#5 虚構の中の現実は記憶の果てに
「ねえ、
「そりゃあ、まあ中心部を離れて、奈良の縁取りを確かめに行くだろ。広いからなあ、奈良は」
「何言ってるの。まだ何も知らないでしょ」
不意に耳慣れない声が聞こえて顔を上げると、カウンター席に二人、腰を下ろして婆さん自慢のマフィンをぱくついていた。
って、マフィンを作ってるの、
いや、そんなことより……
一体、いつの間に?
客が来たことを知らせる扉の鐘は鳴っただろうか。
カランコロンという音の記憶はある。だが初めて見るこの二人の来訪とはどうにも結びつかない。まるで唐突に……
召喚でもされたかのような……
まさか、な。如何に婆さんがコンピュータおばあちゃんでも、流石にそんなことはできまい。
「あんたら、奈良は初めてかい?」
「ああ、そうだ。これからこの四方を山に囲まれた土地を巡るんだ」
「へえ、そうかい。そりゃあ、
婆さんも当然のように、いつもの雑談を繰り広げている。
ということは普通に入ってきた客なのか。
どうにも、変わった組み合わせに視える奴らだ。
一人は中肉中背の大人。
細身のジーンズに白いTシャツ、そしてストールをひょいと引っ掛けている。足元はカジュアルなサンダルで、近所から散歩ついでに手ぶらでやってきたような、お気楽そうな身なりだ。
もう一人は小学生くらいの子供。
蜂蜜色のふわふわとした猫っ毛は、黒猫の俺には少しばかり羨ましくもある。アイボリーのブラウスにカボチャみたいなコロンと丸みのあるサマーコーデュロイのショートパンツは幼く見えるものの、革のショートブーツと頭に角度よく乗せたベレー帽から、少なからずマセた印象を受ける。
この二人の関係はどうにも分かりづらい。親子と呼ぶのはしっくりこないし、かといって兄弟でも、年の離れた親戚でも、もちろん恋人同士でもなさそうだ。
見かけの年の差を超越して、どこか対等な雰囲気がある。
個々はそれ以上にコレと言って特徴の無い、と言ってしまえばそうなのだが……
特徴が、無さすぎるんだよな。
大抵の
「で、
「「ペンとノート?」」
婆さんの問いかけに、二人組の声がハモった。
「そうそう。タブレット型のデジタル機器が主流だけど、そこの
「なんでそんな事聞くの?」
蜂蜜色の髪の子供……
「だって、他所から来たんだろ? だったら、この土地で見聞きしたもの、体験したことを記録すると良いよ。そうするとね、想像力が湧いてくる。それはいずれ創造の
婆さんが言うと、駄目な大人風の……琥珀だったか。そいつの目が真剣味を帯びた。
「ああ、そういうことか。それなら持ってるぞ。なんせ俺たちは『
琥珀のやつ、やけに堂々たる言いぶりだ。
「へえ、よく解ってるじゃないか」
婆さんはしみじみと頷いて茶を啜った。
「それが、俺たちの役割だからな」
なんだ? 婆さん、今、心底嬉しそうな顔をした気が……
琥珀とかいう奴のフザケた雰囲気が、いつの間にか薄れている。真面目な顔をして、黄色くて薄いノートを取り出し、ペンを添えてカウンターの上に乗せた。
おいおい。今、どこから取り出したんだよ? その
「へえ、珍しいね。万年筆のユーザーとは」
「お! 婆さん、知ってるのか! こっちのフィールドノートは支給品だが、万年筆は違う。何を隠そう、俺が敬愛する
「あぁ……お婆さん、この話題は危険だよ。終わらないから……」
蜂蜜色の
「
琥珀が暑苦しく語り始めると、
蜜玻は溜息をつきながら、カップにたっぷりとミルクと砂糖を注ぎ、婆さんは湯呑に注がれたあったかい番茶を啜りながら、琥珀の熱弁に耳を傾けている。
はじめは違和感を感じたけれど、もはやお馴染みの光景だ。
そんなものはもう飽き飽きしているから、せっせと宿題を進める
「えーっと、『人の外見と中身は異なることが多く、外見だけで軽々しく判断してはいけない』は『人は見かけによらぬもの』。次は、『手応えが無いこと』? 確か『豆腐に
どうやら慣用句か何かを当てる問題らしい。こちらはこちらで、何が面白いのやら。璃珠は飽きもせず、宿題に取り組んでいる。尤も、宿題そのものではなく、インクを吸わせたガラスペンで紙に書きつけること自体を楽しんでいるのだとは思うが。
「最後は、『一見関係が無さそうでも、実は同類』ね。これって、なんだっけ?」
さあな、俺に聞かれても困る。
まあ、薩摩芋餡の尾頭付き鯛焼きを献上してくれるなら、一緒に考えてやらないでもないけれど?
ゴロゴロと喉を鳴らしてアピールする。
紅茶を飲んだ蜜玻がふぅと一息つき、婆さんに尋ねた。
「ねえ、お婆さんってさ、何の
なんだと? 今、『
「さあね、なんだと思う?」
婆さんは飄々と茶を啜る。
「おい、俺の話を聞けよ」
「琥珀はもう一人で喋っててよ」
おいおい、婆さんも『
いや……適当に話を合わせているだけなのか?
「そう言えば、掴みどころがないって、あの白い獣もだよな。なあ、婆さん。この店にふっさふさの白い毛の犬みたいな生き物いるだろ? 俺たちより先に入ってくのを見たんだ。アレって何処に居るんだ?」
琥珀が婆さんのカウンターに少々前のめりになった。俺は傍らのモンステラの下に佇む白い影を横目で見る。
白い獣……って、こいつのことか? だが、この狸は信楽焼の置物だぞ?
「白い犬みたいな生き物? ここには黒い猫しか居ないよ」
婆さんが俺に視線を寄越すと琥珀と蜜玻もこちらを見たが、特に興味も無さそうに婆さんの方へ向き直った。
全く、失礼しちゃうぜ。
そんな俺の心を読んだかのように、璃珠がふふっと静かに笑った。
「ああ、その黒猫の友達に白犬が居るけどね。でも、時々ここへやってくるけれど、中には入って来ないし」
「ふうん。まあ、いいや。で、婆さんは何の
琥珀の興味はそう長くは続かないらしい。
「ふふふ。
「なんだよ、はぐらかすのか」
「さてねえ」
いつまでもダラダラと続きそうな雑談に興味は無いが、聞き捨てならないのは『
この世界には
まさか、コイツら……
「あ、思い出した! 『同じ穴の
閃いたことが嬉しかったのか、璃珠が不意に大きな声を出した。
そしてハッとして、ゴメンナサイとカウンターの方へ視線を送った。
「あれ? ムジナ……って、どこかで聞いた気が……」
蜜玻が怪訝そうに首を傾げると、琥珀も何かを思い出そうとしているのか、コメカミをトントンとやり始めた。
「えーっと、何だっけな。てか、タヌキってのも聞き慣れないな。何だそりゃ?」
「ああ、あんたら他所から来たなら、狸には馴染みが無いかもね。そうだね、アライグマみたいなやつだよ」
「「アライグマ?」」
「そうそう。ラクーンさ。狸はそれに似た……ああ、確か犬っぽいからって、ラクーンドックって呼び名もあるね。ふふふ」
婆さんは愉快そうに説明した。
「さっき、そこの
「ナルホドな〜」
納得顔の琥珀の隣で、益々眉を潜める蜜玻。
という二人組は対照的で中々面白いが、今の俺の関心事は、もはやそんなことではない。
もしかしてコイツら、俺が元居た世界から来たんじゃないだろうな。しかも、人の姿のままで。
元の世界に戻りたいか、についてはどちらでもいいけれど。
俺はちらりと璃珠の様子を伺った。
宿題を終えて、いつものように、タブレットでWEB小説を読み始めたところだ。
人の姿になることは……俺と
この琥珀と蜜玻という自称・
「ねえ、ニケ。最近、連載が始まった『異都奈良の琥珀食堂』ってWEB小説があってね。小説に登場する場所を推測して、実際に奈良で
わかった、わかった。そんなことくらい、俺が……
いや、その、なんだ。
俺が人の姿になれたら、いくらでも……
だから……
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