鉄紺のトロイメライ

AZOTE

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 ふかききりまとう神無月。

 老い木揺らすは通り風。

 土器かわらけ色の瞳映すは、

 降りみ降らずみ、梅雨時雨つゆしぐれ


 ■



 姉さんはよく数十年前の日本の話をしてくれる。教科書代わりに発展した、教育用タブレットよりも濃密に。色覚異常患者の為に造られた、色彩補正プログラムよりも鮮明に。恐ろしく現実味のある言葉で語る姉さんは、まるで「当時の日本に生きていた人間」のような雰囲気を纏っていた。


「それに比べて、今の日本は安全ね」

「……そう?私はこの時代に産まれた人間だから、全くそんな気はしないけれど」


 学校帰りの夕暮れ道を、2人並んで歩くのも何回目か。私はいつも、反射光で飴色に染まる姉さんの髪の毛が、風でなびく様を流し目で見ている。今この瞬間の自分の髪の色も、姉さんと同じ飴色であると信じて。

 姉さんはいつもこう言っていた。医学やネットワークの発達により、小さい病気も怪我も、この現代日本では脅威にすらならないこと。それが当たり前であるのがとても幸福であり、それは異質であること。


「当時は擦り傷一つで死んでしまったり、後遺症が一生付きまとったり……うう、思い出すだけで怖気立ってしまうわ」


 きゅっと身を縮こませる、姉さんのあざとい仕草にも、もう慣れてしまった。はいはいと軽くあしらうと、少し頬を膨らませて拗ねたふりをする迄がテンプレート。そこだけちょっと可愛らしいって思ってしまうこと、本人には言ってあげない。


「ところで姉さん、今日の夕飯は何にする気で?」

「ううん……そうだ、卵がかなり残っていて消費に困ってたの。小袖こそでの好きなカスタードクリームでも炊きましょ」

「姉さん、私は夕飯の話をしたんだ」

「あ……頭がデザートの方にいってたわ」

「全く、せっかちなんだから……牡丹ぼたん姉さんは」


 ちょっぴり深くため息をつく。私は姉さんの隣で検索ウインドウを開き、卵大量消費のレシピを物色することにした。人差し指を立て、垂直に下へと振り下ろす。膨大なネットワーク網に接続するパネルが現れるのを確認。日本国民全員に割り当てられたナンバーを入力してログイン完了となる。

 このログインナンバーは随分昔から存在しているものらしい。姉さんの昔話から言葉を拝借するなら、「マイナンバー」。そのまま過ぎて、最初は苦笑いしたものだ。


「……そうだなぁ、パンケーキ食べたいかも」

「小袖、それもデザートじゃあない?」

「確かに……」


 歩きながらウインドウを開いたものだから、「ながら作業はおやめください」の忠告が視界の傍らに映り込んで鬱陶しい。中指で弾いて削除。

 私は甘党だった。兎に角、糖分は大好きだ。頭を使うと、どうしても甘いものが食べたくなってしまう。体質だろうか?女性の一日分の平均摂取量をとうに超えても、腕の健康数値アラームが鳴ることは滅多にない。


「じゃあ、やっぱり今日はシュークリームにパンケーキ?」

「ごめん姉さん、プリンも付けて」

「あらあら、今日はお疲れねぇ」


そう、今はこれでいい。

自分の未練を残してはいけない。

常に今日という日に満足しないといけない。

布団に潜り込んで、眠れない日があってはいけない。

それが今の日本に暮らす国民が守るべき義務。


 未練を残して死んではいけない。

そして、死を恐ろしい物だと認識してはいけない。

人生に満足し、人生を楽しみ尽くすことを美徳とする。

それが現代の日本。


私は、私たちは。

そんな現代日本にいつか爪痕を残すため、生きている。


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