第167話 第二次三増峠の戦い(前編)
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天正八年五月二十日。
武田勝頼率いる武田勢二万は北条方の予想通り、古甲州道を経てまず武蔵国へと侵入した。
その手始めに、小田原城の支城の一つである八王子城の攻略に取り掛かる。
城主は北条氏照。
八王子城はこの時未完成であったものの、氏照はここに陣を移して武田勢を迎え撃ったのである。
「いつぞやの雪辱を果たさん」
かつて武田信玄が小田原城を目指した際、氏照は滝山城に拠ってこれと戦い、三の丸まで陥落するという大激戦となった。
その際に二の丸にて陣頭指揮を執っていた氏照は、攻め寄せた武田勝頼と槍をあわせた経験がある。
結局滝山城は氏照の奮戦により陥落を免れたものの、追い込まれたことは確かだった。
ちなみに八王子城は滝山城が当時の戦により苦戦したことを踏まえ、新たに築城されつつあった城である。
しかし勝頼は一部の兵を八王子城の牽制に残すと、そのまま南下。
まっすぐに小田原城を目指したのだった。
そうして五月二十三日。
ついに小田原城へと至ったのである。
「敵ながら大したものですな」
敵城を望みつつ、勝頼の側近である跡部勝資が唸ってみせた。
小田原城の威容とその難攻不落振りは、こうして眺めるだけで分かるというものである。
「これは力攻めをするにはまるで兵が足りませぬな」
「であろうな」
あっさりと、勝頼は同意してみせた。
「如何ほど腰を据えるおつもりですか」
「七日はみている」
「なるほど。頃合いでしょうな」
勝頼は小田原城を目指したが、その実攻略の意図があったかといえば、そうではないというのが本当のところである。
かつて信玄が小田原城を囲んだ際も同様であったが、これはあくまで示威行為の一環だったのだ。
事実四日間の包囲のみで、信玄は撤退している。
勝頼にしても同様で、実際に兵を動かし、城を囲むことで威容をみせつけ、直接牽制するのが狙いである。
北条家と手切れとなって以来、氏政は執拗に上野国への侵攻を続けていた。
それらはことごとく撃退してきたものの、一度は逆に攻め入り、その心胆を寒からしめることで、敵の気勢を削ぎ、領国の安定を図るつもりだったのである。
敵が打って出てくるならば野戦にて合戦に及び、籠城するならば無理には戦わず、あくまで威容を見せつけるだけに留める。
そのため八王子城も捨て置き、敵の本拠たる小田原を目指したのだ。
包囲が五日に達した頃、城内にて変事が起こったように見えた。
すなわち火の手が上がったのである。
それはすぐにも消し止められたようではあったが、すぐにも風の噂により城内で内輪もめがあったことが知らされた。
このことにむしろ乱れたのは武田方の方であった。
「これこそ好機。一度攻め入って、更なる武威を示すべきである」
武田陣中において、諸将の中にこのように主張する者が出てきたからだ。
そのため包囲が七日を越えても、当初の予定であった撤収には至らなかった。
六月に入り、武田勢はようやく撤収を開始。
武田方の動きを監視していた北条方は、すぐにも伝令を発し、各地に迎撃の準備を整えさせた。
武田勢は北上し、三増峠に差し掛かろうとしたところで、策敵隊より敵兵発見の報がもたらされる。
北条勢は武田勢の進路の東側にあった相模川を越え、三増峠の脇に陣を張っているという。
「背水の陣とは愚かな」
武田諸将が嘲笑する中、改めて勝頼は尋ねた。
「敵将は何者か」
「三つ葉葵が見えまする!」
伝令の報告に、諸将は首を傾げる。
「三つ葉葵といえば徳川であるが、何故にこのような所に?」
訝る勝頼に、答えたのは勝資であった。
「恐らく徳川家康は北条に身を寄せたのではないかと」
「織田に逃げたのではなかったのか」
「ともあれここで徳川の命運は、改めて尽きたようであるな」
そう笑ったのは、勝頼の叔父に当たる河窪信実である。
「見れば敵は小勢。わしが一捻りし、道を開けようと思うが如何か」
「よし。ならばお任せする」
「心得たり」
一千ほどの徳川隊に対し、河窪隊三千は猛然と突撃を開始。
徳川隊はあっという間に打ち崩され、しかし背後が川であるため後退もままならず、散り散りになって霧散した。
「徳川隊の残兵は、峠に逃げ込みましたぞ!」
「今こそ追撃の好機!」
「このまま一気に峠を越え、津久井城を攻め落としましょうぞ!」
諸将の意気に勝頼は進軍を決断。
目指す三増峠には残兵をまとめた徳川家康が、僅か数百の兵で待ち構えているかに見えた。
天正八年六月三日。
世にいう、第二次三増峠の戦いである。
◇
「やれやれ何とも気の重いことだ」
武田勢が雲霞のごとく押し寄せる様を目の当たりにして、やれやれと家康は溜息をついていた。
武田勢はこの時一万七千余。
対する徳川隊は二千。
武田方は数百と見ているだろうが、事前に千五百は丘陵地に潜ませてあり、緒戦の敗退は数を少なくみせるための策であった。
「高所に陣取っている我らに地の利はありまずぞ」
などと言うのは徳川家随一の猛将である本多忠勝ではあるが、それでも数の差は如何ともし難いものがある。
「逸るな。我らの任はあくまで足止めと心得よ」
今回、家康が立てた策は、援軍が間に合うかどうかにかかっている。
八王子城の北条氏照は、小山田信茂率いる三千の武田の別動隊によって牽制されているため、身動きが取れない。
しかしこれは同時に小山田隊を足止めする効果もあった。
このため鉢形城へと戻っていた北条氏邦が手勢を率い、八王子城救援とみせかけて津久井城に入り、今まさにこの三増峠を登ってきているところである。
その数、およそ一万。
氏邦は兵を分け、一隊を三増峠の南西に位置する志田峠に進ませ、高所の陣取りをまず目指した。
かつてここを武田方の山県隊に取られたため、戦の半ばから風向きが変わり、北条勢は敗北に至った経緯がる。
「とにかく急ぐな。かつて北条が武田に敗れたのは、氏照や氏邦が逸って開戦を急いだからだ。確かに一見戦機は熟したかに見えて、緒戦は有利に運んだが、相手は老獪な信玄だ。結局手玉に取られて負け戦となった」
「されど殿。此度の相手は信玄ではありませぬ。勝頼如きではありませぬか」
傍に仕える井伊万千代の言に、家康はたわけと言って苦笑した。
「その勝頼如きにわしは敗れたのだ」
勝頼の采配は信玄のそれに劣るものではないと、家康は考えていた。
しかし信玄に比べると、攻めることを得意としている節がある。
だからこそ、敢えて迂回せずにこの三増峠に引き入れることも可能かと考えていたが、それは当たったようだった。
さりとて現状、特段優位というわけでもない。
地の利はあるが、氏邦隊と徳川隊を合わせても一万二千余。
武田勢は一万七千余。
数で不利な上に、甲州勢は山岳地帯での戦に慣れている。
一方の北条勢は平地での戦が多く、この経験の差は如何ともしがたい。
このままだと、永禄十二年の時の一戦と同じで、良くても引き分けとなるだろう。
戦局を打開するためには、小田原から向かっているはずの北条氏直率いる二万の増援が不可欠である。
そのためには開戦を少しでも遅らせ、しかし武田の気が変わらないように引き付け続けねばならない。
敵とて背後からの追撃には常に警戒しているはずであるから、あまりにあからさまに煽ると三増峠を迂回し、進路の変更に及ぶかもしれないのである。
そのため一度負けてみせたのだが……。
「とにもかくにも敵は来た。後は勝ち過ぎず、負け過ぎずを心得て時間を稼ぐ。いや、負け役は我ら徳川が引き受ければ良い。血気盛んな氏邦殿が攻めすぎるだろうからな」
「何とも損な役回りではありませぬか」
万千代に不憫なまなざしを向けられて、家康は笑った。
「この家康、忍従だけは人一倍得意でな。なに、必ず機はある。必ずな」
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