#3 街角に立ちこめる噂話

【BAR古都奈良*お品書き】

#1 オブリビエイト

#2 ロスト・メモリー

#3 トリプル・トリップ



 そこに書かれていたのは、乱暴な六科ムジナの印象を大いに覆す程の、可憐な飾り文字で書かれたメニューと思しきリストだった。

「なにこれ?」

 蜜玻みつはは如何にも胡散臭いといった声をあげた。

「ここ、何の店だと思う?」

 六科はニンマリと口角を上げて、キョトンとした琥珀こはくと訝しげに眉をひそめる蜜玻を交互に眺めた。

「何って、BARというか、喫茶店でしょ」

「だ〜か〜ら〜、何がの喫茶店だと思うかって聞いてんだよ」

 繰り返し問われた琥珀と蜜玻は互いに顔を見合わせ、もう一度お品書きに視線を戻す。

「う〜ん、これがメニューだって言われてもなあ。忘却、記憶喪失……旅行?」

「でも、この流れだと『トリップ』は幻覚とか陶酔状態とか……なんか危なげな意味合いにも思えるんだけど。トンチなのかな?」

 ヒソヒソとやり取りする二人をよそに、六科はいつの間にかウサギとカメの異人いとが雑談を続ける席へ移動して、けしかけるように話しかけている。

「おい! オマエラ、いつまでも水だけで居座りやがって。二人で一皿のホットサンドをチマチマ食ったっきりじゃねえか。これでも喰らえ!」

 テーブルの上に山盛りのポテトフライと二つの豆皿をコトリと乗せると、歓声が上がった。

「おお! 気が利くじゃねぇか」

「流石だな、六科!」

 豆皿にはそれぞれケチャップとマヨネーズがたっぷりと注がれている。最後にコンと音を立ててタバスコの小瓶を置くと、六科は威勢よく言い放った。

「ったく、後でたんまりふんだくってやるからな」

「わかった、ワカッタ」

「お前のサービス精神とポテトフライに乾杯!」

 フンと鼻を鳴らしてカウンターに戻ってきた六科は、面白く無さそうにグラスに注いだ水をあおった。

「イイやつだな、あんた。客の無意識の意識を汲み取って、提供するのか」

「あん? んなこたぁ、普通だろ」

 琥珀は六科のハチャメチャな言動の中に隠された気遣いを気に入ったらしい。ニコニコと声をかけると、六科ムジナは益々不機嫌になった。


「う〜ん、ここに入るには『とうふにかすがい』か『のれんにうでおし』のどっちなんだろ。。わかりやすい答え一つならいいのに」

 両手でカップを包み込むように持ってシナモンティーを飲み干したクロスワード少女は、まるで「どちらとお付き合いしようかしら」とでも言いたげな物憂げなため息をついている。

「で、アンタラは決まったのか?」

「え? 六科さんが僕たちにピッタリなのを選んでくれるわけじゃないの?」

 蜜玻が意外そうな声を上げると、六科はウンザリだとでも言いたげな顔をした。

「初めて来たヤツのことなんか知るかよ」

「そりゃあ、尤もだ。じゃあ、この三つから選べば良いんだな?」

 琥珀は楽しそうに問いかけた。

「ああ。それはな、チョコレートをいくつ食べるかって選択肢だ」

「「チョコレート?」」

 六科の口から不意に飛び出した、初めてのまともな説明らしい説明に、二人はすかさず食いついた。

「そうだ。ここはな、元々、酒の入ったチョコレートの店だ。なのに態度のデカイ常連客のおかげで、何の店かわかんなくなっちまったんだ」

 やれやれと言った様子で店内を見回す六科は、別にそれならそれで構わないといった風だ。実際、客が喜べば何でも良いのかもしれない。

「そう言えば対価の表示が無いみたいだけど……」

「あったり前だろ。ここで体験したことの価値を決めるのは俺じゃねえ。客が感じたままに置いてくんだ」

「へえ、それはそれは」

「もちろん俺は誰がいくら置いてったかなんて野暮なことには興味ねえ。みんな、帰る時に、そこの猫に食わせるんだ」

 六科が顎でしゃくった先で、黒い招き猫が小判を片手に掲げた手を招いている。口元に穴が空いており、そこに対価を投入するらしい。

「でも、払わずに出てっちゃう人も居るんじゃ……」

「俺が逃がすわけねえだろ。が、今は手持ちがねえってこともあるだろうさ。そういう時は『出世払い』となるわけだ」

 六科は未だクロスワードパズルを睨みつけている少女をチラリと見やった。

「そもそもな、金のために働くだなんてつまんねえだろ。俺は自分がオモシロイと思うことを日々やってるだけだ」

 少なくともこうして常連客が居て、店を開けている以上、それで成り立っているのだろう。



「なあ、そう言えばさ、聞いたか? あの、居なくなっちまったってよ。ある日突然……」

「ああ、あのお騒がせコンビな。道理で最近平和なわけだ」

「なにかと追いかけっこしている割に、一向に捕まらなかったよな。どうせジャレてただけだろ」

「さあな。でも、最近そういう話がチラホラと増えてきたな。アイツもあれだろ? 逆だけど」

「それって、最近『琥珀食堂アンブル』で住み込みバイト始めたやつのことか?」

「そうそう。なんでも他所者らしいじゃないか。もちろん旅行者ってわけじゃなく」

 ウサギとカメの異人いとは、ポテトフライを摘みながら雑談を続けている。

「俺がある日突然消えちまったら、六科は寂しがるだろうな」

「ああ、同感だ。俺が消えたって、六科は寂しがるだろうさ」

「違いねえや!」

 わざとらしい大声の後、ゲラゲラと笑い声を上げるウサギとカメの異人いとを無視して、六科はチョコレートに話を戻した。



「例えばな、その日、なことあって、ぽろっと忘れたい時があったりするだろ。そういう時はうちの特製チョコレートを一粒食う。そうすると、モヤモヤと考えていたことなんて、どうでも良くなっちまうんだ」

「へえ。それがつまり『オブリビエイト』だな」

「そういうことだ」

 琥珀の合いの手に応えるように、六科は得意気に言った。やはりチョコレート店の主としてのプライドは少なからずあるのだろう。


「じゃあさ、『ロスト・メモリー』は?」

 蜜玻は少し興味が湧いたようだ。

「それは引きずっている過去の出来事だとかをさっぱりさせるんだ。今から未来さきを生きていく上で、どうしようもなく邪魔な記憶があったりするだろ? トラウマになるようなショッキングな出来事だとか、不遇の生い立ちだとか」

「記憶を消しちまうのか? 奇麗さっぱり洗い流すというか……」

 六科の説明を、いつになく真剣な顔つきで聞き入っていた琥珀が尋ねると、六科は軽く頷きながら、付け加えるように言った。

「酒とチョコレートのカロリーで焼き切るイメージかな」

「記憶の焼却……?」

 蜜玻は確認するように六科を見上げながら呟いた。六科が発する言葉の信憑性は定かではないが、蜜玻が汲み取ったその言霊おと振動いみは、『記憶の焼却』を表しているらしい。


「ふうん。じゃあ、『トリプル・トリップ』も記憶に関することなの?」

「言葉通りだ」

 キリッとした顔つきできっぱりと言い放つ六科に対し、蜜玻は困った顔を返した。

「トリプルは三つチョコレートを食うこと。そのステップには一、二のくだらないことを忘れちまうステップが含まれてる。そうして心機一転トリップするんだ」

「だからさ、トリップって色々意味があるでしょ?」

 むくれ気味に言う蜜玻と泰然とする琥珀を交互に眺め、六科はニヤリと微笑んだ。

「つまりだな……」

 声を潜める六科に、琥珀と蜜玻は殆ど無意識に身を乗り出して耳を寄せた。

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