08 (epilogue.)

「建前はいいです」


 彼女。


「本音は?」


 夜になった。陽の光は、もう、ない。


「わたし。あなたといたい。ずっと。付き合ってくれなくていい。好きでいてくれなくていい。死んだ恋人の代わりでもいい。ただ、あなたと。一緒にいたい」


 彼女。叫ぶ声は、とても小さくて。


「わたし。だめなやつだ。ほんとうに。最低なやつ。こんな自分が」


 消え入りそうな、呟く叫び。


「それが聞けてよかった」


 彼女にゆっくりと、歩み寄って。


 抱きしめる。


「あなたにします」


「わたしは」


「ええ。あなたは最低です。恋人が死んだからって、その隙間を奪うような。最低の女です」


 彼女。震えている。


「でも。俺も、最低なんです。もう。死んだ彼女の顔が、思い出せない」


 嘘だった。

 嘘でいい。


「結婚でも付き合うでも、なんでもいいですよ。俺の隣で。最低なままでいてください」


 彼女。泣き崩れる。


 ようやく。決心がついた。


「食器も。歯ブラシも。タオルも。新しいの買いましょう。昔のやつは、全部捨てて」


 彼女。まだ、震えている。

 思いきって。

 右の胸元を。噛んだ。


「っぐ」


 彼女の、声にならない呻き。


「もう片方も。噛んで」


 言われた通りにした。彼女の、声にならない声。


「食器も、歯ブラシも。タオルも。壊れるまで使うわ。前の住人に思いを馳せながら」


「そうですか」


 ふたりで。よろよろと立ち上がって。ふたりで肩を組んで。

 ふらふらと、家路についた。


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春暁の消滅 春嵐 @aiot3110

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