第258話 四国情勢


     ◇


「ふぅん……」


 毛利家との交渉がうまくいっていないことは、すでに耳にしていた。

 それにさほど期待していたわけでもない。


 そもそも秀吉の奴は初めから兵を播磨に集めての交渉をしていたから、余計に反感を買っていたらしい。

 だが秀吉としては交渉をまとめるよりも、毛利を降すことで手柄を立てたいのだろうから、まあ交渉の結果など正直どうでもいいのだろう。


 わたしとしてもそれは事前に容認していたから、特段何とも思っていなかった。

 というわけで、今回の報せは毛利に関することではなかった。


 四国の長宗我部。

 こちらの方である。


「土佐の長宗我部元親はこの十月、阿波へと侵攻を開始。勝瑞城を目指して進軍したよしにてございます」


 そう報告するのは桜井平四郎。

 貞宗の腹心である。


 元は景鏡の家臣であったが、貞宗が亥山城主となった際に景鏡より譲られた家臣の一人だ。

 貞宗が忙しいので、平四郎を寄越したのだろう。


 ともあれそんな報告に、わたしは半眼になっていた。


「長宗我部は光秀が手なずけていたんじゃなかったのか」

「失敗したと、家中では専らの噂です」

「……ふん」


 具体的な話は、こうだ。

 現在の四国情勢は、長宗我部家が優勢ではあるものの、阿波には三好、伊予には河野や西園寺が残っている。


 当然、これらに対しても個別に使者を送り、恭順を呼び掛けていたはずだ。

 中でも三好はもともと秀吉と通じていたらしく、信長が健在だった頃は織田と長宗我部が結んで秀吉の背後を窺わせることで牽制していたこともあり、自然、両者は互いに互いを利用する関係になっていたのだ。


 それはいい。

 そういう事情もあって、四国の連中の中で真っ先に靡いてきたのが三好だったのである。


 ところがその三好が未だ勢力を持つ阿波へと、長宗我部が侵攻した。

 これは当然、四国制覇を狙ったものだろうが、しかしすでに発令している惣無事令に反することになる。


 そして長宗我部との交渉をもっていたのが、明智光秀だった。


「で、どうなった?」

「は……。長宗我部元親は二万三千の兵を率いて侵攻し、これを阻んだのが十河存保であります」

「その数は」

「およそ五千ほどだと」


 分かり易いくらい、劣勢だな。


「十河勢も奮戦したものの、衆寡敵せず。勝瑞城は包囲され、激戦となったようですが、結局長宗我部からの降伏勧告を受け入れ、勝瑞城の明け渡しを条件に十河存保は讃岐に逃れたとのことでございます」

「……阿波は長宗我部の手に落ちた、ということか」

「然様かと存じます」


 どうやら中富川の戦いを、この世界でも再現したらしい。

 わたしはこの世界に落ちてから、朱葉の本を利用して史実とされている歴史を、極力学んだ。

 全てに精通しているわけじゃないが、主要なことは弁えているつもりである。


 この中富川の戦いは、史実において本能寺の変の後に勃発した戦だ。

 信長の死により後ろ盾を失った三好方を攻める好機と考え、長宗我部元親が阿波に侵攻した四国平定戦の一つである。


 これによる十河勢の被害は甚大だったはずで、主要な城主の大半が戦死してしまった。


「つまり、なんだ。長宗我部はわたしに――朝倉家に逆らうと、そういうことか?」

「それは、何とも……」

「ふん。そういうことだろう」


 湯治でせっかく気分が良かったのに、一気に胸糞悪くなってしまった。

 けちが付いた、とでも言おうか。


 しかしどういうつもりなのか、と一応考えてみる。

 長宗我部とは早くから交渉を持たせており、一定の手応えはあったはずだった。


 この前の重陽の会盟の際にも、元親の弟である香宗我部親泰を派遣してきたくらいである。

 朝倉政権の発足に不満を持ったのか、四国制覇の野望に抗いきれなかったのか。

 それとも他の要因か。


「……毛利に先を越されたか?」


 真っ先に標的にされるであろう毛利家が、朝倉家に対抗すべく西国の諸大名と手を結ぶ可能性は十分にあった。

 特に長宗我部との結託は、心強いことだろう。

 代わりに四国平定を容認したのかもしれない。


 さて、これをどうするか、であるが。


「……晴景様は?」

「いえ、未だはっきりとしたことは。この報せも大日方様よりいち早く姫様にお伝えしよと命じられたゆえ、北ノ庄のことは分かりかねます」


 なるほど。

 となるとどうすべきか、晴景らも今頃評定でもしているのだろう。


 これが敵対行動であるのなら、毛利よりも先に明確な敵ができてしまったことになる。

 叩き潰すのにはやぶさかではないが……。


「……まあ、ここで考えても仕方が無い。考えるのは晴景様だからな。気分は悪いが、様子を見るのも一つの手だろう」

「……はっ」

「ん、ご苦労だった」


 平四郎が退出した後、わたしはぱたぱたと尻尾を揺らして考え込んだ。

 やはりこの世中、誰も彼もが簡単に屈服するわけでもないらしい。


「四国、か。そういえば行ったことがなかったな」


 海を渡ってみるのは悪くない、か。

 自然、口の端が笑みの形に歪む。


 毛利は秀吉に譲ってしまった。

 となると、である。


 その時のわたしはもう、長宗我部の滅亡を頭に思い描いていたのかもしれない。


     /


「馬鹿な!」


 長宗我部家が戦端を開いたことに対し、もっとも動揺したのは明智光秀だったといっていい。


 坂本城から京に移り、長宗我部家との折衝を続けて来た光秀の元に思わぬ報せが届いたのが十月のこと。

 聞けば元親が阿波へと侵攻し、十河存保を中富川の戦いにて破って阿波を完全平定した。

 さらに元親は讃岐へと軍を進め、十河城や虎丸城を攻め、それらに逃れた十河存保を追い詰めているという。


 元親の四国制覇の野望は確かにあった。

 光秀も交渉中、幾度も感じたことである。


 しかし長宗我部は伊予を巡って毛利と敵対し、また本州にこれほど大きな勢力ができてしまった以上、逆らうことは難しいと考えたはずで、実際交渉は順調に進んでいるかにみえた。


 ところが状況は一変する。

 元親は惣無事令を無視して阿波や讃岐に出兵し、さらに伊予においても異変が起きた。


 毛利が河野らへの支援をやめ、長宗我部と結び、これを外交圧力で降してしまったのだ。

 これで四国はほぼ、長宗我部家の手に落ちた。


 そしてこれは、毛利と長宗我部の間に何かしらの密約があったことを意味する。

 完全に外交で出し抜かれたといっていい。

 光秀としては失態としかいいようが無かった。


 それでもどうにかすべく、光秀は元親との交渉を継続。

 そんな中、色葉より使者が参り、一乗谷への出頭が命じられたのだった。

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