第189話 武田家の存亡(前編)


     ◇


 甲斐新府城。


 これは武田勝頼が、嫡男である信勝に残した遺産でもあった。

 長篠の戦い以後、勝頼は領国の再強化に乗り出したが、その際に新たな拠点の築城の必要性を感じたからである。


 甲斐武田氏は勝頼の祖父に当たる武田信虎の代に、甲斐国山梨郡古府中にその居館として躑躅ヶ崎館が築かれ、領国経営における中心地として機能した。

 そして城下町は信玄や勝頼の代にも整備拡張されていったが、その拡大はもはや限界にきており、移転計画が持ち上がったのである。


 候補地はすぐにも選ばれたものの、問題は多額の費用だった。

 武田領国の税は、他に比べて比較的重い。

 これは信玄の代からであったが、このような賦役は民の反発を招きかねない。


 とはいえ豊富な蓄えもあるわけでなく、計画は計画のまま置き去りにされていたのであるが、その話を耳にした朝倉家の色葉が、無期限の貸付――事実上の無償援助であるが――を前向きに検討してくれたことにより、普請は現実的となってただちに実行されたのである。


 その新府城において、新たな城主であり武田家の当主となった武田信勝は、この年に十四を迎えるといった若さでしかなかった。

 そのため一門筆頭の武田信豊がこれを補佐し、主に采配を振るっていたのである。


「――信豊殿。この新府まで退いてまことに良かったのですか」


 軍議の中、若いながらも物怖じせずにそう声を上げたのは、武田家の譜代家老衆である土屋昌恒であった。


「高遠城には景頼殿がおる。これが織田の侵攻を食い止めている間に、我らは体勢を立て直して反撃の機会を伺う他ない」

「されど……高遠城に篭るは三千。敵は三万近いとか。これでは……」


 木曾義昌の謀反を知った信勝は、自ら兵を率いて諏訪上原城へと入り、信豊に命じて鳥居峠での迎撃に及んだ。

 これが五月十六日のことである。


 この時、信豊と決戦に及んだのは寝返った木曾義昌であった。

 織田勢の支援を受けた木曾勢に対し、信豊率いる武田勢は敗北。

 織田の進軍を止めることは適わず、織田勢は十八日には飯田まで軍を進めた。


 この飯田城を守っていたのが保科正直であったが、正直は迫り来る織田の大軍を前に城を放棄して逃亡。

 これを知った大島城を守る武田信廉は戦意を喪失。

 戦わずにして甲斐へと退却し、大島城は陥落した。


 これにより信濃伊那郡の重要拠点であった飯田、大島の両城は織田家の手に落ち、残るは高遠城を残すのみとなったのである。


 この事態に諏訪上原城の信勝と合流した信豊は、態勢の立て直しのために甲斐新府城へと撤退。

 南信濃がほとんど戦うことなく織田家の手に落ちた中、唯一高遠城のみが徹底抗戦の構えをみせたのだった。


「それに織田のみを言うてはおれん。北条氏照がすでに岩殿城を囲んでおる」


 岩殿城は武田家重臣・小山田信茂の居城である。

 信茂は信勝に従って、諏訪上原城まで従軍していたが、北条氏照の来襲に備えるべくいち早く戻り、岩殿城にて守りを固めたのだった。


「岩殿城は東国屈指の堅城。しかし万が一これが抜かれれば、新府は危うい」

「……それだけではありませぬぞ」


 補足したのは、長坂釣閑斎。

 勝頼の側近であった一人である。


「駿河より徳川家康がこの新府を目指して北進しているとか。しかも穴山殿の案内の上だ。これが何よりまずい」


 釣閑斎の言に、誰もが押し黙る。

 武田の重臣であった穴山梅雪の離反は、木曾義昌の離反以上に致命的だったと言える。

 梅雪は新府までの地理を熟知しており、その呼びかけにより道中の諸城が、靡いて離反する可能性が高かったからだ。


「もし高遠城や岩殿が落ちれば三方から包囲されて、ひとたまりもなかろう」


 難しい顔で、信豊はうめいた。

 このままでは退路すら失うことを危惧したのである。


「であれば、提案があります」


 押し黙る軍議の席の中で、口を開いたのは真田昌輝だった。

 真田家の当主であり、武藤昌幸の兄である。

 昌輝の預かる真田領もまた、上野方面では北条氏邦の侵攻を受けていたが、ひとまずは内藤昌豊らに任せ、主家の一大事に新府へと参陣していたのだ。


「速やかにこの新府を退かれ、岩櫃城にて再起を図られるがよろしいかと愚考致します」

「なに、新府を捨てよと申すのか」


 諸将からどよめきが上がる。

 その動揺が収まるのを見て、昌輝は続けた。


「新府は死地。甲斐はもはや守り切れませぬ。されど我が岩櫃城ならば新府より遠く、巻き返しを図るならば打って付けかと思われます」


 昌輝の居城である岩櫃城は、上野国にある。


「上野もまた氏邦めに攻められているではないか」

「如何にも。されどこれまでことごとく打ち払ってきた実績がありますぞ。それにかの地ならば上杉の援軍も期待できるというもの」


 釣閑斎へと、昌輝は冷静に答えた。

 すでに武田領は周囲より攻められてはいるものの、もっとも健闘していたのが上野方面であったのである。

 そして上杉景勝は武田家よりの援軍要請を受諾していた。


「援軍と言うのならば、上杉などよりも朝倉を頼る方が上策ではないのか」


 そう口を開いたのは、小宮山友晴。

 勝頼の側近衆と折り合いが悪く、勝頼によって蟄居されていたこともあったが、今は亡き跡部勝資の口利きにより謹慎を解かれていたという経緯があった。


 先の遠江平定戦では戦功を挙げたものの、勝資には余計なことは口にしてくれるなと諭されていたこともあって、これまで無言を貫いてきていたのである。


「朝倉か」


 信豊が苦い顔になる。


「然様。馬場殿の深志城に入るのも一つの手であろう。あそこがもっとも朝倉領に近い。衰えた上杉などよりも、隆盛を極めつつある朝倉の方がよほど頼りになる。しかも朝倉の当主は殿の叔父に当たる方。高遠にはその正室の弟殿である景頼殿もおられるし、武田を見捨てることは絶対にありますまい」


 それは居並ぶ諸将の大半が思っていたことであり、しかし口にできないことでもあった。

 武田家でも勝頼死後、早くから朝倉家からの全面支援を受けるべきだとの声は多数、あったのだ。


 しかしその声を、信豊や信廉といった一門衆は、撥ね退けてきたのである。

 もちろん、事情はある。


 朝倉からの支援を望む声の半数は、諏訪景頼の擁立に動こうとする気配があり、信勝の家督継承に影が差し込んでいたからである。

 これを由々しき事態と見た信豊は、朝倉家との連絡を極力断った。

 朝倉家――とりわけ色葉の介入を恐れたからである。


「無用、無用」


 信豊は首を横に振った。


「朝倉は頼れん」

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