2日目-2

 実際に犯人と向き合って降瑠が言っていたことが何となくわかった。犯人が放つこの威圧感は自然と体が竦んで足が重くなるのを感じた。私はそれを意志の力で跳ねのけて無理やり体を動かす。

 私は犯人の一撃を体を捻って躱し、私は犯人から距離をとる。出口の扉は犯人の後ろにあり、脱出するのは難しそうだった。

 さてここからどうするべきか。狭い空間で相手が大きいからこそどうにか捌けているが一撃一撃が致命傷という精神的に来るものがあるこの攻防をいつまで続けられるか正直わからない。ピリピリと肌を焼く殺気が私の精神と体力を削っていく。

 反撃に出るにも戦えそうなものは持っていないし人形を相手にしたときのような攻撃はこの巨体には効きそうにない。躱した際に犯人の拳が壁に直撃し、ひびが生える。それで動きが止まればよかったのだが怯む様子もなくすぐに襲いかかってくる。狭いがゆえに前進できず、後退するしかなく、徐々に私は追い詰められていく。

 その時大きな音が入口の方から聞こえてきた。その音に反応して犯人が振り返った。そこへ何かが飛んできて犯人の体に直撃した。それは火炎瓶だったようで犯人の体を燃え上がらせた。

 犯人は体の火を消すために暴れ、近くの部屋の扉を破って倒れこんだ。その隙に私は横を通り抜けて出口へと向かうとそこには日下部さんがいた。


「こっちだ!」


 手招きする日下部さんに続いて扉を通り抜ける。すぐに日下部さんが扉を閉めて鎖でドアノブを固定する。


「待って日下部さん! 他に捕まってる人がいるんです!」

「なんだと?」


 日下部さんは舌打ちすると錫杖を両手で持つ。


「日下部さん、いったいどうするの?」

「……あれを斬る」


 日下部さんはそう答えて刀を抜き放つ。それ怪異を殺す妖刀だ。


「待って! あの人は自分がしたことを後悔しているんです。どうにかなりませんか?」

「無理だな。もうほとんど完全体と言ってもいい状態だ。ああなってはもう斬るしかない」


 日下部さんは一度閉じた鎖を外すと扉を開ける。そのまま中に戻ろうとした日下部さんの手を掴んで私は止めた。


「前にも話したはずだ。他に方法はないんだ。見ることができないなら君は先に脱出を……」

「そうじゃないんです。理解していないわけではないんです。あれは、あの人は兄さんなんです! 安来伊凪、それがあの鬼の正体なんです!」


 私の言葉に日下部さんは驚いたように目を見開いたがそれで止まってくれる人ではなかった。日下部さんは私の手を振りほどくとそのまま下りて行った。


 安来伊凪、今回の犯人は彼に間違いない。見た目的にはもう完全に別人だがそれ以外の部分が犯人の正体が兄さんだと示していた。

 まずはあの日記。私が思わず手に取ったのはその字に見覚えがあったからだ。そして先ほどは日記の内容には深く触れなかったがそこに書かれていたのは妹に対しての嫉妬、焦り、そして劣等感だった。私はそれに対して目を背けていたというのは間違いない。

 私にとって兄さんは特別でそこに書かれていることが兄さんの内心なのだと信じたくなかった。だから私は犯人が兄さんじゃない別人だという証拠を求めて色々な部屋を見て回った。

 正直自分の荷物は二の次だった。そして倉庫で見つけたのは兄さんの鞄だった。そこに入っていたのは兄さんが苦手とする怪談の本でそこに書かれている怪談が化異の媒介となった怪談が記されているもので、期せずして私はその怪談を知っていた。それは降瑠が話した鬼の怪談だ。火を受けて苦しんでいたので間違いないだろう。

 私は一体どうすればいいのだろうか。このまま目を背けて逃げ出していいのだろうか。そうして兄さんのことを忘れて生きていく。そんなことは、そんなことは……


 私は衝動に任せて足を踏み出し、扉を潜り抜けた。このまま背を向けるの何て私にはできなかった。兄さんは私の憧れだった。いつも私の前を歩いていて私も昔から兄さんについて歩くことが多かった。自立してきた今でも兄さんの影を無意識的に追いかけてきた気がする。

 それが兄さんへのプレッシャーになっているとは思っていなかった。兄さんが鬼になってしまったのは私の責任だ。そんな私が目を背けることなんてしていいわけがない。兄さんの為にも、今回の被害者の為にも私には見届ける義務がある。


「伊凪兄さん!!」


 私は声の限りにその名前を呼んだ。

 白髪の日下部さんと戦っていた兄さんの目が私の方を向いた。それに気づいた日下部さんが止めようとしてくれたがものともせずに兄さんは真っ直ぐ私に向かって来た。


「バカが! さっさと逃げろー!!」


 日下部さんの罵倒が聞こえてきたが私は逃げることも避けることもせずに正面から兄さんを迎える。

 兄さんの振り下ろした拳は私の頭を叩き潰すことはなく、私の眼前でぴたりと動きを止めていた。


「ごめんなさい、兄さん」


 私は手に持った発煙筒を兄さんの脇腹に押し当ていた。これは兄さんの鞄に入っていたものだ。どういうつもりで入れていたのかわからないが私にはこれを使って止めてくれと言っているような気がした。


「日下部さん!」


 発煙筒程度ではどうにもならないことはわかっていた。ただ一瞬動きを止めればそれで十分だった。


「さようなら、兄さん」


 日下部さんの背後からの一閃が鬼の太い首をきれいにはねた。私は頬が濡れるのを感じながら見届けた。

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