第253話 孝高の思惑(後編)

「わかった。確かにこの話、うまくいけば天下統一が目の前までぶら下がって来たことになる。その功に報いるのにはやぶさかではない」

「は」

「――秀吉」

「は、はは!」

「わたしは孝高が欲しかった」

「は……は、はい?」


 突然のわたしの告白に、秀吉が間抜けな声を上げる。


「何度もお前から引き抜こうとしたが、いっこうに靡かない。そしてお前のためにここまでする。まったくもって憎たらしい」

「か、官兵衛、まことか?」

「は。幾度もお誘いを受けておりました」


 孝高もある程度開き直っているのか、包み隠さずにそれを認めてみせた。


「ですが、私は秀吉様の臣下ゆえ、お断り申し上げていたのです」

「う、うむ。当然であろう。色葉様もお人が悪いですぞ」

「はは、許せ。しかし秀吉よ、今回のこと、孝高が発案ではないのか?」


 半ばそうであろうと思っていたけど、念のために聞いておく。

 秀吉は少しだけ悩んだそぶりを見せて、結局首肯してみせた。


「確かにこの官兵衛の献策によるもの」

「そうか」


 ならば、いい。


「どうだ孝高。望み通りに秀吉を贔屓してやる。代わりにお前はこっちに来い」

「また……ご無体なことを」

「本気だぞ?」

「お断りいたします」

「じゃあ秀吉を用いない」

「それは困ります」

「困るだろうからこその交渉なんだが」


 わたしの勧誘と孝高の拒否との間で、秀吉などはおろおろするばかりである。


「……色葉様。我が殿の前でこのような話をされるのは如何なものかと」

「いいじゃないか。お前が承知すれば、この場で秀吉にも承知させる。話が早くていい」

「このようなことは、内密にするものです」

「じゃあ別の部屋で話すか」

「お断り申し上げます」


 秀吉そっちのけで勧誘するわたしに、やはり秀吉はあたふたするだけで、見ていて面白い。


「あまり、殿をからかいなさいますな」

「ん、わかったか」

「当然です」


 孝高が今更なびかないことくらい、わたしにも分かっている。

 今のは孝高の言うように、秀吉をからかったにすぎない。

 もちろん、孝高をわたしから奪ったことに対する当てつけである。


 ……まあ、そもそも奪おうとしたのはわたしなんだが、この際どうでもいい。


「まったくつまらんな。お前と昌幸がいれば、悪だくみでこの先楽しめただろうにな。まあ、いいか。これくらいにしておいてやる」


 さて。

 とはいうものの、だ。


「功を上げれば秀吉を用いてやる。が、それは他の連中も同じこと。わたしがこの場で便宜を図ってやれるのは、その機会を優先的に与えてやることくらいだが」


 わたしは基本、依怙贔屓をする。

 今はともかく、以前の朝倉家はわたしの独裁の元にあったようなものだから、これは当然のことだ。

 そしてそれをして欲しければ、わたしに気いられるよう努力をしろ、ということでもある。


「秀吉、お前はどんな功をあげてみせるつもりだ?」


 どうせ孝高のことだ。

 そこまで考えてあるはずだが。


「中国平定を」


 案の定、秀吉の返答に淀みは無かった。

 が、中国平定、だと?


「それは何だ。毛利を降すということか?」

「毛利殿は此度の色葉殿の招集に応じませんでした。毛利家がそこらの木っ端大名であるのならば、捨て置いてもさほど害もありませぬが、毛利は大国。西国一の大大名にございます」

「そうだな」

「であれば放っておく手はございませぬ。不肖この秀吉、姫がお命じ下されば、毛利征伐の先鋒を務めたく存じますぞ」


 毛利征伐か。

 ふうむ……。


 確かにわたしを無視した毛利は不愉快だが、予想のうちでもあったし、自分の中では経済制裁程度にとどめておくつもりだったんだがな。

 兵を動かすとなると、疲れるし。


「補足を、よろしいでしょうか」


 孝高が口を挟んでくる。

 補足、ね。


「諸大名を糾合するにあたり、明確な目標が必要であると考えます」

「天下泰平、ではなく、か?」

「それは最終的な結果に過ぎませぬ。当面の目標があってこそ、結束できるというものです」


 孝高の言いたいことは何となく分かった。


「要するに、外に敵を作れということか」

「ご明察にて」


 そういうことである。

 確かに共通の敵を作ることで、一致団結はし易くなる。


 その中で功を上げることで、のちの体制作りにおける、序列を定めやすくもできる。

 いわゆる建国の功臣、になりえれば、のちに重用されるという自然な流れだ。


 もっとも功を上げ過ぎて粛清されることも多々あるが、この際は置いておく。


「それが毛利か」

「敵はある程度強くなければなりませぬ。それに毛利は打って付けかと」

「あくどいな」

「では却下されますか?」

「いや」


 悪い案ではない。

 要は毛利家を見せしめにする、ということだ。


 史実で秀吉が小田原征伐でやってみせたように、圧倒的な兵力でこれを討ち滅ぼす。

 恐れた諸大名はこぞって従属を申し込んでくることだろう。


「その毛利征伐において、羽柴家にその先陣を申し付けていただきたいのです」

「羽柴領は毛利領と接しているからな。自然といえば自然か」

「そしてのちに朝倉様が諸大名を率いて大遠征を行えば、その武威は否応なく上がるというものです」

「なるほどな。しかし大義名分はどうする? 一応、必要だろう」


 さほど気にもしないが、しかしあるとないではやはり風聞が違ってくる。

 覇権主義もいいが、中には忌避する輩もいるだろうしな。


「まずは毛利と交渉を持ち、政権への参画……事実上の従属を要求します」

「天下泰平を名分にして、か?」


 皮肉げに笑って見せれば、孝高も同じように笑みを浮かべてみせた。

 腹黒い。

 まるで鏡を見ているようである。


「それで十分でしょう」

「ふむ。しかしそれで屈してしまったらどうする?」

「その事前交渉を羽柴家にお任せいただきたく。仮に戦とならずに毛利が屈服してしまったとしても、それはそれで我が殿の功となりますれば、特に問題ございませぬ」


 なるほど。

 実によく考えてある。


「それに九州や奥州も残っていますからな」


 毛利が腑抜けだったとしても、他にもまだ戦国大名は残っている、ということか。


「……いいだろう。実に小賢しいが、それをもって功とすると言うのであれば、それでいい。存分に働いてみせろ」

「――はは」


 ……やはり欲しかったな、孝高の奴を。

 その時のわたしは、本気でそう思ったものである。


「便宜は図る。もう少し詰める必要もあるだろうが、そろそろわたしも疲れた。あとはわたしの側近を寄越してやるから、煮詰めて形にしろ」


 やや汚い話でもあるし、こういうのは悟ってしまっている貞宗に担当させるのが一番か。

 また仕事を増やしてしまうことになるが、いつものことである。


「と、ところで色葉殿」

「ん、なんだ秀吉?」


 今度はどこかそわそわした様子で、秀吉が遠慮がちに声をかけてきた。

 挙動不審ですら、ある。


「北ノ庄に参ってより、乙葉殿の姿を見かけぬのですが、かの方はどちらに……?」


 なんだ、そのことか。


「乙葉なら織田家の接待に駆り出している」

「むむ? 確か織田家の接待役は姉小路殿と窺っておりましたが……?」

「ああ、そうだ。乙葉はその家臣どもの相手をしているぞ。特に柴田勝家のところに入り浸っているらしいが」

「な、なんですとー!」


 素っ頓狂な声を上げる秀吉を見て。

 わたしはからからと笑ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る