エピローグ

 事件は一件落着。

 警察と病院のお世話になって、事なきを得た。

 私たちを襲った不審者は、やはり噂の通り魔で、薬物中毒により正気を失っていたのだという。それを病院で聞いていた私は、とんでもない事件に巻きこまれたもんだと、再び戦慄したのだった。ちなみに、不審者を殴ったほうの私の手だが、幸運にも折れてはいなかった。ビクトリノックスが守ってくれたのかしら、これだから最高なんだ、と改めて寵愛した。

 今回のことは、家族にはスーパー心配されたし、依本にもハイパー心配された。なんなら、依本に関して言うなら、その日のうちに電話がかかってきたほどだった。えんえんと泣きながら「死ななくてよかった」と言われた。私が死んだら、依本が泣くことを知った。生き延びてよかったと確信し、私の声も潤んでしまった。

 明るい話もしよう。

 ハロウィン以来、私と逢木くんは付き合っている。

 依本からは「本当に彼女になるつもりだったとは思わなかった」という引き気味の言葉をいただき、生野とやら帰山とやらからは〝お前とあいつが? なんで?〟という猜疑の視線をいただいている。あれほど懸命に私と逢木くんの仲を取り持とうとしていたやつらの行動とは思えない有様だな。一周目の記憶がないのだから当たり前だけども。

 あのハロウィンの日から、私は、ビジョンを見ることが――否、過去視をすることがなくなった。あれはただの記憶からのフラッシュバックだったのだから、死んで以降の記憶などあるはずもないので、当然といえば当然のことだ。

 私のちょっとした超能力ごっこは幕を閉じ、ありふれた生活を送っているわけだけど、一つだけ、気になっていることがあった。

 それは、どうして私と逢木くんが時を遡ったか、ということだ。

 私のビジョンは単なるフラッシュバックで、サイキックだったのは逢木くんのほうだったのかも、と疑った私だが、それよりももっと信憑性の高そうな人材がいたのである――沙奈々ちゃんだ。

 厳密には、沙奈々ちゃんが旧校舎のあたりに描いた、魔法陣だ。

 ハロウィンの少し前に描きあげ、ハロウィン当日も消えずに残っていたあの魔法陣。あれはたしか、沙奈々ちゃん曰く、の魔法陣、ではなかったか。

 事件があったのもあの現場で、そこで死を迎えた私と見届けた逢木くんが、タイムリープを果たした。これはどう考えても沙奈々ちゃんも魔法陣のおかげなのでは、と私は推測したのだ。


「沙奈々ちゃんまじ命の恩人」

「え、なんのことですか、先輩」

「やっぱり、私、沙奈々ちゃんのこと、もっと好きになっちゃうな」

「なにもした覚えがないのに先輩からの好感度が上がっていくの、本当に意味わかんないです」


 釈然としない沙奈々ちゃんに、私は弁解もすることなく、ただただ拝みたおしていた。沙奈々ちゃんの知らないところで、やっぱり奇跡は起きてるんだよ。そう言おうとも思ったけれど、なんとなく言わないでおいた。だって、釈然としない沙奈々ちゃんってかわいいし。

 そして、季節は十一月を迎えた。

 だんだんと肌寒くなってきて、ブレザーのジャケットを着こんでやっと冷気を免れられるくらいだ。お早いことで、依本はハイソックスから黒タイツに移行している。私はまだハイソックスで粘るつもりだけれど、屈してしまう日もそう遠くはないだろう。

 今日も今日とて、私は休み時間の教室の隅で、いちごカフェのパックジュースをズズズッと吸い上げていた。


「そういえば……告白したのはどっちからだったっけ?」


 私の前の席で携帯スマホをいじっていた依本が顔を上げる。チラッと画面が見えたのだが、どうやら恋愛系のウェブマガジンを読んでいるところだったらしい。私が付き合って以降、依本は「私も恋したい」と漏らすようになっていた。普段、依本とは、本当に他愛もない話をしているので、恋だの間の話題になることは新鮮だった。ちょっと緊張した。

 私は「えーっとね」と思い出すようにして答える。


「逢木くん……いや、私……いや、逢木くん」

「どういうこと?」

「好きだって返してやるから、お前は黙って告白しろって、私が応えてやった」

「彼女みたい」

「彼女だもん」


 私が忘れてしまっていただけで、彼が諦めてしまっていただけで、私たちはずっと、恋しあって――付き合っていたのだ。だからこそ、彼のことをなんとなく〝馴れ馴れしい〟と感じたり、私のことが好きなんだと確信したりしていたのかもしれない。絶対に私の自意識過剰が原因じゃない。絶対にだ。


「でも、意外だなあ」依本は続ける。「懐ちゃん、逢木くんとそんなに話したことなくない?」

「うん、まあ、避けられてたしね」


 依本は「避けっ?」と顔を顰めた。


「そ。私がいるから、部活だって行ってないし、だから完全に幽霊部員みたいだし。オカ研のみんなも逢木くん知らないし。あーあ。依本と沙奈々ちゃんと逢木くんにいちごカフェ持たせて、私の好きなものフォーショット撮って待ち受けにするっていう、ささやかな夢は叶わないのかしら」

「え、ちょっとときめくくらい嬉しいんだけど」


 依本は両頬に手を添えて、「きゅん」としなを作った。ゆるふわカールしたロングヘアも、それに合わせるように、肩口でくるるんと跳ねる。かわいい。 

 いちごカフェをズズズッと吸い上げた。もう空っぽのようだった。これはたいへん。


「……私、ちょっと購買行ってくる」

「まーたいちごカフェって感じ?」

「うん。なんか欲しいものあったら、おつかいしたげてもいいけど、どうする?」

「普通でかわいい、私にぴったりの名前、買ってきて」

「お前は一生、永久恋愛だよ」


 依本がガチギレしたので私は即座に駆けだした。言い逃げである。教室で顔を合わせたとき、絶交って言われたりしないかな。そうなるとつらいので、お詫びのお菓子でも買って帰ろう。

 中庭を通り、購買部へと向かう。二時間目の休み時間なので、人の往来はない。聞こえるのは囁くような木の葉のこすれと、踏みしめる自分の足音だけ。静かなものだ。朝と昼のあいだの時間らしい麦色の光と影が、まるでふわふわと溶け合っているようで、心地よい日だった。

 そういえば、前にもこうやって一人で買いに行ったことがあったっけな。

 それで、彼に話しかけられたんだ。


「別守さん」


 背後から、逢木くんの声が、私の名を呼んだ。

 たったそれだけのことが、思わず踊りだしそうなほど嬉しい。

 私は振り向いて笑いかける。


「ちょうどね、貴方のことを考えてたんだ、逢木くん」

「本当?」逢木くんは幸せそうに目を見開いた。「僕は君のことを考えてた。君と一緒に並んで歩きたかった。いい?」

「いいよ」


 あのときみたいに、並んで話をしようよ。

 そう言うと、逢木くんは近づいてきた。私はそれを待って、並んで歩きだす。

 逢木くんは財布もなにも持ってなくて、本当に私と歩きたいだけみたいだった。空っぽの手やポケットが、ものすごく愛おしく思えて、ぬいぐるみやらお菓子やら、はたまたおひねりやらを突っこんであげたくなった。

 逢木くんは私に尋ねてくる。


「いちごカフェ?」

「うん。それと、なにか他のものをごますりで買うつもり。教室で、スイーツの皮を被った鬼神が私を待ってるから。待っててほしい」

「喧嘩でもした?」

「大丈夫。なにがなんでも仲直りするから」


 依本と絶交なんて私がつらいので、いざとなったら私の名前をあげるとかなんとか言ってしまおう。ちょっとプロポーズみたいで変だけど。

 そのとき、決意する私の横顔を、柔らかく眺めている逢木くんに気がついた。

 これまでちっとも視線をくれなかった彼だけど、最近は痛いほどにこちらを見つめてきて、若干恥ずかしくていたたまれない。それでも、告白してくれるのだと期待して、裏切られていたあの日々を思えば。私を生かすためだけに、ずっとずっと言葉を飲みこんでくれた彼の日々を思えば。いまがどれほど幸せで、尊くて、偉大なのか、測るまでもないほどだ。

 それでも、やっぱり気になって、私はよそ見をしながら「どうしたの」と尋ねてみる。


「好きです」

「知ってるけど……」私はびっくりして、逢木くんを見上げる。「貴方ほど私のことを好きなひとはいないだろうし、私だって貴方が好きだけど」


 意外と熱烈な性格をしている逢木くんの、突飛な行動や言動に、最近、私は驚かされなければならなくなった。初めの告白一つをとっても、彼はまっすぐすぎる。そして、そこに脈絡は存在しない。

 私も、それなりに慣れたつもりだったけど。

 今日はまあ一段と、刺激的なことを言うんだね、貴方。

 逢木くんは、私の返答にこう返す。


「うん。ありがとう。でも、付き合っても、告白しなくていいなんて、そんなのつまらないだろ? 我慢した分も、僕は君に好きって言いたい。あわよくば君にも好きって言ってほしい。よろしく」


 はあん。なんて男だ。

 だけど、私は、逢木くんの、そのしっとりとした笑顔が、実は大好きなので、お願いされると弱いのだ。ああ、やっぱり、好きという感情は偉大であると思い知る。

 お互いに好き好き言い合うなんて、なんだそのバカップル……自分じゃなかったら殺してるな……。

 自分でよかった。

 彼に好きと言ってもらえるのが、言えるのが、私でよかった。


「……あと、名前で呼んでもいい?」逢木くんは首を傾げた。「懐、って」


 ストロー内でいちごカフェが激流した。

 飛沫が喉の奥で破裂し、噎せた私はゲホゲホと咳を吐く。

 名前。逢木くんに名前で。それは、とても、とても、あれだ。体温が一気に上昇したと感じた。だって、以前、この道を二人で歩いたときも、どさくさに紛れて逢木くんが私の名前を呼んだの、実は私、とっても緊張してたんだよ。


「やっぱりだめか」


 私の反応に、逢木くんは肩を落とした。その残念そうな仏頂面に、私はすぐに「ううん。いいよ」と答えた。


「貴方は私にとってすごく特別に好きなひとだから、呼んでいいの」


 逢木くんはたちまち嬉しそうに頬を染めた。

 なんだか恋する乙女みたいな反応だ。かわいい。

 あんまりときめいてしまったものだから、私は彼の空っぽの手を強引に掴んだ。そのまま手を繋いで、彼を見上げる。


「懐が好きだよ、ってたくさん言ってね」


 驚いていた逢木くんだったけれど、すぐにしたり顔を浮かべる。だんだん顔を近づけるようにして寄り添ってきた。いま一度告白してくれるのかしら、と私も逢木くんのほうへ顔を近づける。そして、相手の顔が見えなくなるほどの至近距離のあと、柔らかく差しだすような、吐息の触れあい。


 一寸先は闇だった。


 彼の唇が私のそれから遠のき、目の前に光が射し始めたころ、照れくさそうな彼の目に、顔を真っ赤にした私が映ったのだ。

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