第110話 飛騨松倉城の戦い(後編)

「殿?」

「信長殿の要請ゆえ、やむを得ず出陣に至りはしたが、飛騨など我らが領国から遠く、これを落としたとしてもあまり利は無い」


 飛騨は徳川領である三河などと接しているわけでもない。

 あくまで織田勢の援軍として派遣するはずだったというのに、気づいてみれば徳川が飛騨に攻め込んで、織田はあくまで援軍、という立ち位置になっていたのだから、家康が困惑するのも無理からぬことではあった。


 これはすぐには武田と事を構えたくない、信長の策略の一環だったのだろう。

 武田からの矢面に立つのは徳川の役回りかもしれないが、しかし損な気分ではある。


「しかし殿、織田殿には長篠での借りもあることですし、これを断り同盟関係に亀裂を生じさせることは得策ではないでしょう」

「そうではあるが……」


 長篠の戦いにおいて、織田の援軍を得た徳川勢は武田勢を敗退させることに成功している。

 武田は文字通り大敗したものの、徳川勢の犠牲もそれに劣らぬほど大きなものだった。


 長篠城は落とされた上、城主であった奥平貞昌は討死。

 さらには重臣であった酒井忠次まで、戦場の露と消えた。

 以外にも多数の臣が戦死している。


 また兵の損耗も激しく、長篠の戦いは織田の勝利であっても徳川の勝利ではなかったのだ。

 一応の痛み分けとなり、武田の攻勢が無くなったことで徳川領も落ち着くことはできたものの、あれから完全回復とは言い難い状況である。


 それに対し、武田の方はすでに往時の勢いを取り戻しつつある。

 どうやら北陸の朝倉家と同盟した影響が大きいようで、朝倉からの支援が武田を早期に立ち直らせたことはもはや疑いようも無い。


 家康は今、その朝倉にも矛を向けて戦っているのである。

 そんな余裕など無いにも関わらず、だ。


「ともあれ殿、この地に長居は無用かとは存じますが、しかし徳川の武名を一度は轟かしておく必要があるかと」


 そう言うのは、同じく陣にあった家康の家臣・大久保忠世である。

 忠世もまた各地を転戦した武将で、かつて武田信玄に家康が三方ヶ原の戦いで大敗を喫した際、その敗戦後に一矢報いた犀ヶ崖の戦いにて活躍し、信玄をして称賛せしめた武功を挙げた将だ。


「ううむ、それはそうなのだが……」


 本音を言えば、すぐにも撤収して浜松に戻りたいところである。

 しかしそれを許してくれないのが、岩村城の織田信忠だ。


 後詰といえば聞こえはいいが、どうにも背後で見張られているような気分である。

 功も無く戻れば、信長にどのように報告されるか分かったものではない。


「むしろ監視が目的か……? まったくたちの悪い……」


 ぶつぶつと愚痴を零し始めた家康を前に、元忠と忠世は顔を見合わせてやれやれと肩をすくめてみせた。

 家康は冷静沈着で優秀な主君ではあるのだが、時に短気で神経質なところがある。

 今もその癖のようなものが僅かにのぞかせているが、ここにもし酒井忠次がいれば、家康の抱えていた不安のようなものを看破し、周囲の警戒を密にしていたかもしれない。


 しかし忠次はすでにこの世のひとではなく、すでに迫りつつあった危機に対して半ば無防備だったことは、家康にとっての不幸でもあった。


 夜も更け、空が白みつつあった頃である。

 夜襲ならぬ、早朝の奇襲が徳川の本陣を襲った。


「すわ一大事!」


 突然の鬨の声に、徳川本陣は大混乱に包まれる。

 本陣の背後より武藤勢が、家康の本陣を急襲したのである。


「家康の素っ首を頂戴いたせ!」


 昌幸の指揮の元、一斉に襲い掛かる武藤勢三千は、昌幸の持つ兵力のほぼ全てであった。

 先日の攻城戦において勝利した昌幸は、何と城をほぼ空にする危険を冒して全兵力をもって山を下り、目ぼしをつけていた家康本陣を正確に目標に定めて一気に攻め寄せたのだ。


「これはいかん」


 本陣急襲の報せに、右翼を守っていた徳川家臣・平岩親吉は大急ぎで救援に向かったものの、咄嗟のことだったために動かせた兵は少なく、本陣に至れば大乱戦に巻き込まれることになった。


「殿、殿はいずこか!」


 平岩親吉もまた元忠同様、家康が幼い頃からの側近で信頼厚く、今では家康の嫡男・信康の傅役を務めたほどである。

 今回の戦には岡崎衆を率い、徳川勢の一翼を担っていたのだ。


 一方の家康は、忠世に助けられて味方の陣の中を逃げ惑う羽目に陥っていた。

 即座に反応していた元忠の手勢が昌幸の攻勢を防ぐ間に、辛くも命を繋いでいたのである。


「も、もはやこれまで! 忠世、わしは腹を切るぞ!」

「何を言っておられるか!」


 観念した家康がその場に座り込んで脇差を抜くのを見るや否や、忠世は慌てて脇差を取り上げ馬に叩き乗せ、自刃しようとする家康を諫めて馬を走らせた。


「やはりわしは武田が嫌いだ!」


 そんなことを叫びながら敗走する家康を守りつつ、忠世も並走してこれを守る。

 家康の言を情けないと言うなかれ。

 武田と戦えば、とにかく負けるのが家康である。


 例えば信玄健在の際には三方ヶ原で大敗し、脱糞するまで追い詰められ、その後は悪夢にうなされる夜を送る羽目になった。


 また信玄の死後は、その子である勝頼は徳川領を侵し、一度は吉田城に追い詰められて三河と遠江の分断の危機となったりもした。


 その後、長篠の戦いで勝利するも、徳川勢は散々に打ち破られている。


 そのため家康は武田勢に苦手意識を持っている一方で、しかし皮肉なことに、武田の諸将に対して尊敬の念を抱くようにもなっていたのだった。


「何を気弱なことを仰せか! 生きていればどうとでもなりましょうぞ!」

「わしの人生はどうしてこうも山と谷ばかりなのだ!」


 たまには平地がいいと、わめきながら逃げる家康は、結果的には逃げ延びることに成功した。

 元忠や駆け付けた親吉の奮戦のおかげでもある。

 敗れたとはいえ、三河武士の強さの証明でもあった。


「家康の首を取り損ねたか」


 徳川本陣を散々に暴れ回った昌幸は、しかし深追いせずに速やかに松倉城へと帰城していた。

 ついでにいえば、街道に通じる退路もそれとなく開けておいてあり、潰走した徳川勢が自然、そこに行き着くようにもしてあったといえる。

 これは窮鼠と化すのを恐れたためだ。


「倍の兵力があれば、街道の入口に兵を伏せて逃げる徳川どもを皆討ち取ってやったのだがな。まあ無いものねだりをしても仕方が無い」


 今回は持てる兵の全てをもってしての戦果であった以上、これ以上を望むのは贅沢というべきだろう。


「内記、まずは兵を休ませよ。無いとは思うが敵の再攻撃もあり得るからな。交代で休ませつつ、敵に備えろ。補修も急げ」

「はっ」


 家康が猛将ならば、ここで取って返して攻城を挑んでくるかもしれない。

 今回の奇襲の成功は、徳川勢の初撃を凌いだその夜に、奇襲を仕掛けるという即断によるものである。

 当然兵達はろくに寝てもおらず、連戦のために疲労困憊だ。

 敵も同様であるものの、兵力が違う。


 先の攻城戦で全ての徳川勢は一度に押し寄せたわけではない以上、比較的無傷な隊をもって今仕掛けてこられれば、城が落ちることは無いにせよ、被害は免れないだろう。


 とはいえ徳川勢の士気は散々に打ち砕いたのと、家康の慎重な性格からいって、ここで博打的な反攻は無いと思うが、しかし念には念を、である。

 それに岩村城には織田信忠の軍勢一万が控えている。

 徳川勢の敗退は、これを呼び込むことになるやもしれない。


 しかしこれは昌幸の杞憂に終わった。

 家康は十日ほど街道の入口に居座り、態勢を立て直していたものの、やがて陣を退きはらい、ゆっくりと撤収に至ったのである。


「敗れたというのに、堂々としたものだ。この粘り強さ、改めて厄介な敵である」


 松倉城より徳川の動きを眺めていた昌幸は、素直に家康の指揮を賞賛していた。

 追い打ちでもかけたいところであるが、隙が無い。

 退却してくれると言うのならば、まさに遠慮なくどうぞ、である。


 ともあれ天正七年七月に行われた松倉城の戦いは、武藤昌幸の勝利で幕を閉じた。

 徳川勢は撤退し、岩村城にいた織田信忠の兵もその大半が退いたのである。

 この戦いは、昌幸の武名を天下に知らしめるに十分な一戦であった。

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