点と点の交わる銀杏並木で

風月那夜

第1話


 制服のリボンタイは左右対称に結び、スカート丈は指定通りに膝の真ん中。

 銀杏並木に落ちたギンナンを踏まないよう避けながら学校までの道を歩く。


「おはよう優花」


 共に女子高に通う親友、優花の背に声を掛けると彼女は振り返って、おはようと言ってくれる。隣に並んで東西に延びる銀杏並木を東に向かって歩いていると、前から来た"あの人"と視線が交わりゆっくりとすれ違って行く。


「今日もあの人いたね」

「うん」


 優花と私の"あの人"は違う人。


 優花は潑溂とした笑顔で明るめの髪をした男子が気になる様子で、私はその人の少し後ろを歩く男子と目が合うのだった。


 寝癖一つない真っ直ぐなサラサラの黒髪に背筋がピンと伸びていて、目が合った一瞬だけ口角が少し上がる。物静かで優しそうな印象。銀杏の間から漏れる陽光に当たった黒髪が深緑ふかみどり色に輝いている。


 名前も知らないあの人と私たちの間に会話なんてものは勿論ない。目が合うだけでいい。それだけで胸が弾んで嬉しくなる。

 私の見た目は落ち着いてるけど、内心は浮ついていた。


 あの人と初めて視線が交わったのは入学式を終え、桜の木が桃色から緑色に変わった頃だっただろうか。


『制服から西高だって分かるけど何年生だろ? 隣の人も格好いいよね!』


 そんな優花の一言で指し示す方を見たその一瞬の事だった。お互いの視線が絡み合い、私はしばし呼吸を忘れていたのだ。

 あれから半年、この朝の時間が私の密かな楽しみになっている。


 名前も知らない、学校も違う私たちに接点など何もない。小さな点と点が交わるのはこの銀杏並木ですれ違うほんの数秒……。ただそれだけ。


「彼女とかいるのかな?」

「二人とも格好いいし、やっぱりいるんじゃないかな?」


 優花と二人で言っておきながら落ち込む。そうだよね彼女の一人や二人いてもおかしくないと考えて、胸がツキンと痛み始めた。





 放課後、優花がまた明日ねと声を掛けてくれる。


「部活頑張ってね、また明日」


 優花は陸上部に所属しているが、私は帰宅部だった。

 優花に手を振り、教科書の入った重い鞄を持つ。


「そうだ、本屋に行かなきゃ」


 学校を出ると、銀杏並木沿いにある本屋に向かう。今日は好きな作家の小説の発売日。しかも二ヶ月連続刊行され、今月は上巻、来月は下巻が出るのだ。


 一目散に小説コーナーに向かい新刊の山を上から見下ろす。


 ――あった。


 指先を伸ばすと、私より先にその小説に届く手があった。


「あ」


 思わず漏れた私の声に、その小説を持った手が驚いたように一瞬止まる。

 慌てて、すみませんと言いながら頭を下げると「君は」と頭上から声が落ちてきた。その声に導かれるようにゆっくり頭を上げると、そこには朝の"あの人"がそこにいたのだ。


「「あさの」」


 同じ言葉がつむがれた事にお互いに驚くと、彼が先にその先の言葉を繋ぐ。


「いつも目が合うよね?」


 高くもなく低くもない声音は、抑揚なく単調に彼の唇からこぼれていく。


「はい」

「何年生?」

「一年生です」

「一年か。俺は二年」


 学年が一つ上なのだと彼の情報が一つ増えて嬉しくなる。このまま名前まで聞いてもいいかな、と逡巡している内に彼が先に口を開いた。


「この本買いに来たの?」

「はい」

「じゃあどうぞ。先に取ってごめん」


 抑揚のない声とは反対に、穏やかに微笑まれて胸が高鳴る。彼は自分の手にあった小説を私に渡すと、平積みされているものを手に取った。

 些細な事なのだろうけど、彼の優しさに間近で触れる事ができ、私の胸はどんどん高鳴っていく。手渡されたこの一冊がありふれた一冊から特別な一冊になってしまった。


「俺この人の本好きなんだよね」

「私も、同じです」

「そっか、一緒だ」


 会話できた事が嬉しくて舞い上がる。


「あ、あの」


 名前を教えてください――ただそれだけ聞きたいのに声が震えていると、書店内に可憐な声が響く。


「律ー、まだー?」


 その声に反応して彼の眉間がぐっと中心に集まった。『リツ』とは彼の名前だろうか?


「うるさい、ここ本屋」


 目の前に現れたのは西高の制服を着崩し、スカートが短く脚がスラリと長い美女だった。ぽかんと見つめる間抜けな私の顔を見て美女は誰? と問う。


「律の知り合い」

「いや」


 ばっさりと否定された事に落胆しながらも、すみません、と咄嗟に謝った。


 そして逃げるように本の支払いをして急いで本屋を出ると、いつからか止めていた息を吐き出し外の空気を慌てて吸い込んだ。


「はあ、何してんだろ」


 最後に本屋の中を少しだけ伺うと、西高の制服を着た二人が仲良さそうに肩を並べているのが見える。

 あの美女は彼女なのだろうか。いや、きっと彼女なのだろう。


 そう打ちひしがれながら茜色に染まる銀杏並木を沈む夕陽に向かって歩いた。


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