第261話 征夷大将軍


     ◇


「おお、色葉よ。すまぬな、邪魔をした」

「別に構わないが……。しかしこっちに家康と信忠を呼んだのは知っているだろう? 当主が慌てて飛んできては、侮られるぞ」

「そなたの前ならば、決して侮られぬよ」


 あっさりと返されて、何やら複雑な気分になってしまう。

 どういう意味だろう、と。


「それよりも信忠殿、家康殿も呼んで欲しい。どうせだから皆で相談した方が話が早いからな」

「? ……いいけれど。何事かあったのか?」

「うむ。二つある。一つは秀吉殿からの援軍要請。一つは足利義昭様からの御内書が届いたのだ」


 足利義昭?

 まさか出てくるとは思わなかった名に、わたしはきょとんとなるのだった。


     ◇


 改めて家康と信忠が呼ばれ、事の次第を晴景が語ってくれた。


 一つは再度の秀吉からの援軍要請。

 どうやら毛利の援軍が到着したようで、その数が何と八万という大軍であるという。


 これでは当然、秀吉の三万では太刀打ちできない数だ。


「八万ねえ……。あり得なくも無いかもしれないが」


 毛利領は約百三十万石程度。

 五万くらいはまあ集めてくるだろう。

 無理すれば八万もあるかもしれないが、十中八九、秀吉の水増し報告とみた。


「如何するか。決して侮れる数ではあるまい」

「せいぜい五万程度だと思うがな」


 とはいえ史実では備中高松城攻めの際、一万程度の援軍しか動かせなかった毛利である。

 それに比べれば脅威という他無い。


 わたしは家康の顔を見た。

 当然、家康に援軍を出さすことはできる。


 が、関東からここまでは遠い。

 遠い上に、関東情勢が安定していない。


 さらに奥州情勢もある。

 あまり関東を手薄にすると、これ幸いとばかりに奥州の諸大名どもが動き出すだろう。

 これは面白くない。


「やはり、我が朝倉が兵を出すことになりそうだな」


 一年は完全に民を休ませたかったのだが、やむを得ないだろう。

 万が一戦に敗れるようなことになれば、朝倉政権がさっそく揺るぎかねないからだ。

 そういった意味ではなるほど、外征というのは諸刃の剣かもしれないな。


「それに北ノ庄では、そもそも援軍を送るつもりだったんだろう?」

「うむ。俺も中国に援軍に向かう心積もりはしていた」


 元気なことである。


「まあ、仕方が無いか。わたしも行くぞ」


 何気なく宣言すれば、晴景が待て待てと驚き慌てふためいた。


「いかん、いかん。色葉は一乗谷におってくれ。身体に何かあっては何とする」


 何とするって言われても。

 何ともならないのだけど。


「別に中国まで行くとは言っていないぞ? 前線に出る気は、さすがに無い。足手まといになるからな。だが晴景様が直接指揮を執るのであれば、後方の本陣はどうなる?」


 今回の戦は中国、四国への二方面同時侵攻計画による。

 それぞれの戦術指揮官はいるが、大局を見据えた戦略指揮官も必要になってくる。


 どちらがどちらの戦局に影響するか知れない以上、それらに対応しなくてはいけないが、現場にいては近視眼的になってなかなかそれは難しい。


「それは……そうなのだが」

「西国で戦をする以上、北ノ庄に本陣があっては遠すぎる。で、それを京に移そうと思う」

「なるほど」

「確かに一理ありますな」


 信忠と家康が頷く。


「本当は大坂あたりの方がなおいいんだろうが、あそこは秀吉の影響下だ。万が一を考えて敬遠しておく。となると、朝倉領である京が最適、というわけだ」

「つまり、色葉は京まで参る、ということか?」

「その程度だったらいいだろう?」


 ねだるように、晴景を見返してやる。


「む……むむ、されど……」

「なんだ。それともわたしなど、近くにいない方がこれ幸い、というやつか?」


 今度は拗ねてみせた。


「わ、わかった。そのような顔をするな。どうせ俺には断れん」

「ふふふ。それでいいぞ晴景様」


 にんまり笑うわたしに、何やら同情の視線が信忠と家康の二人から晴景に向けられたが、見なかったことにしておく。


「というわけだ。お前達二人も幕僚としてついてこい」


 鶴の一声である。


「はあ……」

「……承知いたしました」


 否応などあるはずもない。


「動員の準備もあるだろうが、その辺は家臣どもに任せるぞ。で、これが用事か?」


 確かにそれなりのことかもしれないが、晴景が飛んでくるほどのものとも思えない。


「いや、だから義昭様からの御内書が届いたと申したであろうに」


 呆れ気味の晴景に、わたしはそうだったと思い出す。


「まだ将軍をやっているんだったな。忘れていたぞ。その将軍様が、今さら何の用だ?」

「これなのだが」


 晴景が差し出して来た書状を、受け取ってわたしは目を通す。

 読み終わり、もう一度。


「……ふうん」


 気の無い声を漏らしつつ、放り捨てる。


「二人とも、読んでみろ」

「……では」


 信忠が拾い、家康と二人で内容を読み進める。


「ほう、これは――」


 家康が声を上げ、信忠がわたし――というか、晴景を見返した。

 ついでにわたしも晴景を見返してやる。


「で、どうするつもりなんだ?」

「俺の心は決まっているが、色葉の意見も聞いておくべきかと思ってな」


 そうか。決まっているのか。

 ならいい。


「征夷大将軍、ねえ……」


 御内書の内容は、要約すれば晴景を義昭の養子にした上で、将軍職を譲りたい、というものだった。

 つまり征夷大将軍就任の要請である。


 これが成立すれば、名前はどうなるかは分からないが、幕府が再興されることになる。

 朝倉政権に幕府という権威づけができることになり、都合がいいといえば都合のいい話でもある。


 確か征夷大将軍には源氏の血筋じゃないとなれないとか、そんな条件があるとか後世では囁かれたようだが、実際にはそんなものなどあるわけもない。


 事実、初代征夷大将軍である大伴弟麻呂は源氏ですらないし、鎌倉幕府などでは源氏とは関係の無い宮将軍などもいた。

 とはいえ、室町時代を通して源氏将軍観が高揚していったことも確かである。


「失礼ながら朝倉家は日下部氏であり、源氏とは無縁であられる」


 朝倉のことをよく知っているようで、信忠はそんな風に口を開いた。


「そうだな」


 その通りなので、頷いておく。

 無縁ではあるが、その日下部氏も行き着く先は天皇家、であるらしい。

 源氏も似たようなものである。


「だが晴景殿は、武田氏の出。つまり甲斐源氏の血をひいておられる身の上。この征夷大将軍の職を受けるのに、何の憚りもないのではありませぬか?」


 慣習的にも受け入れられやすい、ということを言いたいのだろう。


「この際、足利義昭殿の養子になられるかどうかはさておき、実力的には十分にこれに就くことは可能でしょうな」


 とは、家康。

 まあそうなんだろうけど。


「いや、お二方。俺は将軍になどなる気は無いのだ」


 やっぱりか。

 晴景の宣言に、二人は意外そうな顔になった。


「第一この色葉が喜ぶまい」

「……そんなものに、興味は無いからな」


 正直な感想なので、素直に口にしておく。


「だが、それで支配がし易くなるというのなら、別段拒むところでもないぞ」


 要は晴景の好きにすればいい、ということである。

 受ける気が無いのなら、それはそれでいいし。


「ふむう……。我らなどは、勿体ないなどと思うのであるが」

「確かに」


 別に官が無かろうと役職が無かろうと、支配ができないわけじゃない。

 もっとも現在の社会体制が身分制度の上に成り立っている以上、そういう官や役職が合った方が分かり易いのは否定しないけれどな。


「ともあれ今は断るつもりだ。我らは天下泰平をもたらしたわけでもないし、考えるのはその後でも遅くはないだろう」

「それも然りですな」

「……色葉は、それで良いか?」


 本当に律儀な夫である。


「好きにすればいい。それになりたくなったらその時に言ってくれ。ここにいる家康や信忠にそう仕向けさせるから、容易だろう」

「……それは、大仕事ですな」


 家康などは呑気に笑っていたが、史実では征夷大将軍になる男である。

 この世界では、ちょっとなれそうもないがな。


「それはさておき、此度の御内書、朝廷を通しているゆえ、一度上洛して断らねばならん」

「どうせ京に行くつもりだったし、都合がいいじゃないか」


 うん。

 確かに都合がいい。


「兵を集めるのには時間がかかるから、先だって京に赴き、物見遊山と洒落込もう。家康、信忠、付き合え」


 わたしが決めたのだから、否やはあるわけもない。

 二人とも素直に承知してくれた。

 大変よろしい。


「京は久しぶりだな」


 身体は重いけれど、旅は嫌いじゃない。

 西国で本格的な戦が始まる前に、少しだけ羽を伸ばそうというものだ。

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