第260話 西国征伐
/色葉
年が明けて天正十一年二月。
毛利家と羽柴秀吉との交渉は案外長引いたが、結局物別れに終わった。
同時に毛利と長宗我部が裏で同盟したことも明るみ出、中国及び四国への二方面作戦が、北ノ庄にて決議されることになる。
それぞれの先陣を羽柴家と織田家に命じたことにより、中国方面軍司令官は羽柴秀吉で、四国方面軍司令官は織田信忠となった。
ただ信忠は弟である織田信孝に総大将代行を任せ、信忠自身は北ノ庄へと入り、本陣にて構えることになる。
これは晴景が相談役として信忠を望んだ結果だった。
先に軍を進めたのは、事前準備の早かった秀吉である。
三月十五日には二万の手勢を引き連れて、姫路城を出陣。
毛利領備中へ向かう途中で宇喜多勢と合流。
一万余を加え、都合三万の大軍で備中を侵したのである。
目指すは備中高松城。
秀吉はただちにこれを包囲したが、高松城の守将は勇将名高い清水宗治で、さしもの秀吉もこれには手を焼いたらしい。
二度ばかり攻めかかったらしいが、見事に撃退されたとのことだった。
この備中高松城は低湿地にある沼城であり、騎馬は使えず鉄砲も弱い。
これでは攻めあぐねるのも必然で、あっさりと援軍要請の使者を送ってきて、北ノ庄では羽柴秀吉不甲斐なし、と笑われたものである。
が、どうせ秀吉のことだ。
本気で援軍要請をしてきたわけでもないだろう。
晴景に出陣を促し、自身は太鼓持ちに徹する気のはずだ。
どういう手柄が一番自分にとって都合がいいか、そのあたりを考えられる頭は、なるほど秀吉らしいところではある。
しばらく様子を見ていたら、案の定、秀吉は史実よろしく水攻めを始めた。
現在、せっせと土木工事を行っているらしい。
なるほど効果的な戦法であるが、しかし史実通りにはいかないだろう。
何といっても今回は、毛利の援軍がやってくる。
史実と違い、余力があるからだ。
となると、早期の援軍派遣はやはり必要かもしれない。
一方、四国攻めの総大将を拝命した信孝は、所領のある伊勢にて兵を集め、一万四千の兵とともに摂津国を目指していた。
これが五月のことである。
それに遡ること三月の時点で、阿波を失っていた三好咲岩こと三好康長が淡路洲本に入り、警戒を厳にしていた。
ちなみに信忠より願い出があって、それは信孝が咲岩の養嗣子になることを望む、というものである。
阿波奪還の暁には咲岩に阿波一国を任せることが、すでに北ノ庄では決定されており、信孝に三好家を継がせることで、織田家の勢力の拡大を狙ったのだろう。
秀吉に対する牽制にもなるので、わたしはそれを承諾し、北ノ庄でも承認された。
四国征伐の褒賞としては、正直安いくらいである。
志摩の鳥羽水軍、紀伊海賊衆らの有する船も堺周辺に集結しつつあり、渡海の準備が出来次第、四国征伐は開始されることになるだろう。
ともあれ始まるべきものが始まった、ということだった。
◇
天正十一年五月十日。
北ノ庄城に、徳川家康、穴山梅雪が来訪した。
今では伊豆を支配する梅雪が、家康の説得に応じて朝倉家への臣従を申し入れるために、北ノ庄へとやって来たのである。
幾度か殺してやろうと思った相手であるが、従属のために自らやってきたものを一方的に手打ちにしたとなると、さすがに晴景に色々叱られてしまうだろう。
そもそも梅雪のことを気に入らないのは、武田家を裏切り、滅亡の要因になったからである。
しかし晴景がそれを不問に付すとするのならば、今となってはわたしでも手の出しようがない、ということだ。
とはいえ不快だったので、わたしは会わず、すでに北ノ庄に入っていた信忠らと同じく貞宗に接待を任せ、放置しておいた。
たぶん、直接会ってしまったら嫌味を言わずにはおれないだろうからな。
そういう手合には初めから会わないに越したことは無い、というものである。
世の中平和が一番だ。
明けて翌十一日。
北ノ庄で一通りの挨拶は済んだだろうと、家康と信忠を一乗谷に呼びつけていたわたしは、手ずから茶を振る舞ってやっていた。
「……色葉様は、いつもこちらにおられるのですかな?」
尋ねる家康に、うんと頷いてやる。
「こっちの方が静かでいいぞ。それにあっちは晴景様のものだ。出しゃばる気はない」
「されど北ノ庄のご城下は、奥方殿が作られたと耳にしているが」
信忠に聞かれ、わたしは肩をすくめてみせた。
「ちょっと見栄を張ってみただけだ。……そうだ信忠、何ならわたしが滅ぼしてやった安土、再興させてみるか? 銭くらいなら出してやるぞ?」
四国征伐の駄賃だと付け加えれば、信忠は苦笑して首を横に振ったものである。
「あれは、あのままでよろしいかと」
「信長の後を継ぐ気は無い、ということか?」
「ある意味においては、そうなのかもしれませんな」
ある意味において、ね。
まあ父親を殺して家督を奪った信忠である。
信長の後をなぞる気などないのだろう。
「それに近江はすでに織田家の所領ではなく」
「ああ、そうだった」
六角承禎に任せたんだったか。
確か承禎は安土ではなく、近くの八幡山に城を作りたいとか言っていたかな。
一度六角家を滅ぼした信長の跡地など御免被る、といったところだろう。
嫌われたものである。
「そんなことよりも茶を飲め。わたしが点ててやったんだぞ?」
「はは、では遠慮なく」
「それでは」
しばし、茶のすする音が茶室に響いた。
季節もじわじわと暑くなりつつあるが、それでもこの谷では気持ちがいい時季だ。
四国や中国ではこれから地獄が始まるのだろうけど、知ったことではない。
「……確か、姫は松永殿に茶の湯を師事されたとか」
「ん、というか、無理やり教えられたようなものだぞ。作法がなってないだの何だの、よくもまあ、このわたしに向かって偉そうに教授したものだ」
「それは松永殿らしいことで」
「その松永殿は、今どちらに?」
「京にいるぞ」
久秀は孫娘もどきと出歩いているばかりにようにも思えるが、基本的には京にあって仕事をしているはずである。
というかあの男、いつ死ぬのだろうか。
すでに齢八十くらいになっていたはずなのだが。
どうせあの妖怪孫娘から、生気でももらって存えているのだろう。
憎まれっ子世に憚る、とはよく言ったものである。
などと呑気にわたしも茶をすすっていたら、茶室の外からいつもの景気の悪い声が聞こえてきた。
貞宗である。
「……色葉様、少々よろしいでしょうか」
「ん、なんだ。来客中だぞ?」
「北ノ庄より殿がお越しになっておられます」
思わぬ報告に、わたしは信忠や家康と顔を見合わせる。
「晴景様が? わざわざここに?」
「火急の御用と窺っておりますが」
「……ふうん。わかった。今行く」
わたしは作法をかなぐり捨てて茶を飲み干すと、やれやれとため息をついた。
「晴景様もわざわざ来ず、北ノ庄に呼びつけてくれればいいのにな。これじゃあどちらが当主だか分からないだろうに」
そんなわたしの独白に。
なぜか二人は苦笑を交わしたのだった。
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