第3話 "If it's not through the night, I'll carry the head."

 その前後の日々とまったく同じように、あるいはそれ以上に不毛な夜だった。この計画を立てたジュールですらうんざりしていた。

 夕暮れからたっぷりと助走をつけて挑んだ乱痴気騒ぎは、ジュールにもチアにもナユタにも平等に莫大な疲労感を蓄積させた。彼女たちの戦果、あるいは戦禍を数値で示すなら以下の通りになる。はしごした店九件。割れた皿七十八枚。砕けたグラス百二十三(最後の二個は「きりが良いから」との理由でナユタが握りつぶした)。穴の開いた机一台。壊れた椅子二脚。歌った曲三十二。殴り合い八回。一方的な暴行二回。折られた骨二本。折った骨十二本。捨てた首一個。そんな調子で夜が明けた後、一番ダメージが軽いのはナユタだった。朝焼けの空を軽く背負って、涼しい顔で帰って行った。もっとも虚勢だった可能性はある。チアだって、ナユタの背中が完全に見えなくなるまではきちんと直立で手を振って、それから崩れ落ちたのだ。

 満身創痍の身体を引きずって、ジュールとチアは何とか帰還した。拠点にしているガレージまで辿りついたジュールはそのまま昏倒し、次に起きたのは昼過ぎだった。簡易ベッドからはい出した彼女は、不機嫌そうにインスタントのコーヒーを一人分作って、床に転がるチアを小突いた。

「じゃ、次、出かけるぞ」

「んええーまたぁ?」情けない声を上げてチアはジュールを見上げる。チアの眼はとうに冴えていて、ただじっと体力の回復を待っていたのだけれど、全快とは程遠い。右まぶたは腫れっぱなしだし、片方の鼓膜は破れている。「時は金なり」とジュールはおごそかにのたまう。「あるいは善は急げとも言う」

「善行なんて積む予定ないでしょ……」

 口をとがらせてチアは反論しながらも、チアは鉛のような体を起こす。体力的にはチアより軟弱なはずのジュールがこんな風に活動的なのは珍しい。ジュールのアドレナリンが出っ放しになっているときは、腹の中で良からぬ計算が進行中なのだ。そしてそういう悪だくみに乗るのがチアは大好きだ。




 喫茶店2W1Hは十時四十八分に開店した。五階建てビルの屋上で、店主のカナは慣れた調子でコンロを設置しお湯を沸かしていた。折り畳み式の椅子が二つ、申し訳程度に添えられて、食事と飲み物は其処で提供される。中途半端な時刻と急ごしらえの設営は、予定外とも予定通りとも言えた。そもそも店に決まった営業時間はなく、それどころか定まった敷地すらない。5W1Hから三つのWを抜いたその店は、いつWhenどこWhereWhoを限定しない、ただ『お客様にやすらぎを提供するため』の、信仰のみを屋台骨とした概念的店舗なのである。店開きはすべてゲリラ的であり、そのルールの無さこそが大原則になっている。

 事前予告の一切ない運営形態のせいで、当然ながら客は少ない。ジュールとチアが訪ねた時にも客は一人っきりだった。

「簡単な話だろうに」と、ジュールは言う。「営業許可の出てない店の場所なんて、候補はまず街頭監視カメラの死角になってる箇所に絞られる。更に各種団体の縄張りにもかからない中立地帯となれば数えるほどだ。総当たりしたって見つけるのは不可能じゃないし、鼻の利く犬がいるならなおさらだ」

「文字通り朝飯前だったってわけ?」カナが言って、自分で笑う。鼻の利く犬ことチアのほうは、切れた唇のせいでちまちまと食べすすめるしかないサンドイッチに悪戦苦闘している。

 風が吹いて、青いシャツがはためいた。手すりから渡したロープには大小の衣服が吊るされて、カーテン代わりにカナたちを囲んでいる。アンテナを目いっぱいに伸ばしたラジオが、途切れ途切れに音楽を吐いている。ノイズの合間でも何とか曲を判別できるのは、今や誰もが知っている歌姫の声だからだ。街の外にそびえる塔と同じ、最近ではどこに行ってもついてまわる声。

 オレンジジュースのお代わりを注いでから、カナは帳面をやぶってジュールに差し出した。

「ともかく、うちの店を二回以上探し当てた人はもう常連さんだよ。サービス券の進呈です。この街の最凶コンビに祝福あれ」

「何その呼び名」うきうきとしたカナの言葉に、ジュールが眉をひそめる。

「凶暴・獰猛・非道の三拍子、敵に回したくはないけれど味方にもしたくないろくでなしって意味だよ」

 声は隣からだった。ジュールの眉間の皺が深くなる。店の唯一の先客に、ジュールはもちろん気づいていて、わざと無視していたのだけれど。屋上の段差に腰かけているだけなのに、革張りのソファにでも座っているように悠然とした仕草で、スバラはジュールに微笑んだ。

「ごきげんよう、相変わらず女の趣味が悪いね、ジュール」

「手前こそ、相手にされてない女の店に未練がましく追っかけてんじゃねえよ」ジュールは吐き捨てる。「挙句の果て勝手に話に割り込んで来やがって、礼儀もなってない。エリート様が聞いて呆れるね」

「あたしの店では仲良くしてくださーい」カナが抗議の声をあげる。「特にスバラちゃん、お客様に意地悪言わないでよ」

「こんなので傷つくタマでもないよこいつは」

 スバラはその整った顔で、ジュールを一瞥して鼻で笑う。

「それに客というなら私の方が上客だ。カナ、バランタインの二十一年」

「そんな教育に悪いものありません」カナはぴしゃりと言い返す。「これ以上ワガママ言うなら出入り禁止にするよ。スバラちゃんがヘリで乗り付けて来るの、ただでさえ目立つんだから」

「そんなつれないこと言わないでくれ、カナに会えなくなったら私は何を生き甲斐にすればいいんだ」

「痴話喧嘩つづけるなら帰るぞ」

 言いながら早速腰を浮かせるジュールを「だめだめ待って」とカナが慌てて引きとめる。

「あたし、ジュールちゃんに相談したいことがあったんだから」

「相談」

 小さな手で服の袖を掴まれて、ジュールは止まる。カナは真剣な顔で頷いたかと思えば、「あのねぇジュールちゃん」ぱちぱちと瞬きをして、愛らしく小首をかしげ、言った。

「あたしを買ってくれない?」

 スバラが吹いた。

「カナ! 何をトチ狂ったことを」咳き込みながら立ち上がってカナに詰め寄る。がくがくと肩を揺さぶられながらも、カナはけろりとしたものだ。

「だってジュールちゃんお金貯めてるんでしょ。それに意外とフェミニストだし、下手なバイトより安全だと思うの」

「金なら私だって持ってる!」

「スバラちゃんのは自分のお金じゃないじゃーん。親の脛かじってるドラ娘に用はないでーす」

 食い下がるスバラにそっぽを向いて、カナはジュールの正面に迫る。

「どうかなジュールちゃん、考えてくれない?」

「弟さんの具合、まだ悪いのか」質問には答えず、ジュールは聞き返す。周囲に揺れる洗濯物は、カナが養う六人の姉弟たちのものなのだ。

「んーん、むしろ逆、治療の見通しは立ってるよ。必要なのは私の進学費用」ゆるりとカナは首を振る。「政策が変わってからは臓器移植はきちんと順番が回って来るし、昔よりずいぶん負担は軽減されてる。私は私の学費を稼げばいいだけだもん、いい時代になったものだよ」

「だからって自分を売ることはないじゃないか」カナに振られて撃沈したままのスバラが呻く。

「だからこそだよ。弟のためじゃなくてあたし自身の夢のためだから、あたしはあたしを自由に使えるの」

 誰かのために自分を犠牲にすることは暴力だ、とカナは言う。他人のためを謳って行動することは、結局、その他人に責任を押しつけることだから。

「もちろん奨学金だって取るつもりだけど、選択肢は多いほうが良いでしょ」

 このお店はちっともお客さん来ないしね、と、カナは肩をすくめる。

 ジュールは口を開いて噤む。監視社会の眼を逃れた自由移動の店舗なんて、金になる使い道はごまんとあるのだけれど、指摘するのは野暮というものだろう。

「私の天使エンジェルがこんな物騒な話をするなんて悪夢のようだよ」机に突っ伏したスバラが未練がましくため息をつく。「人身売買なんて発想どこで仕入れてきたんだか」

 スバラはカナに対して過保護すぎる、という点で、スバラ以外の全員の意見は一致している。幼い面立ちに小さな体躯のカナを、その見た目通りのか弱いお姫様のように大事にしようとする。子どものお人形遊びだ、と、ジュールは内心で毒づく。勝手に期待を抱いて神聖視するところは、三年前からちっとも成長していない。墓穴になるから言わないけれど。 

天使エンジェル!」黙々と食事していたチアが弾かれたように顔をあげた。「それって氾濫言語の時代にあった言葉でしょ」口の端にチーズのかけらをつけたまま、得意げに言う。

「よく知ってるなワンコちゃん」

「ジュールが寝ぼけて言ってたんだよぉ」スバラの嫌味も意に介さず、チアは答える「やっぱり昔の人たちっておかしいよね。存在しないものに名前をつけるなんて」

「かつての人間にはそれが必要だったんだよ。ここにはないもの、決して存在を証明できないものについて考えをめぐらすことが」カナが諭すように言う。

「どうして?」

 素朴な疑問だった。だってそうだろう。ここにないものに意味はない。チアの大きな目にまっすぐ見つめられて、だけどカナはたじろがない。

「それはね」

 風が強く吹いた。ラジオの音量が乱れて、歌声がたわむ。ひときわ大きくなった歌声は会話をかき消した。だからカナの答えが聞こえたのはチアにだけだ。それで十分だった。

「古いラジオだ」ジュールが言う。

「ラジオってのは古いものだよ」スバラが応じる。

 カナが小走りにカウンターへ向かう。ジュールは唇に指をあてて天を仰ぐ。長いまつげを冷気が撫でた。色とりどりの洗濯物を膨らませていた陽光が失われていく。陽が隠れたわけではない。この国で一番長い影が差し掛かったのだ。この街のどこにいても見える高い塔。雲を突き抜け、どこまでも伸びる永遠の塔。それをしばらく眺めてから、ジュールはカナへと視線を戻す。

「カナさん、あんたの身体を買う気はないが、協力してほしいことならある」

「うんいいよ、何をしようか?」ラジオの電源をぱちんと落として、カナは振り向く。

 ジュールは言った。

「亡霊退治」





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