第259話 光秀としゃれこうべ


     ◇


「何というか、混迷してきたものじゃのう」


 播磨姫路城にあった羽柴秀吉は、四国情勢が不穏な雰囲気になりつつあることを聞いて、隣の孝高へと語り掛ける。


「は。長宗我部殿は、未だ野心を捨てきれぬご様子なれば」

「元気なものであるな。しかし四国が敵対するとあれば、我らもこのまま毛利征伐、というわけにはいかんのではないか?」

「問題ありませぬ」


 秀吉の杞憂を、孝高はあっさりと否定してみせた。


「む、そうか? されど阿波を落とされた以上、淡路が危うい。万が一洲本城が落とされれば、この播磨や摂津として喉元に刃を突き付けられたようなものではないか」

「恐らく朝倉の姫は、織田殿あたりに命じて大軍を四国征伐に向かわせることでしょう。殿は毛利のことだけを考えておられれば、よろしいのです」

「ふむ、そうか。そうだな。どうせ兵は有り余っておる」


 実際、この時朝倉家が動員できる兵力は、軽く二十万を超えている。その半分であったとしても、四国征伐には過剰すぎる兵力だ。


「指先一つで十万、二十万か。羨ましいという前に、恐ろしいものだな。しかもあの狐姫が手にしているというだけで、身の毛がよだつ」

「今この日ノ本に、朝倉様に逆らえる者などいないのでしょう」

「とはいえ、毛利や長宗我部は逆らっておるが」

「まことに身の程知らずでありますな」


 素知らぬ顔でそう答えた孝高であったが、実のところ、明智光秀と長宗我部家との外交を妨害し、毛利との仲立ちをしたのは誰であろう、孝高であった。

 無論、自身の素性が知られぬよう、細心の注意を払って内密に、ではあるが。


 ……まあ、頭の良い小早川隆景あたりは気づいているかもしれないが、どちらにせよ今はそれしかすがる方策も無く、何かしらの思惑があると感づいていても乗るしかないだろう。


「殿、今年はもう冬ゆえ示威行為のみに留まりましょうが、来年には出陣となりましょう。宇喜多の手綱、引き締めておかねばなりませぬ」

「うむ、そうだな」


 播磨を越え、宇喜多家が領する備前国の先が、毛利領である。

 毛利征伐が始まれば、まず目指すは備中高松城ということになるだろう。


「腐っても鯛。毛利とて数万の兵力は動員してくることでしょう。侮れませぬぞ」

「なに、いよいよとなったら朝倉殿の援軍を頼みにするまで。いや、むしろその方が朝倉殿の顔も立てられるし、功も挙げすぎずにすむ。諸将の嫉妬ばかりを買うのでは、いかな武功も割に合わんからのう」

「……さすがは殿」


 孝高とてここで秀吉が功を上げることに、さほどの意味があるとは思っていない。

 むしろその先こそ、正念場が待ち構えているはずなのだから。


「しかしこれでは明智殿は怒られるであろうの」

「朝倉の姫に、ですか?」

「朝倉晴景殿はお優しいが、奥方殿はやはり恐ろしい。あれで夫婦仲が良いというのだから、世の中分からんものじゃ」


 しみじみと秀吉はつぶやく。


「そんなことよりも官兵衛。色葉殿の妹君を羽柴家に迎えられるよう、どうにか手を打て」

「はあ」

「そうすれば羽柴家と朝倉家は縁続きゆえ……む? なんじゃ、その目は」

「いえ。努力致しましょう」


 相変わらず変わることの無い主へと頭を下げ、孝高は更なる謀略を巡らすべく、暗躍するのだった。


     /色葉


 十一月になり、明智光秀が一乗谷にやってきた。

 誰であろう、わたしが呼んだのである。


「ここは評定の場というわけでもない。楽にして構わんぞ?」

「……は。恐縮です」


 などと言ってやってもお堅いのが光秀だ。

 しかもかなり緊張している様子である。

 どうせわたしに叱責されるとでも思ったのだろう。


「失態だったな?」


 まずそう言ってやれば、光秀はひたすらに頭を下げるのみだった。


「申し訳ございませぬ!」

「で、長宗我部は何と言っている? お前のことだ、交渉は続けているんだろう」

「――は。長宗我部元親殿は、四国全土の領有。これを認めてさえいただければ、喜んで政権への参加を致すと申しておりまする」

「ふふ。欲深いことだ」


 まあ、そんなところだろう。


「別に最初から認めないとは言っていなかったはずだが? あとで四国の木っ端大名どもなど、どうにでもできただろうに。にもかかわらず兵を動かした理由は何だ?」

「……それが。どうも土佐にて怪しげな噂がたち、姫が長宗我部家は土佐一国しかその領有は認めない……などと」

「毛利あたりの妨害工作か? しかしそのためにお前がいたんだろう。その程度の噂、払拭できないで何が外交担当だ?」

「――申し訳……」

「いい。いちいち頭を下げるな。話しにくい」


 何にせよ、毛利からの妨害工作はあっただろうし、他にも外交の手が伸びていたはずである。

 それらに一本取られた、というところだろう。

 もしくは単純に、元親の野心のなせる業なのか知らないが。


「で、だ。長宗我部を滅ぼすことに決めた」

「な。――お、お待ちを!?」


 慌てたように光秀が飛び上がる。


「未だ交渉は続いておりまする! 姫が長宗我部の四国領有を認めてさえいただければ、戦にはならず平和的に解決できますれば!」

「わたしがそんなことを認めるとでも思ったのか?」


 あり得ないだろう、とわたしは笑ってみせた。


「わたしに歯向かったんだぞ? 滅びたくなければ元親自らここに来て、詫びを入れろというものだ。まあ、気分次第ではその場で殺すかもしれないが」


 本音である。


「……それでは仮にそうなったとしても、四国の長宗我部の残党が黙ってはおらぬでしょう」

「だから滅ぼすと言っているだろうが」

「戦乱を、お望みか」

「望んだのは元親だろう?」


 どうせ見せしめは必要だとは思っていたのだ。

 それは毛利でも長宗我部でも、あるいは両方でも構わない。


「平和になってから粛清するのと、戦乱の世のうちに白黒つけるのと、さてどっちが慈悲深いのだろうな?」

「……姫は、長宗我部は必ず滅ぼすとお考えか」

「ん、だから言っただろう? 直接会って、気が変われば許してやる、と」


 逆に言えば、その程度しか長宗我部に滅びを回避する術はない、ということでもある。


「秀吉ばかりに功を上げさせてもなんだから、信忠にも命じて四国征伐を用意させるつもりだ。まあ、来年になるだろうが、それまでせいぜい首を洗って待っておけと、元親にでも伝えておけ」

「……然様で、ありますか」

「そういうことだ。ああ、お前にも中国か四国か、どちらの戦線に加わるよう命じるつもりでいる。その時に汚名を返上しろ。機会はやる。できなければ近江坂本は召し上げるぞ?」

「……かしこまりました」


 首肯する光秀に、わたしは満足げに頷いてみせた。


「まあ、わたしの用件はこれだけだ。というかついでに過ぎなかったんだが。実はお前を呼んだのは他でもない。鈴鹿の奴が会いたがっていてな?」

「鈴鹿様が、ですか?」


 そうなのである。

 鈴鹿がわたしに光秀を呼びつけるようにせがむので、今回のことにかこつけて呼び出した程度のことだった。


 正直、光秀のことをそこまで叱責するつもりは無い。

 失態だったとは思うが、誰がやったところで同じことだったのだろうし。


 とはいえ失態は失態であるから、お咎め無しというわけもいかない。

 となると功を上げる機会を与え、それで相殺させるのが一番だろう。

 それなら他の家臣どもも、文句は言うまい。


「帰りにあれの屋敷に寄っていけ。何でも渡したいものがあるそうだぞ」


     /


「これは明智様。よくお越し下さいました」

「これは……どうも」


 鈴鹿の屋敷は大きいが、一乗谷の端にある。

 色葉の屋敷よりそれなりに距離があると言っていい。

 もちろんこれは、色葉が極力遠ざける意図をもって、屋敷をこしらえてやったからであるのだが。


「ささ。外は寒かったことでしょう。お入り下さいな」


 満面の笑みで迎えられ、やや困惑しつつも光秀はそれに従った。

 中にて茶を振る舞われ、しばし雑談に興じていた光秀であったが、やがて意を決して尋ねてみることにした。


「何やら私にご用件があるとか」

「あら、色葉様にお聞きになりました? そうなのですけれど、最後に、と思っておりましたので」


 その通りであると頷き、鈴鹿が手をならす。

 それに応えて隣の部屋から現れたのは女の童だった。


 侍女だろうか。

 しかし子供にしては表情が無く、どこか作り物めいている。


 だがそんなことなどは些細なことで、童が盆に載せて運んできたものこそに、何やら不吉な予感を覚えた。

 上から絹らしき上等な布がかけられているものの、そのおぞましい雰囲気は隠しきれてはいない。


 童が退出し、光秀の前に置かれたそれは、ちょうど人の頭と同じくらいの大きさの、何かだった。


「……これは?」

「ご存知でしょう? 殿、ですわ」


 微笑んで、鈴鹿は絹を払う。

 現れたのは予想に違わず、しゃれこうべであった。


 人の頭蓋骨など見覚えがあるわけもないが、しかし誰のものかは察しがつく。


「……信長様」

「はい。そうです」


 岐阜で自害に及んだ信長の首を刎ね、ここまで持ち込んだのは鈴鹿自身である。

 それを目の前で見、この越前へ同行した光秀も当然知っている。


「殿が仰せになるのです。しばし光秀に預けよ、とね」

「お戯れを……」


 とうに死した信長が、そのような言葉を発することなどできようはずもない。

 狂人の戯言としか思えない言だ。


「あら、明智様はご存知ありませんの? この一乗谷はある意味墓所。信長様に攻め滅ぼされて、灰燼に帰した地です。明智様とて殿と共に、これを滅ぼしたのでしょう?」

「それは……如何にもその通りではありますが」

「そして色葉様は死者を操ることができます。今でこそ形を潜めてはいますけれど、少し前まではこの一乗谷、夜になれば亡者が蠢く異界だったのですよ?」


 その噂は聞いたことがあった。

 妖である色葉が死者を弄ぶ妖しき力を持っていることは、ずいぶん前からささやかれていたことでもある。


「では、その力にて……?」

「いえいえ。色葉様がそんなことをなさるはずもないでしょう。ただわたくしには、そんな一乗谷に在るせいか、なんとなく……そうなんとなく、そんな殿のお声を聞いたような気がしたのです」

「では、空耳でしょう」

「だとしても、わたくしはしばし明智様が持っておられるのが相応しいかと思ったのです」


 笑顔は変わらず、しかしもはや決定事項とばかりに、鈴鹿は告げる。


「わたくしがお相手をするのもよろしいのですが、この一乗谷に篭ってばかりでは殿も飽きましょう。聞けば西国では戦乱の兆しありとか。是非、お連れになって下さいませんか?」


 光秀は全力で断りたかったが、以前も今も、鈴鹿の言葉には逆らい難いものがある。

 そして先の色葉との接見により、少なからず気力を消耗していたことも手伝ってしまった。


 もはや光秀は、唯々諾々として受け入れるしかなかったのである。


「いずれ、お返しいたしますが」

「もちろんです。ちゃんと返して下さいね?」


 光秀の承諾に、鈴鹿は始終ご機嫌な様子のまま、信長のしゃれこうべを引き渡した。

 あるいはそれは、決定的な呪いだったのかもしれない。

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