魔女の庭、籠猫の窓
#4 古の神社を駆け抜ける松明
神社の鳥居のすぐ前にある喫茶店『
すぐ近くには、大胆に切れ込みの入った大きな葉を持つモンステラの鉢植えがあり、それを日傘にして白い影が佇んでいる。狸の姿をしたそいつは信楽焼の置物だ。
俺と狸とモンステラ。
この三者が茶と焼き菓子の喫茶『
窓から見える
いや、「だった」と言うべきか。
普段は賽銭箱の中身をくすねる程度だが、祭りの日は稼ぎ時。
それが俺の人知れず祭りを楽しむ方法だ。
だが、忘れもしない昨年の秋祭り、十月三十一日。
懐と腹が満たされた頃合いに、いつものようにアイツが現われた。
そう。犬のおまわりだ。
確たる証拠がないものの、俺のことを怪しんで付け回し、現行犯逮捕の機会を狙っている。
「よう、
「
とまあ、いつもの掛け合いとともに、いつもの追いかけっこが始まったわけだ。
まあ半分遊びみたいなもんだ。
華麗に人混みをすり抜ける俺を、
俺は神社に立ち入るのに挨拶なんてしない。つまり鳥居の前で深々と頭を下げて、くぐり抜けるなんてことはしない。この日だってそうだった。
境内を駆け回り、名物の大焚き火の横をすり抜け、そろそろ撒いてやろうかと、また鳥居方面へ足を向けた。で、ゴールテープを切るようなつもりで、気まぐれに鳥居を逆方向から、つまり内から外に向かってくぐったんだ。
「ミケ、角のたい焼き屋、新フレーバーが出たらしいねえ」
唐突に話しかけられ、回想への陶酔から引き戻された。
おいおい、婆さん。俺は
思索を中断されたことも相まって実に腹立たしい。無言の自己主張のため、首元のチョーカーに吊るした『Mike』と刻印のある金のタグを見せつけた。
喫茶店『
だが実際はそんなファンタジーなもんじゃない。
カウンターの中は計器やモニタ、操作盤で溢れかえっていて、地下には
さらにはおもてなしを堪能した後のレビューや、コミュニケーションの中で得た情報、入店時にスキャンした体温や発汗量、肌質、睡眠量までも機械学習させることで、常連客ともなると、店に入った時点で注文が自ずと確定するのだ。
おまけに茶の抽出も焼菓子の盛り付けも、
このハイテク好きの『
裏庭のハーブ園の散水や照度管理、収穫・保管管理の自動化は勿論、最近は契約農家の温室までもIoT化し、茶やハーブの生育状況のデータ解析をすることで最適な栽培環境の提案もしているらしい。全く、末恐ろしい婆さんだ。
で、店の営業中は、ただのんびりと、客とのおしゃべりを楽しんでいる。
「おば〜ちゃん、来たよ〜」
カランコロンという音と共に、近所の女子高生が入ってきた。この店の馴染みで、よく学校帰りに寄って宿題をしていくのだ。
アンティーク調のソファや調度品に異世界感があるのも、この店を気に入っている理由の一つらしい。
「おや、
「おばあちゃんにもね」
そう言って、俺が居る窓際の席にストンと腰を下ろした。程なくして、透き通る液体が入ったカップがテーブルに乗る。香りから察するにミントティーだろう。
「おばあちゃん、暑いのにホットなの?」
「下手に冷たいものを飲むよりね、温かいものを飲んだ方が発汗作用で体温は下がるんだよ。清涼感のあるミントなら、口当たりも爽やかだろ」
「ナルホドね〜」
「ニケ〜、今日も監督ヨロシクね」
ちなみに俺は黒猫だが、白靴下と白い胸毛が自慢なので、
「ねえ、ニケ。栗餡のたい焼き、美味しかったよ。次は薩摩芋餡のにしようかなぁ」
璃珠が俺の耳の付け根や顎の下を撫でながら、聞き捨てならない話題を口にした。
俺は三度の飯よりたい焼きが好きだ。もちろん尾頭付きでいただくのが通だ。
よって、ゴロゴロと喉を鳴らし、猫撫で声を出してみた。
今度俺に献上してくれよ、って言いたいわけだ。
璃珠は時折ミントティーを口にしながら、タブレットに表示された宿題を黙々と始めた。
別に放っておいても勝手に進んでいくのだ。俺はここに居るだけでいい。生理現象のままに欠伸をして、丸まっていた背をぐっと伸ばしてコリを解した。
スタイラスペンで直接タブレットに書き込めばいいものを、わざわざガラスペンとお気に入りのインク『星月夜』でノートに書きつけるのは、璃珠のアナログに対する拘りだそうだ。
ノートには深みのある濃紺に細かい黄や白銀のラメがチラついている。
俺にはよくわからないけれど、そのレトロな感覚が好きらしい。
「えっと、『樹木を擬人化せよ』? う〜ん、そうねえ……『ソファ席にはタブレット端末で静かに読書するしわくちゃのご老人。男女の区別があやふやで、もうずっとそこに根を張っているような独特の雰囲気……』なんて、どうかな」
サクサクと進んでいく宿題の内容はどうやら作文らしい。
俺だって、かつてはこうした『宿題』に取り組んだことがある。まあ、面倒だったから大抵はチョロまかしていたけれど。
俺は黒猫の
だが、どういうわけか、あの日あの鳥居をくぐって以来、人の姿になることができない。まるではじめから、俺はただの猫、英雄はただの犬みたいだ。
そもそも、ここには
これには流石の俺も驚いた。
『人間』なんてSF小説に都合よく登場する幻想種だと思っていた。
まさか本当に居るだなんて。それとも俺たちがSF小説の世界にでもダイブしてしまったのか……
あの日鳥居をくぐった先に突如現われたのは、人の大群と燃え盛る大松明だった。ふんどし一丁になって頭から水を被った野郎どもが、神社前の参道でバカでかい松明を引きずり回していたのだ。
後から知ったことだが、それがすぐそこの神社で最も盛大に執り行われる秋祭りらしい。
あの時、俺は意図せず人から猫の姿になった。鳥居をくぐり抜けた瞬間に、だ。
目線の高さが急に変わったから間違いない。勢いのままに人の波に突入し、危うく轢き殺されそうになった。降り注ぐ火の粉の中を命からがら走り抜けて、この喫茶店『
人の姿になれない俺たちは、かつてのように追いかけっこに興じることはなくなり、代わりにこの不思議な体験を共有できる唯一の友になった。
奇妙なことに、ここで関わる誰も彼もが、ずっと前から俺たちを知っているかのように振る舞い、当然のように馴れ馴れしく接してくる。
婆さんはあの日、「おかえり」と言って俺を迎えたし、ここで看板猫をするのが俺の役割だと言わんばかりに、出窓の籐籠にはお誂え向きの柔らかな毛布が敷き詰められていた。
数日後にヨロヨロと現われた
俺たち自身が此処に居ると実感している以上、これが現実なのだろう。
何より、『今』より先を生きていくためには、その場、その環境に適応する必要がある。だから俺は面倒臭がりながらも、この籐籠の中で愛想を振りまくし、
それこそ、この世界が俺たちに与えた『役割』なのだ。
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