#2 隠れ家的な仄暗いランプの下で
真薬師寺の
これが先程この都に来たばかりに過ぎない
「ねえ、琥珀。ちょっと休憩しようよ」
『独創カレー琥珀庵』と『スパイスカレー
「ん? そうだな。じゃあ、あの店はどうだ?」
琥珀がすぐさま指差した店は、通りに面した部分がドアの幅しか無く、遠慮がちに【BAR古都奈良】と小さなプレートが引っかかっている。
「なんでそんなに目ざといの? てゆうかね、そこBARって書いてあるでしょ。今はまだ午後三時だけど」
そもそもお酒なんて飲めないくせに、とブツブツ言う蜜玻をよそに、琥珀がそのドアを開けると、カランと小気味良い音が鳴った。
「こんな時間から営業してるんだ。ってことは喫茶店みたいなもんだろ」
「入るの!?」
「だって休憩するんだろ」
「こんな時間から開いているBARなんて……。それにすんごく狭そうだよ」
「入り口だけで、奥は広々しているかもしれないだろ。って……あっ!」
入り口で問答する二人の足元を見覚えのある白い獣が駆け抜け、ドアの隙間からBAR古都奈良に入っていく。
「琥珀、今の……」
ポカンとしていた蜜玻が気づいた時には手を引かれ、既にドアの内側へ
「さ、入りますよ〜」
「え……ええ!?」
***
店の奥は琥珀の予想を真面目に裏切ってくれた。
流石にドアの幅ではないものの、五、六人ほどが座れる程度のカウンター席と二組のボックス席があるだけの、こじんまりとした空間だ。窓が無い代わりに少しばかり天井が高いせいか、不思議と閉塞感はない。
ランタンに火が灯る落ち着いた色合いの照明と、アンティーク調ファブリックのソファが、隠れ家的な雰囲気を醸し出すのに一役買っている。なんと言っても見事なのはケヤキの一枚板のカウンターテーブルだ。
「へえ、雰囲気のある店だな」
ジロジロと店内を眺める琥珀に蜜玻が冷ややかな視線を送ったのと、カウンターの中の店主と思しき人物が二人に声をかけたのはほとんど同時だった。
「おーう、セールスならお断りだ。客なら空いてる席に座んな」
「ハハッ、
「うるせえよ、ここは俺の店だ。俺の好きにするさ」
ポカンとする二人を差し置いて、ソファ席で寛ぐ常連と思しきウサギとカメの
もう一つのソファ席にはタブレット端末で静かに読書するしわくちゃのご老人。男女の区別があやふやで、もうずっとそこに根を張っているような独特の雰囲気から察するに、樹齢数百年の樹木の
琥珀と蜜玻は必然的にカウンター席へ腰を下ろした。
「ねぇムジナ。オレンジジュース、おかわり。もちろん出世払いでね」
ジュースを所望したのは、カウンターの最奥に腰掛ける十を数えるだけの年を生きたかすらあやふやな幼い少女だ。ふくふくとした頬や栗色の髪から察するに
「今度はちゃんと氷を抜いて、たっぷりジュースを入れてよね」
「へえへえ」
六科はさっそく冷凍庫から取り出した冷えた脚付きグラスに抹茶アイス二玉を盛り、鹿型のプレーンクッキーを刺してチョコチップを散らした。
「ほらよ」
「ちょっとぉ、オレンジジュースだって言ったでしょ」
「何言ってんだ。今、お前が口にしたいのはコレだろ? 名付けて、創作盛り付け『和香草山』だ」
確かに、六科が得意げに差し出したグラスを舞台に、若草色の丘を鹿が散歩しているように見えなくもない。奈良の『和香草山』に似ているだろうとゴリ押しされれば、五割強くらいは「そうかも」と頷くだろうか。
脚付きグラスの下のソーサーには、スプーンと共に黄色いパンジーの花が可愛らしく添えられている。だが、そういった細やかな気遣いを全て、自ら
「そのクロスワードが解けたら、さっきのジュースもまとめてチャラにしてやらあ」
「え! ホントに?」
尻込みしていた少女の目が急に輝いた。
「ああ。だがな、マロン。アイスが溶けるまで放置したら承知しねえ。ホラ、さっさと食え」
変な遠慮してんじゃねえよ、とぼやきながら、六科は鹿クッキーが飛び出しているデザートグラスの横にソーサーに乗せたカップを添えた。流れてきた湯気の香りから察するに、シナモンティーのようだ。
「ムジナ、このクロスワード、あたしに解けるはずないって思ってるでしょ」
「さあな」
六科が適当な相槌を打つと、マロンと呼ばれた少女は早速スプーンを握り、転がり落ちたチョコチップを掬ってアイスと絡めながら、ご満悦でパクついている。マロンが鹿クッキーに手を伸ばしたところで、横目に眺めていた六科が堪えきれなくなったように吹き出した。
「アハハハッ。食いやがった!」
「はっ? ……何よ!?」
驚いたマロンは手を止め、信じられない面持ちで六科を見つめている。
「まんまと食いやがった、鹿のフン! 腹いてぇ!」
どうやら鹿クッキーの足元に散らしたチョコチップのことを言っているらしい。あからさまにむっとしたマロンはカチャンと音を鳴らしてスプーンを置き、シナモンティーを啜り始めた。
「オラッ、アイス溶かしやがったら、倍額、請求してやるからな」
「なんですって」
憎たらしそうに六科を睨みつけたマロンは、むくれながら残りのアイスを口にした。
「糖分を補給したら、さっさと
どう贔屓目に見ても接客とは思えない乱雑なやりとりをポカンと眺めていた琥珀と蜜玻は、カランと氷が溶けて水に落ちた音で、いつの間にか自分たちの前にもレモン水が置かれていることに気づいた。
「ねえ、琥珀。あの
「んあ? そうか?」
蜜玻は言ってから琥珀もそう変わらないことに気づいたのか、呆れ顔をした。
「おーい、アンタラ客なんだろ。何にするんだ? ホラ、
六科は琥珀と蜜玻に声をかけてから、鹿クッキーが乗った豆皿とシナモンティーの入ったカップを、タブレット端末を眺めるご老人のテーブルに乗せた。
「何って、何があるんだ? この店……」
「ああ、すまんスマン。初めて来たなら、わかるわけねえな」
カウンターに戻ってきた六科は特に悪びれもせずに言って、ひらりと取り出した手漉き紙を二人の前に置いた。
「この店はな……」
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