。その日の夜に、お兄ちゃんからだよって十花ちゃんが大きな花束を私にくれたの。「いつもありがとう」って書かれたカードが一緒に添えられていた。この兄妹は本当に私を笑顔にするのが上手だった。

本当に嬉しくてね。この時の花束は今でも私の部屋にのこってるんだ。ドライフラワーにしてね、長く長くその時の思い出と一緒にいたいと思ったんだ。


十夜さんとすれ違うときはね。いつだってふわりと花の香りがしているの。本人は気づいていないのかもしれない。

例えばユリの花。

例えば菊の花。

例えばカーネーションの花。

例えば蘭の花。

少し強めの香りを放つ花たちが、十夜さんの周りを漂っているみたい。十夜さんとただの隣人で友人だった頃は、それが何の花かわからなかったけど。






十夜さんとの関係が変わったのは、今から数年前。そのアパートに引っ越ししてから五年近くが経とうとしていた。


その日は雨が降っていた。

一階に住むお婆さんが亡くなった。私もよくしてもらっていたから、夜、お線香をあげに十夜さんとその部屋にあがらせてもらったの。お線香のあの独特な匂いに混じって親しい香りが鼻を掠めた。

十夜さんの、花の香りだった。


ちょっと。どんだけ嗅覚がいいとか言わないでよ。確かに彼の匂いは好きだったよ。でも、そうじゃないの!


その花の香りは、亡くなったお婆さんの棺に敷き詰められていたの。もう冷たく硬くなってしまったお婆さんの体を、真っ白な花たちは箱の中で飾っていた。そこからふわりと漂う香りは、毎朝十夜さんとすれ違う時に香るものとおんなじもの。

お婆さんの部屋から出て、二人で階段を上がっていた時だった。

「十花ちゃんは? 」

カンカン音がする階段の途中で私は十夜さんに声をかけた。彼は振り向かないで、一言こう言った。

「……今は、いない」

私は何も聞かないで階段を上がっていった。


階段を上がりきって、すぐに部屋の扉に着いた。じゃあ、って言って互いに隣の扉に手をかけようとした時、十夜さんから信じられない言葉が飛び出した。


「寄っていくか? 」


驚いた私は、何も言わずに彼の方を見た。彼はこっちを見てはいなかったけど。


「いいんですか? 」


私は彼に答えた。


その時の彼が何を思っていたのかわからない。

でもね。

私はこう思っていたんだ。


きっと、知らないことがあるんだ。

ってね。


いい機会だったんじゃないかな。私は彼のことを知らなかったし、彼も私のことを知らなかった。

ただの、隣人だったんだ。

その夜、私たちはたくさんのことを話した。変な想像しないでよ? 本当に、たくさんのこと。

私は私のことを。今までのこと、今思うこと、桜ヶ原のこと、これからのこと。

彼は彼のことを。今までのこと、仕事のこと。十花ちゃんのこと。それと、今思うこと。


みんな、聞いて。

私、好きな人ができたの。


その人はね。花屋に勤めているの。

花が大好きな、優しくて不器用な人。


十夜さんが勤めている花屋さんは病院の近くにある。それに、墓地と火葬場も近くにある、変わった場所にあるんだって。丁度、その三つを結んだ三角形の中心に花屋があるんだって。だから、よくそういう用途の花の注文が入るんだって。配達になると、頻繁に病院だけ、火葬場だけに通うことになるから担当が決まってた方がいいだろうっていうことで、十夜さんは火葬場への配達が担当になったらしい。

誰も進んで担当になろうとしなかった火葬場への配達。なんで引き受けたんですか? 私は彼に聞いた。彼は苦笑しながらこう言った。

「俺、霊感があるんだ」

たまに、そういうのが見えるんだよ。

十夜さんは続けた。

病院だと死ぬ間際の苦しい顔でこっちを見てくるんだ。墓地だと異様に数が多い。火葬場だとさ。最期の別れをしている親族に対して色んな表情をしている人の霊が見えるんだ。

泣いてたり、笑ってたり、困っていたり、それこそ様々。

そんなとこに花を持っていくとさ。大体みんな、穏やかな表情になるんだ。花ってさ、すごいよな。死んだ人まで癒してくれる。


私は黙って聞いていた。

十夜さんから香る花たちは献花でよく使われる花たちだって、その時に気づいたんだ。

亡くなったお婆さんの棺に敷き詰められていた白い花たち。バラ、カーネーション、キク、ユリ、どれも十夜さんから香ったことのある花たちだった。

そして、今もどこかの部屋からか香りが漂っていた。近くに、花がある。


十夜さんは言った。


「俺、花が好きなんだ」


まっすぐに、私を見て言った。


私の好きになった彼はね。花が好きなんだ。

それは五花なのか、十花なのか、それとも、両方なのか。はっきりと彼は言わなかったけれど。


この日の夜、花は落ちた。

恋という、夜に落ちていった。






その日を境に、私は十夜さんの部屋に頻繁に出入りするようになった。元々、十花ちゃんを私の方の部屋に招くこともあったんだけど、十夜さんに会うために私の方が彼の部屋に行くことが増えたんだ。といってもね。隣の部屋だからあんまり関係ないかもしれないけど、ここは気持ちの違いだよ。

私が彼の部屋に行くっていうことに意味があるんだ。

私の使う時間は誰かの為のものになった。私自身に、十夜さんに、十花ちゃんに。朝起きて眠るまでの時間は誰かの為に割かれているの。だから浮気なんてしちゃダメなんだよ。せっかくの誰かの為の時間に他の人を浮かべるなんて、もったいないよ。時間は有限だって、有名な人が言っていたでしょう。生きている人の時間には限りがあるんだよ。その貴重な時間を割くんだもん。誰の為にも、自分の為にさえならない時間は要らないんじゃないかって、私は思うんだ。誰かの為の時間に違う人が浮かんでいたら、それはもう誰かの為だけの時間じゃない。

だから、私は浮気は絶対にしないし許さない。付き合うことになった日に十夜さんにも言ってある。彼は厳しいなって笑って、自分もしないと誓ってくれた。


ほら、純粋な男女の恋愛話って思うでしょ? 違うんだな、それが。


私も十夜さんも浮気はしないよ。

だから、あの話をしっかりしたの。


十花ちゃんとのこと。


十夜さんの妹である十花ちゃんは、お兄さんである十夜さんのことが好き。それは彼女からは言われてないけど、きっと異性として好きということ。

そうだよね?

そうだよ。

私たちは二人で確かめあった。

もし私の思い違いだったらって気持ちもあったけれど、十夜さんも同じ気持ちだった。認識の違いは後でとんでもないスレ違いを招くんだって、恋愛の先輩が言ってたよ。些細なことでも言葉にしなきゃ、他人には通じないんだってさ。通じ合いたい相手なら、尚更丁寧に伝えないと勘違いしちゃうかもしれない。

だから、十夜さんに確認したの。


まあ、結局それも後日十花ちゃんにバレて、「五花お姉ちゃん、ひどい! あたしの純粋な気持ち、疑ってたの?!」って怒られたんだけど。十夜さんの方も同じ様に怒られたんだって。

私が思うに、十花ちゃんも十花ちゃんでちゃんと言ってくれてなかったと思うんだ。大好き! 大好き! って言いながら、その「好き」の意味を伝えてくれなかった。彼女は拒絶されるのが怖くて、妹として、友人として好きっていう言葉に本当の自分の「好き」を隠してたんだ。

ほんと、変なとこでそっくりだよね。十夜さんと十花ちゃん。そんなこと言うと、私も人のこと言えないだろって言われちゃうんだけどさ。

それでもね。私たちは三人仲良くまぁるく納まったんだよ。

好奇心とか浮気とか、そんな言葉で否定しないで。私たちの気持ちはまっすぐ二人に向いている。真剣に、向き合っているんだよ。




だからね。みんな、聞いて。

私、好きな人たちができたんだ。

その人たちは隣の部屋に住んでる人たち。


十夜さんはいっこ年上の花屋に勤めてるお兄さん。

十花ちゃんは同い年の花の香りがするお嬢さん。


私たちは、3人で付き合い始めました。

よろしくね。私の素敵なダーリンとベイビー。







私の朝は食パンとともに始まる。

寝坊助な愛しの彼の為に、毎朝挟む具を変えて朝食のホットサンドを作る。食パンの耳を切り落として、前日の夜に決めておいた具をパタパタ挟む。トーストするのは家を出るギリギリで。

少しでも温かい朝食を食べてもらいたいから、彼ほどではないけど苦手な朝だって頑張って起きるよ。

切り落とした耳はまとめて冷凍庫へ。量がたまったらおやつのラスクに早変わり。仕上げに砂糖と、愛しの彼女が好きなシナモンパウダーをさらりとかけて、私たちだけの女子会に一役買ってくれるの。


毎週金曜日の夜は彼女との逢瀬の時間。私は甘いお菓子を、彼女はそれに合う飲み物を用意するの。机の上に並べて、たくさんおしゃべりする。眠くなってきた頃に、私のベッドで二人で眠る。彼女から香る花の匂いは、疲れた心も体も癒してくれる。アロマセラピーってやつ?

ひんやり冷たい彼女は、いつだって私の手に指を絡めて眠った。互いに名前を呼びあって、笑ってこう言うんだ。

「あたしたち、幸せだね」

「私なんて、幸せすぎて涙出ちゃうよ」

私よりも小さい彼女の体は、シーツと私の腕で包んだだけで見えなくなってしまった。


毎週土曜日の夜は彼との逢瀬の時間。

この日だけは外に足を伸ばして外食をする。仕事終わりに待ち合わせをして、二人だけで食事をして、軽いお土産を買って帰ってくる。割り勘で、しかもファミレスとかラーメン屋とか、ショッピングセンターのフードコートとか、そういう所でのデートだったけどすごく楽しかった。

お土産はいつだって、十花ちゃんへの花だった。花のデザインの雑貨だとか、本物の生花だとか、私も一緒になって選んだ。彼はね。いつだって幸せそうに笑って、これはこういう花なんだって優しい声で私に教えてくれるの。

家に帰るとね。いや、家っていっても同じアパートで隣の部屋なんだけどさ。

その、あの、ね、ほら、男女の恋人ってことで、こう、えっちなこともしたいなー、なんて、思っちゃったりもするんでありまして。えーと、二人で、お風呂、入ります。でも! でも! いかがわしいことはしてないから! ほらそこ! ニヤニヤしない! ちゃんと隠してるから! 入浴剤入れてるから! 隠れてるから!

あー! もー! 言わなきゃよかった!こんなの同級生にする話じゃないよね!?


でもね。こんな私でも、ちゃんと男女のお付き合いはしてたんだよ。もちろん女同士のも。

手も繋いだし、キスもしたし、結婚のことも考えてた。二人の部屋を行ったり来たりだったけど、私たち三人は結婚を前提に「同居」してたつもりなんだ。


春が過ぎて、夏が過ぎて、秋も過ぎて、冬も過ぎて。すごく、すごく幸せな時間はあっという間に過ぎていった。

ずっと、このまま三人でいられるんだと思っていた。


亡くなったお婆さんの部屋に新しい人が入ったのは、私たちが三人になってから二年くらいが経っていた。






私と、十夜さんと、十花ちゃんには暗黙の了解みたいなものがあった。それは自然とそうなったもの。


一つ。三人が揃って会うことはない。これは私が引っ越してきてからずっと変わらないことだった。なぜか、これを不思議に思うことはなかったけど、望まないということではなかった。

ただなんとなく、三人が揃ってしまえばこの関係も終わってしまう気がしたの。


一つ。浮気をしない。するはずないけど、一応ね。


一つ。体の関係を持たない。つまり、性行為をしないということ。十夜さんと十花ちゃんは兄妹だから、もし赤ちゃんができても産めない。

十花ちゃんは言った。確かにお兄ちゃんは好きだけど、そういうことをしたいわけじゃないって。男の人と女の人がそういうことをすると、赤ちゃん、できちゃうでしょ? あたし、赤ちゃんいらない。ずっと、ずっと、三人のままがいい。四人目も五人目もいらない。あたしたちだけがいい。そう言ったの。十花ちゃんは絶対に性行為をしない。だから、私も十夜さんもしないんだ。私も、三人のままがよかったから。それは十夜さんも同じだった。

私たちの同居生活は、常に最低布一枚分は距離をおくものだった。私と十花ちゃんが同じベッドで眠るときはパジャマを着て、私と十夜さんが一緒にお風呂に入るときは水着を着て。


なんでそんな面倒なことをするのかって?

それが私たちの間の約束事だったからだよ。


なにかしらルールを作って守らないと、「同居」生活はうまくいかないの。例えば家事の役割分担、生活時間、門限、ペットの管理、ネットの利用時間と制限。ほら。誰かと住むと、こんなにも自然に決まってくるルールがある。どれも簡単なものでしょ? 私たち三人にとっての守らなきゃいけないルールがその三つだったってだけ。三人で暮らすために決めた、守らなきゃいけないルールがその三つなの。


私たちは「三人で同居」していたの。

「三人で」していたかったの。

三人でいたかったの。


だから当然、その空間の中に他人を入れることなんてしなかった。家族とか大家さん、管理人さん、業者の人は別にしてもね。もちろん、友人や同僚は外で会った。


でも、ある日。そんな私たちの近くに、空気の読めない土足で踏み込んでくる大馬鹿者がやって来たの。

下の階に女性が引っ越して来たようだった。

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