第2話

 翌朝、溜め息の途切れない私に優花がおはようと声を掛けてくる。


「どうしたの、元気ない?」

「見ちゃったんだ本屋で。あの人、美人の彼女がいたよ。美男美女だった」

「あー、なるほど……。やっぱり彼女いたか。……うん、元気出しなって、購買でプリン買ってあげるから、ね?」

「うん」


 優花の優しさが身に沁みる。


「あ、あの人たちだよ」


 銀杏並木を東から西へと歩くあの人を視界の端に捉えた私はそっと優花の影に隠れる。


「ごめん今日はこっち側歩くね」

「いいよ」


 すれ違うまで反対を向いていた。

 毎朝目を合わせていたけど、あの人に彼女がいると分かった今では、私にはそんな事出来るはずがない。顔を見ただけで胸がちぎれるように苦しい。


「大丈夫? あの人はこっち見てたけど」


 すれ違ってしばらくして優花がそう教えてくれた。

 きっと偶然に私と目が合っていただけで、何となく日課にでもなっていたのだろう。私が目をそらせば彼にもそんな日課はなくなるはずだ。




 優花はお昼休みに購買でプリンを買ってくれた。


「ありがとう、いただきます」


 プリンが口の中で甘く溶けていくが、胸の中までは甘く満たしてくれない。むしろ胸に溜まるしょっぱさが際立ち、ほろりと涙が頬を伝う。


「これって失恋かな?」

「すっごく好きだったんだね」

「うん、そうみたい。すごく好き――」


 好き、と口に出して改めて恋をしていたことに気付く。

 目が合うあの一瞬に心臓が鷲掴みにされ息苦しくなる一方で胸が幸せに包まれ温かく高揚していく――それが恋というものだったなんて。


 ――だけど私は彼の恋人にはなれないんだ。


 ――私は彼の恋人になりたかったんだ。


 失恋して気付く自分の気持ちが大き過ぎてどうしていいか分からない。

 もう彼を視界に捉えることも苦しい気がした。


「優花あのね、朝の通学時間、早めていい?」





 朝は今までより20分早くした。それで私はあの人を忘れられると思ったのだ。


 最初は溜め息ばかりだったけど、ひと月もすると溜め息はぐんと減っていた。でもその代わりだとでもいうように後悔が襲ってくる。


「今度は何に悩んでるの?」


 さすが親友だとでも言うべきだろう。私の機微に触れ、優しく寄り添ってくれる。


「後悔してるの。どうせなら告白して振られれば良かったって。初めての恋だったから、ちゃんと言ってそれで終わらせたかった」

「だったら今からでも遅くないんじゃない? 告白すればいいんだよ。それでばっさり振られたら私が慰めてあげるから」

「ありがとう優花」

「頑張れ、応援してる」


 そうは言ったものの、いざとなるとどう告白していいか分からない。


 朝の通学時間を元に戻すべきだろうか――そう悩む内に、好きな作家の小説下巻の発売日になっていた。


 あの人も上巻を手に『この人の本好き』と言っていたくらいだから、きっと下巻も買うのだろう。あの本屋に行けばひと月前と同じように会えるだろうかと考えた。


 だが脳裡に蘇る、美男美女の姿。


 本屋に行けばあの人の彼女も一緒かもしれない。彼女のいる前で告白は出来ない。そうするとやっぱり朝の通学時に告白したほうがいいのだろうか……。


 分からない。考えても答えは出ない。数学のように明確な解がなくて、いくらでも悩めそうだ。


 ――でももし一人で本屋にいたら、私はどうする?


 声を掛けて、時間をもらって、告白すればいいんだよ、と脳内で誰かが言った。そうだ、うだうだ考えても答えは出ないのだから、行動しよう。


「よし、とりあえず本屋に行こう」


 もしかしたらいないかもしれない。偶然なんてものはそうそう重ならないものだ。


 だけど、もし本屋にいたならば、私は勇気を出そうと思った。





 胸がバクンバクンと大きく動き、生唾を飲み込みながら本屋に足を踏み入れた。目を左右に揺らしながらあの人を探すがどうやらいないようだ。


 ――ほら、やはり偶然なんてそうそう起きない。


 会いたいけど、会いたくない。矛盾した気持ちのまま目当ての小説を手に取る。


 ――ほら、同じ事は起きない。


 今回は自分でその本を持ち上げて、そそくさと会計に行く。


 あの人がいなかった事に落胆しながらも、いなかった事に安堵していた。


 だが、本屋を出た所で私の足はぴたりと止まってしまった。


 だって、目の前にあの人がいたのだから。



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