妖し狸の神隠し
蒼翠琥珀
駆ける抜ける白い影と同じ穴の狢
#1 朔月に降り立つ神の所業
今も昔も、人がある日忽然と姿を消す現象がある。
街で里で、時を問わず、何の前触れもなく失踪するのだ。
時に神域とされる山や森で行方不明となり、ある日ひょっこりと戻ってくることもある。しかし認識されている全ての事例において、失踪中の当事者の記憶がなく、真相は掴めていない。
いつしか、「この星の生命の始まりは
こうして、前触れもなく忽然と人が消え失せる現象は、
――ブラン・ダルジャン著『
***
「ほお〜、これが鋼鉄奈良駅かあ」
「
見るからにおのぼりさん風の二人組は、廃鉄鋼を寄せ集めた仰々しい駅舎を振り返った。先程ホームに降り立ち、階段を上って噴水のある広場に現われたところだ。
「いやあ、
廃鉄のリサイクルの重要性が声高に叫ばれたものの、計劃の殆どが青写真のまま頓挫してきた。その中で実現した数少ない事例がこの鋼鉄奈良駅の駅舎で、この地のちょっとした名物として名が知れている。
二人は以前の任地で話に聞いた奈良の都に俄然興味が湧き、こうして休暇を利用してやってきたのだ。
「さ〜てと、さっそく散策といきますか」
連れ立った二人は駅前から南北に伸びるアーケード街に歩を進めた。至極小さな商店街で、土産物屋、飲食店、小売店が身を寄せ合っている。数分で東西に伸びる街道に突き当たる。
「何だこりゃ。短い商店街だな。お、池があるぞ。あっちは寺か?」
「だからさ、キョロキョロしないでったら」
「いいじゃないか、
「琥珀は任務中だろうが、いつもお気楽でしょ」
蜜玻は呆れたように言った。
「それにしても方角がわかりやすくていいな」
ぷらぷらと東へと曲がった二人は、はたと足を止めた。
なにやら人だかりができている。皆が一樣に見入っているのは、『望月堂』と重厚な檜の一枚板の看板を掲げた餅屋だ。キュキュッと音がしそうなまでに磨き上げられた硝子窓の向こう側で、今まさに餅をついているらしく、周囲で眺める者たちがザワザワと噂をしている。
「あれが
「阿吽と言われるだけあって息がぴったりだ」
「流石だな」
「普段は南大門の詰め所にいるんだろ?」
「ああ、だが
人々が見守る中、筋骨隆々の金剛力士たちが物凄い勢いで湯気の上がる餅をついては返している。琥珀はすぐ近くに居た長身の男に話しかけた。
「なあ、あれってそんなに珍しいのか?」
「ん? ああ、あれは『
顔つきからして狐の
「神速、ね。確かにあれは人が踏み込める領域じゃないな」
感服している琥珀の隣で、蜜玻もうっとりと眺めている。
「奇麗な卵色だね」
「ああ、あの黄色い
丁度餅をつき終えたらしく、今は餅米ではなく二人の金剛力士から湯気が立ち上っている。待ち構えていた小僧さんたちが一斉に駆け寄り、千切って餡を乗せ、器用に餅を丸め始めた。これも登大寺の修行の一環なのだろう。
寺とは所謂芸能プロダクションであり、
金剛力士たちは表へ出て、片方はにこやかに声を張り上げ客を寄せ、もう片方がむっつりと黙って押し寄せる客から注文を取っている。
「さあて、俺も。お二人さんも食いたいなら急がないとなくなるぞ。じゃあな」
そわそわ言って、狐の
「ねえ、琥珀。食べないの?」
興味深そうに眺めながらも歩き出した琥珀を追って、蜜玻が意外そうに声をかける。
「んあ? ああ、興味はあるけれど、すぐに有名どころに食いつくのは素人だろ。
「ふうん」
「欲しかったら貰ってきたらどうだ」
「べ、別にいいよ。この先にも何かとあるだろうし」
蜜玻はニヤニヤと言う琥珀からぷいと顔を背けた。蜜玻は蜜蜂の
二人は望月堂の角を曲がり、また別の商店街の入り口に立った。
「ふうん。『
「なんか、気になるな。ここを歩いてみるか……うわっ」
商店街に立ち入ろうとした二人の足元を何かが駆け抜けた。
「あいまいみーまいん」
「は?」
「ぼくは何も言ってないよ」
訝しげに見下ろした琥珀に対し、蜜玻は至って冷静に返した。
「何だろう、アレ」
立ち止まり、前足を片方だけ少し浮かせて振り返る姿は可愛らしくもある。
「あの姿で
『
毛を持つ
ふくふくとした毛を持つマルハナバチの
白い獣はしばし二人の
「あのさ、『曖昧な世界へようこそ』って言ってたよ」
「え? さっきのケモノが? あの……謎めいた言葉か」
「うん。でも、アレってケモノ……なのかな。なんだか……」
本質的には昆虫である蜜玻には、五感の他に『音感』が備わっている。これはただ音声を聞き取る聴覚とは違い、音が持つ意味を理解する能力である。異なる言語体系の言葉であっても、その音の
「この
「え?」
ずかずかと商店街に入っていこうとした琥珀は、意外そうに蜜玻を振り返った。
「いいから、いいから」
蜜玻の手をむんずと掴んで
「もう、知らないよ!」
「旅は道連れだろ」
「まったく、毎度毎度、巻き込まないでよね」
そうは言いつつも琥珀にベッタリなのが、この
賑やかに商店街のアーケードへと入っていく二人の後ろ姿を、街道の片隅で静かに眺める影がある。
「ちょっと騒がしい子達だけど、ああいう根無し草が丁度良いわよね」
黒く艷やかな長い髪に、陶器のような白い肌。手に盛った月餅が、赤いルージュを引いた口元に僅かにきな粉を残した。
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