Hello my dear.

犬屋小烏本部

第1話桜の咲く頃に

みんな、聞いて。

私、好きな人がいるんだ。

その人はね。私の隣に住んでいるの。






その人を初めて見たのは、大学を卒業する少し前。就職先もなんとか決まって、春からは一人暮らしをしようと部屋探しをしていた時だった。

実家からは少し離れた職場。不安ではあったけど、お父さんにもお母さんにも相談して、ここら辺がいいんじゃない? っていう地域をうろうろしてた。

やっとのことで見つけたのは小さなアパート。不動産の人に話を聞いて、とりあえず見てみます? ということになったから、その足で見学に行ったの。管理人さんに挨拶して、空き部屋になっている二階へ一緒に上がっていった。カンカンカン、と靴が階段の板を踏む音が新鮮だった。

私の実家は一階建ての平屋だから、二階建てってだけでどきどきするもんなんだよ。でもね。それとは別のどきどきがその時二階からやって来たの。それが彼だった。

狭い幅の階段だから、どっちかが隅に寄らないとすれ違えないんだよね。だから彼、私たちを見たとたんに、げって顔をしたの。わかりやすい。そんな顔をしときながら隅に寄って、お先にどうぞって言ってくれたの。ちょっと笑っちゃった。私は、ありがとございますって会釈をしながら早足で上っていったんだ。上がりきったところで後ろを見てみると、下に降りていく彼の頭がちらりと見えた。

なんとなく、私たちとは逆方向に向かう音が聞こえなくなるのが気になった。


初見はこんな感じ。

悪くは、ないでしょ?


見学をし終わった私はすぐに契約しようと決めた。別に彼がいるからって理由じゃないわよ。違うって。

そのアパートは二部屋にダイニングキッチン、お風呂にトイレ付き。新社会人としては十分な物件でしょ。……ほんとはそこしか空いてなかったのよ。他人と同じ屋根の下で暮らすなんてそれまで考えたこともなかったし、契約は早い方がいいと思ったの。


そんなわけで、私はそのアパートで一人暮らしを始めることになったんだ。




桜の花びらが舞う、春先のことだった。






私の隣の部屋に住んでいる人はね。

年が私のいっこ上の人なの。身長は私より頭一個分高いくらい。でも、彼はいつも厚底のブーツを履いているから、多分もう少し低いかな。髪は少し明るい焦げ茶色。いつも眉間に皺を寄せて、目付きが悪い。でも、本当は初めて見たときみたいに機嫌がわかりやすい。何かいいことあったんだな、ってときは、口元をゆるめて語尾が伸び気味になるんだ。本人は気づいているのかな?


そんな彼には同居人がいる。

年が彼のいっこ下。つまり、私と同じ年の女の子。彼と一緒にいるとこは見たことないけど、彼女から聞く限りでは仲がいいみたい。身長は私と同じくらい。髪は焦げ茶色のショートで、大体会うときは明るくて柔らかい色のニットの帽子を被っている。ロングのワンピースがお気に入りで、甘いものと猫が好き。よく笑う子で、彼がいないときはよく二人でお菓子を作るんだ。

彼女は、彼の妹だった。


生活リズムが違うんだって言ってたのはどっちだっただろう。




私の名前は五花。五つの花って書いて、いつかって読む。

桜が咲いて、散る頃になると毎年実家のある懐かしくて優しい故郷を思い出す。桜の名前を持つ町。桜ヶ原。もう就職して数年が経つけれど。仕事が忙しくてなかなか帰れない。

寂しいな。淋しいな。同級生に、会いたいな。お父さんとお母さんと三人でごはんをゆっくり食べたいな。

不意に、そんな風な気持ちが胸を過る時がある。仕事で失敗したとき。同僚が退職するとき。嫌なことがあったとき。ほんの些細なことだけど、なぜかあの町にかえりたくなる時がある。

そんなとき、私を癒してくれたのがその隣人たちだった。


お兄さんの方が十夜さん。十の夜って書いてとおや。

妹さんの方が十花ちゃん。十の花って書いてとおか。


私たち、名前が似ているねって笑い合ったのは、大学を卒業して新居であるその部屋に引っ越しをして間もない頃だった。引っ越しの挨拶をしに隣の部屋のチャイムを鳴らした時、顔を会わせたのが妹さんだった。


たったの四部屋しかない小さなアパート。その内一部屋は管理人さんが使ってる。一階のもう一部屋はお婆ちゃんが住んでて、時々お孫さんが様子を見に来てた。

年の近い私たちが親しくなるのは当然の流れだったのかもしれない。三人が揃うことはなかったけれど、二人でいる時間は長かったと思う。

朝、私が出勤するとき、大体同じ時間に出勤する十夜さんがそっけなくおはようって挨拶をしてくれるの。

夜、私が帰宅すると、電気がついたのを確認して十花ちゃんが夕飯のお裾分けを持っておかえりって笑ってくれるの。

冷えた心もあったまっていったよ。

まるで、兄妹ができたみたい。


十花ちゃんはね。ほんとにいい子だと思うよ。いつも、お兄ちゃんはね、お兄ちゃんねって、私に十夜さんのことを教えてくれるの。

はじめはちょっと、ううん、かなり、かな。兄妹ってこんなだっけ、って思ったんだ。同級生にも兄弟とか姉妹っていう人はいたけど、こんなに露骨に好きって言ってたっけ、って。いつも、大好きなお兄ちゃんがね、大好きなお兄ちゃんはねって言ってるの。

それで、気づいたんだ。

十花ちゃんが言ってる「好き」は「Like」を通り越して「Love」の方なんだな、って。


十夜さんの方は何も言っていなかったから、私もその事については何も言わなかった。言えないよね。

そんな十花ちゃんのこと、十夜さんは嫌ってるようには見えなかった。挨拶のついでか、「いつも妹が世話になってるな」って珍しく笑ってくれるのはドキリとしたよ。……胸がドキドキしてたのは彼の笑顔が素敵だったからなんだけど。


そんな兄妹との、ありきたりな隣人関係だったと思うんだ。


ほら、普通でしょ?


今、思うとね。十花ちゃんの気持ちにちゃんと気づいてこたえてあげれたら、また、結末は違ったものになったのかな。なんて、思ったりもするんだ。


いつから十花ちゃんがああいう風に言うようになったんだろう。「お兄ちゃん大好き」に「五花ちゃんも大好き」が増えていったの。

いつだったか、「五花ちゃん、あたしのお姉ちゃんになって」って十花ちゃんの口から飛び出した時は驚きが隠せなかった。彼女の兄姉は「Love」の対照だったんだもの。でも、もっと驚いたことがあるんだ。

私、その気持ちを気持ち悪いとか嫌だとは思わなかったの。




ねえ、みんな。私、おかしいかな?




私、その気持ちにちゃんと答えてあげれなかった。でも、拒否することもないで受け入れちゃったんだ。




ねえ、みんな。聞いて。

私、好きな人がいるの。




これはね。

ちょっとだけ変わった恋の話なんだ。きっと、みんなのする恋と違うのはほんのちょびっと。

どこかだけが違う、私だけの恋の話なんだ。











桜の花が舞い散る景色の中で、私は同級生たちへととっておきの話を披露する。

薄桃色の絨毯を敷き詰めて、その上に座っている懐かしい私の仲間たち。みんな、みんな、とても懐かしくて変わっていない。


だから、私は話すことができる。

この、ちょっとだけ変わった恋の話を。


頭上から、ひらりひらりと桜の花が降り注いでいた。

私の声以外、辺りに響く音はなかった。

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