石槍投げ
日本史最大の謎は、やはり邪馬台国がどこにあったかであろう。
畿内説と九州説、最近では四国説なんてのも飛び出してきたがとにかく、長年論争が続いておりいまだに決着がついていない。いや、私の中ではもう畿内説で確定だと思っているのだが。奈良県の
本題に入るが、実は私には恋人がいた。中等部ニ年の頃、当時山岳部の部長だった先輩の友人がいわゆる歴女で、一緒に日本史の話をする機会があった。背は小さく見た目も仕草もウサギのように可愛らしくて胸がキュッとなった。まさしく、この前グラウンドでムイを見たときと同じように。
しかし歴女の先輩に対しては単に愛でたいという気持ちにとどまらず、歴史についてあれやこれやと話して盛り上がるうちに恋が芽生えたのである。
告白したのは私の方からで、勇気が要ったもののあっさりとOKが出て拍子抜けしたが、ともかく恋が実ったことに浮かれていた。今思えばもっと相手のことを知るべきだったと後悔している。
ここで話を邪馬台国に戻す。恋人どうしになってからちょうど一ヶ月経った頃、纏向遺跡から新たな土器が出土したというニュースが流れてきた。それをネタに話をしたところ、彼女は露骨に機嫌を悪くして「邪馬台国は九州にあるから」と言い張った。そこから口論になってしまい、自分も引き際を知らなかったからどんどんエスカレートしていった。
その結果、あっさりとお別れを切り出されてしまった。元カノとは一度だけデートで一緒にスイーツを食べたぐらいで終わってしまったのだ。それからというものの恋愛面は全く上手くいっていない。良いな、と思った子は何人かいたけど歴史に関するディープな話題をしたら引かれて、それでお終いだった。
私と気が合うのは、やはり歴史に造形の深い子でなければならないようだ。その点、ムイはどうだろうか。縄文時代を具現化したようなあの子なら、気が合うかもしれない。それに可愛いし。いくら石斧を振り回そうとも、石弓を射ようとも、石槍を投げようとも。打製石器と磨製石器について一晩中語り尽くしてみたい、と本気で考えていた。
でも彼女の人となりはまだよく知らない。彼女のことを知りたい。もっと深く知ってみたい。そしたら――
*
「河邑さん、河邑さん!」
「はっ!?」
名前を呼ばれてようやく我に返った。くせっ毛の生徒、
「何ボケッとしてんの」
「ごめん、ちょっと邪馬台国のロマンに思いを馳せていたわ……」
「感想のところだけ書いて。他は全部書いといたから」
冗談が全く通じずにスルーされて、いたたまれない気持ちになってしまった。
私は「今日の感想」欄に当たり障りのないことを書いて、桶屋さんと一緒に職員室まで日誌を提出しに行った。担任は感想について何も言わなかったが、桶屋さんが記入した今日の時間割について指摘してきた。日本史担当の愛瀬先生の「瀬」のさんずいがにすいに見えるというのだが、確かにさんずいの真ん中の点が小さい気がしたものの、私にはにすいに見えなかった。それなのに教師の名前を間違えるなんてあり得ない、それで社会に通用すると思うな、と上から目線で説教してきたのだ。ほとんど桶屋さんが責められていたが、私にもとばっちりが来て、お前もよくチェックしろ云々と叱られた。
この担任、何か桶屋さんに恨みでもあるんだろうか。私の中で、担任の株価はブラックマンデー並みに大暴落した。
職員室を出たところで、桶屋さんが謝ってきた。
「悪かったわね。あたしのせいで」
「いやいや、あれはどう見てもいちゃもんをつけているだけよ。あの人だって去年の授業で私のことを"河本"って間違って呼んだことがあるのに。何で人のことを言えるのか不思議だわ」
「あたし、目をつけられてるから。去年からずーっとね。あなただって知ってるでしょ? 私の悪い話」
桶屋さんは旧1年2組、あの担任のクラスだった。彼女は集団行動が苦手なところがあり、昨年の星花祭では準備を一切手伝わなかったという。それで担任に目をつけられたのだ、と桶屋さんは語った。
もちろんこれは桶屋さんが悪い。彼女の性格について陰口を叩く声も、残念ながら聞いてしまったこともある。だけど新しいクラスになってからは、言われている程の問題行動を全く起こしていない。現に日直の仕事もちゃんとやってくれているし。担任はそこを見るべきだ。
「よっ、ハル!」
背の高い、茶髪の生徒が後ろから桶屋さんに抱きついてきた。
「イブキ、こんなところでやめなさいってば」
「つれないこと言うなよー」
「桶屋さん、その人は?」
生徒はブラウスの第二ボタンまで開けていて、ネクタイやリボンをつけていない。学年は判別できないが、何だか不良っぽい感じがする。
「あたしの……」
桶屋さんはうつむいたまま、小指を立てた。
「え!?」
「え、て何? いたら悪いの?」
抜けている「恋人が」という主語を、私は脳内で補う。
「いえ、そういうのに興味なさそうだって勝手に思いこんでたから……」
不良っぽい人が私に向かって笑いかける。
「ちょっとハルを借りていい?」
そう言うものの、私の返事を待たずに桶屋さんを連れて行こうとする。
「もう……河邑さん、そういうことだから」
そのとき見せた桶屋さんの顔は頬に薄っすらと赤みがさしていた。いつものように冷徹な感じではない、恋をしている一人の少女そのものの顔であった。
桶屋さんが変わったのは恋のおかげに違いない。やはり恋は良いものだ。どうやって二人が知り合ったのが聞きたい。でも桶屋さんの性格上、教えてくれないかもしれない。
桶屋さんはおそらく教室に戻ってこない。私は通学カバンを持ち出して、教室に残っていたクラスメートにさよならを言って校舎を出ていった。
今日は山岳部の活動日ではない。だけど真っ直ぐ下校せず、グラウンドの方に足を向けた。ムイに会うためだ。急に彼女の顔が見たくなったからだ。
*
この日はソフトボール部がメインでグラウンドを使用していたが、陸上部も隅の方で練習をしていた。
いや、練習にしては何かおかしかった。部員の一人が槍を肩に担いでいたが、それはムイが作った石槍だった。そして部員の視線の先には、大きな丸太が置かれている。
部員は助走をつけずに、「えいっ!」と掛け声を出して丸太目掛けて槍を投げつけた。槍は丸太をかすめて、その後ろに落ちた。
「ああー、おしいー」
そう言ったのはアホ毛の少女、ムイだった。彼女はまるで私が来るのがわかっていたかのように、声をかける前に私の方に振り向いてきた。
「わ、撫子おねーさんだー!」
アホ毛がぴょこぴょこと可愛らしく動く。犬がしっぽを振るみたいに。
「こんにちは、ムイ。これは何の練習?」
「いや、休憩中。ストレス解消してんの。ブスッて突き刺すと楽しいよー」
ムイは槍を投げる仕草をした。危なくないんだろうか……まあ、槍投げ競技だって危ないんだけど。
ムイの後ろでは別の部員が石槍を投げようとしている。ムイよりもさらに一回り小柄で、ゼッケンに大きく「りつ」とひらがなで名前が書かれていた。
「えいやー!」
『りつ』さんが投じた石槍は、見事命中。丸太は石槍を抱えたまま豪快に倒れた。
「やったー!」
「りっちゃんおめでとー!」
ムイは景品のつもりか、『りつ』さんにプロテインバーを渡して、頭をナデナデした。
「ついでだから撫子おねーさんもやってみよーよ」
「私が?」
「うん、どうぞー」
私の返事を待たず、石槍を渡してきた。手にすると思っていたよりも重い。『りつ』さんもだけど、小柄な体でよく扱えるなあ。
穂先は黒曜石で出来ていてきちんと流線型に整えられており、陽の光を受けてきらめいている。縄文時代の人たちは実際にこれで狩りをしていたのだ、と思うと感慨深いものがある。
部員たちがガン見してくる中、部外者の私は丸太に対峙する。人類が進化の過程で獲得した「投げる」という動作。これによって自分が腕の届く範囲外の獲物を仕留めることが可能になった。私は縄文人になったつもりで、石槍を担いだ。ただ丸太に当てるだけじゃ味気ない。丸太を何かに見立ててみよう。マンモスか、鹿か、猪か。
不意に、担任が桶屋さんに理不尽な叱責をしたことを思い出す。すると丸太の姿はたちまち嫌な担任の姿と重なった。よし、担任は集落の掟を破って処刑されるならず者ということにしよう。我ながら残酷な設定だと思うけど、そっちの方が気合いが乗りやすい。
私はつい叫んでしまった。
「死ねーっ!」
見様見真似の格好で投げた石槍は自分でもびっくりするぐらいに綺麗に真っ直ぐ飛翔して、丸太のど真ん中に突き刺さった。
「うわー、すごーい!! ど真ん中だー!!」
ムイが飛び上がって喜んでいる。部員たちも拍手喝采。
「でもおねーさん、死ねだなんて物騒だねー。何か嫌なことあったの?」
「いやあ、それは聞かなかったことにして……」
「うん、じゃあ聞かないでおく。はい、これ食べて元気だそう」
私はプロテインバーを受け取った。今日のおやつゲット。
「それと、ごほーびのなでなで」
ムイの手が私の頭を優しくなでてきた。凄く暖かくて気持ちのいい感触だった。
「ありがとう。凄く元気が出てきたわ」
「えへへー」
小首をかしげて笑うムイ。石槍をぶん投げて胸がスカッとしたところでのこの笑顔は反則だ。可愛すぎる。
★★★★★
ご登場頂いたゲストキャラ
桶屋春泥(カンバラ・ライカ様考案)
米原伊吹(神岡鳥乃様考案)
登場作品:『春の伊吹』(神岡鳥乃様作)
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=12174685
りつ→榛東葎(煉音様考案)
登場作品:『実る果実はやがて花咲く。』(しっちぃ様作)
https://ncode.syosetu.com/n7615ey/
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