第190話 武田家の存亡(後編)
「何故に? すでに朝倉より援軍が高遠城を目指しているとの報告もあるというのに、それを利用しない手はなかろう。今や朝倉勢は精強。信長とて近江で大敗を喫したというではないか。確かにその威を借るは癪ではあるが、使えるものは使うべきだ」
「――あれは景頼殿が勝手にしたこと。武田家は何もしておらん。非常時ゆえ罪は問わぬが、勝手に他国の軍勢を引き入れるなど謀反の兆しと取られても仕方なき仕儀ぞ」
「謀反だと」
その思わぬ言葉に、友晴はこれまで抑えていた感情を爆発させてしまう。
「何を言うか! そのようなたわけたことを言っておるからここまで追い込まれたのではないのか! 信玄公や大殿は自ら軍勢を率いて敵と戦ってきたというに、汝らは何という様だ! 信廉殿など一戦も交えずに城を放棄して逃げ出してきたなど、正気の沙汰とは思えん! まことに信玄公の弟君なのか!」
「控えよ無礼者が!」
信豊に一喝されるも、友晴に怯む様子など微塵も無い。
まさに一触即発となったところで、昌恒や昌輝といった周囲の者どもに抑えられて、友晴はどうにか席へと戻った。
「――落ち着かれよ小宮山殿。……しかし信豊殿、それがしもうかがいたく。何故そこまで朝倉家を忌避されるのです?」
「……それは貴殿らがかの姫を知らんからだ」
しばらく肩を怒らせていた信豊も、幾度か呼吸を繰り返して落ち着きを取り戻すと、苦々しげにそう答えたのである。
「色葉姫、ですか」
「然様だ」
「今はまさに危急存亡の秋。小宮山殿のおおせられる通り、朝倉家の助力は不可欠かとも思います。それが叶わぬというのならば、その理由をつまびらかにしていただけなければ、納得できぬ者も出て来ましょうぞ」
そんな昌恒の言葉に、信豊は小さく息を吐き出した。
「わしは朝倉家との交渉も担っていた故、かの姫とはよくお会いする機会もあった。だからこそ分かるが、あれはひとではあるまい。姿かたちをはさて置いたとしても、な」
色葉の容姿が狐憑きであることは、武田家ならば周知の事実である。
かつて長篠の戦いの折、我が物顔で家中を闊歩していたからだ。
「大殿がご健在であったならば、かの姫もおいそれと手出しはできなかったやも知れぬ。されど今の武田では、かの姫がその気になってしまったらまずどうしようもなくなる」
「それは、色葉姫がこの武田を乗っ取ると……そうおっしゃりたいのですか」
「乗っ取られるだけならばまだ良い。下手をすれば滅ぼされるだろう」
信豊の懸念は、実のところ少し前までならば杞憂の類だった。
色葉はこと武田家に関してのみ、その手のことは思考の埒外にあったからである。
もちろんこれは、晴景の存在が大いに影響していたことによる。
色葉自身、気づいていないことではあったとはいえ。
一方で、信豊の危惧も無理ならぬことではあった。
信豊は朝倉家だけでなく、上杉家との交渉も持っていたからだ。
そして上杉家の現状を目の当たりにしていたからである。
信豊にしてみれば、今なお上杉家が存続していることこそが不思議なくらいであり、この先色葉の気紛れ次第でどうとでもなってしまうと恐れてもいた。
もちろんこれも、晴景の存在が大きい。
他にも戦略的意義もあったが、晴景と景勝の個人的友誼を色葉が考慮したからでもある。
巷で思われている以上に、色葉は存外晴景に甘いのだ。
それに信豊が気づいていれば、武田家の戦略や方向性も変わっていたかもしれないが、そこまで求めることこそが酷であるともいえる。
「晴景殿の家督継承の際、その挨拶にわしは北ノ庄に赴いたが、その折に相模出兵の件で色葉殿はひどく憂慮されているようにみえた。今思えば大殿の死を予感されていたのかもしれん。長篠の件もそうだ。かの姫は何をどこまで見通されているのか、やや恐ろしくもなった。そして武田家の現状は、まさに隙しかない。今も姫が舌なめずりをしている気がしてならん……」
色葉と面識のある武田家臣は、おおむね二通りにその印象が分かれる。
その存在を忌避する者と、認める者である。
ただし前者の場合は恐怖するし、後者の場合は畏怖する。
どちらにせよ恐れるのだ。
信豊はもともと後者であったが、色葉と接触するに従い恐怖の方が勝り、そして勝頼の死によって武田家という重責を担うようになったことで、あらゆる不安要素を排除する方針をとってしまったのだった。
それが後手に回り、今回の甲州征伐や、ひいては色葉の怒りを買うことになってしまったことは、もはや必然の不運でもある。
「それがわしの失策であったならば、甘んじて責は受けよう。されど今はこの武田家を如何するか、それが先決」
「――信豊、甲斐は捨てられない」
不意に口を開いたのは、それまで黙していた信勝だった。
「父上が残してくれたこの新府城に籠城し、運命を共にしたく思う。ついてこられない者は、それで良い。それぞれの領地に戻り、身の振り方を考えることを許す」
「と、殿っ」
信豊は慌てたが、信勝の意思はすでに固かったのである。
「そもそもは我が父の敗死が、今日の惨事となった。私は武田家の意地を通すため、甲斐は捨てられない。城を枕に討死してでも、名門武田の家名は守る。非才の身ではあるが、その誇りだけは父上から受け継いだつもりだ」
「な、なりませぬ! 殿が生きてこそ、武田家は守られるのですぞ! それに織田との交渉を諦めたわけではありませぬ!」
信勝の生母である龍勝院はすでにこの世の人ではないが、織田信長の姪に当たり、かつて信長養女として勝頼の正室となったのだった。
そのため信勝と信長の間には血縁関係があり、これをもって信豊は信長との和睦を最後まで模索するつもりだったのである。
「良い、良いのだ。すでに決めたことであるし、それにこれ以上、そなたらが言い争うを見るのは忍びなく思う。これが最後となるのならば、我を通させて欲しい」
その言葉に、誰もが返す言葉を失ってしまう。
静まり返った場の中で、やがて一人の将が呵々大笑してみせた。
小宮山友晴である。
「弱冠十四にも満たぬ殿にそのようなことを言わせ、貴殿らは恥じるところはないのか! よろしい! 拙者はここを梃子でも動かん。殿に最期までお付き合い致す!」
「侮ってもらっては困りますぞ小宮山殿。それがしとて忠義では負けぬというところ、お見せせねばなりますまい」
昌恒が同調し、少なからずの将がそれに応える。
例えば温井常陸介。信勝の守役であった人物である。
例えば大竜寺麟岳。甲斐国甲府の大竜寺住職の僧ではあるが、武田信廉の子として武田家中では重きを為した人物である。
また安倍宗貞や、秋山紀伊守といった、勝頼が高遠城主であった頃からの近臣で、重用された人物らもいた。
その他にも多数の人物が信勝と運命を共にすることを決めたのである。
信豊も新府に残ろうとしたが、信濃小諸城へと一旦逃れ、武田家の再起を図るよう信勝に厳命され、やむなく従うことになった。
こうした中、天正九年五月二十八日。
徳川家康と穴山梅雪率いる北条方一万が新府城へと至り、これを包囲する。
籠城する武田方はこの時減りに減って、僅か一千余という有様であった。
武田家の存亡をかけた、新府城の戦いである。
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