元気の出るお薬
「撫子? なでしこー?」
はっ。
意識が現実世界に引き戻されると、目の前でお母さんが腰に手を当ててため息をついているのが見えた。
「もうっ、またボケーッとしちゃって。今日からまた学校なんだし、五月病は勘弁してよ?」
そうだ。ゴールデンウィークは昨日でお終いだった。だけどその間何をしてたのか、すでに記憶が曖昧になってしまっている。ただ、ムイとレースを観に行ったことだけは除いて。
そのとき唇に感じた柔らかさだけはくっきりと残っていた。出来心とはいえ、何であんなことをしてしまったのか……。
「ご飯、早く食べなさい。冷めちゃうわよ」
「あ、うん」
我が家の朝食は最低限でもご飯と味噌汁が出る。今朝はそれに加えて、河邑家が所有している畑で採れたキャベツを入れた卵炒めがついていた。いただきます、と手を合わせてから卵炒めに箸をつける。
こころなしか、味があんまり感じられない。我が家の畑で採れる野菜はどれも美味しいのに。
「ありゃ。今日も元気が無いのう、撫子」
ひいばあちゃんが遅れてダイニングに入ってくるなり、そう言われた。ひいばあちゃんは御年80を越えているにも関わらず、背筋は真っ直ぐでそれこそ元気に満ち溢れている。
「いいえ、大丈夫よ」
「強がらんでもええ。元気が出るいい薬をやろう」
「薬?」
ひいばあちゃんが渡してきたのは本物の薬ではなく、朝刊だった。
「地域面を読んでみい」
何が載っているんだろう、と地域面を開いてみると、たちまち見出しに釘付けになった。
『工事中に大量の土器片が見つかる 新しい遺跡か』
大半の人にとってはどうでも良いことかもしれないけど、私にとってはビッグニュースだ! しかも場所は空の宮市北西部の星川地区と近い。早速、記事の詳細を読み進めていく。
星川地区では現在大規模な用水路整備事業が行われているのだが、星川という水源があるために元から古代から中世にかけての集落跡が多数見つかっている。そのため工事に際して未発見の遺跡があるかもしれないということで慎重に試掘を行っていたのだが、やっぱり見事掘り当てたという次第だ。
「ほっほっほっ、ばかに真剣に読んどるなあ。新聞に穴が開いてしまうぞ」
「だって、新しい発見があるかもしれないのよ? うわあ、いつの時代なんだろう」
「ほっほっほっ、すっかり元気になったのう」
そう、このときだけはムイのことが頭からすっかり消えてしまっていたのだった。それでもあくまでこのときだけだけど。
朝食を終えて家を出て歩くこと5分。休み明けで鬱々としている生徒たちを尻目に校門をくぐったら、ジャージ姿のムイと出くわしてしまった。朝練上がりだろうか。
「あっ、おっ、おはよう……」
「おねーさん、おはよう!」
気まずい思いをしている私とは対照的に、ムイはニコッと笑って元気よく挨拶を返した。ますますいたたまれなくなってくる。
「あの、この前は本当にごめ――」
「ねーねー、知ってる? 星川の近くで土器のかけらが見つかったって!」
私の言葉を遮って、ムイは周りの生徒が振り向くぐらい大声で言った。
「え、ええ。新聞にも載ってたわね……」
「じゃあさー、今度一緒に発掘現場を見にいこーよ!」
「はい?」
「今、はい、って言ったね? 決まり!」
ムイのアホ毛がせわしなく動き出した。
「いやその、ちょっと落ち着いて?」
「んー?」
アホ毛の動きが止まる。
「その、私、あんなことしちゃったのよ? ムイは何とも思ってないの?」
「あんなこと? あーはいはい。全然気にしてないから!」
気にしてないのだとわかったのなら喜ばしいはず。だけど逆に、何だか心臓に重りをつけられたような気持ちになって。
その理由は、私も一応の経験者だからわかっていた。やはり私はこの子のことが好きになってしまっているのだ。
ムイが顔を近づけてきた。
「うーん、ちょっぴり元気無いね。休み明けだから?」
あなたのせいよ、なんて言えない。自分が種を撒いたのだから。
ムイはニパッと笑う。
「だったら私と遺跡デートして元気出そー!」
「でっ……」
何を言ってるの。この子、私を弄んでいるつもりなのだろうか。だんだんムイの笑顔が小悪魔のように見えてきた。
だけどここで断ったら「あんなことしておいて?」なんてやり返されそうだし、新しい遺跡は是非見てみたいところだ。特に発掘現場は滅多に見られるものじゃないし。
それに、万が一ムイが私に……ということもあるし。気にしていないから誘えるのか、気があるから誘ってきたのかは無神経に本人に聞かない限り知る術はない。
いずれにせよ、選択肢はただ一つだ。
「わかったわ。いつにする?」
そんなわけで、ムイとの遺跡デートが決まったのであった。
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