第85話 茶屋にて
/色葉
天正六年十一月三日。
越後から越前へと帰ったわたしは休む間も無く、山城国に来ていた。
いわゆる京の都、である。
越前より西に行くのは初めてなので、当然ここも初めてだ。
京の都は応仁の乱で荒廃したというが、さすがに百年もたてばそれなりに復興しているようで、確かになかなかの規模の都市である。
信長が京に入り、色々とするようになったこともいい意味で影響を与えているのだろう。
その初めての京ではあるが、すでに心得たもので、わたしは行きつけとなっていた茶屋でおまんじゅうをぱくついていた。
『貞宗と別れてから食べ通しではありませんか』
などと言ってくるのはアカシアである。
「悪いか?」
『間食は如何なものかと』
今日までの道のりは、貞宗に案内させて一緒に来たのであるが、今は一人である。
貞宗は別件で大和に向かったからだ。
その貞宗がいなくなった途端、口うるさくなったのがアカシアである、
「食べても食べなくても変わらない身体なんだから、食べてもいいじゃないか」
別に太るわけでもないし。
一方で舌の上での満足は得られるのだし。
『目立ちます』
「この目立つ容姿にしたのはお前だろうが」
『それに加えて大食いともなれば、さらに目立ってしまいます。それに姫としてのイメージが崩れます』
何なんだ、それは。
「……やっぱりお前だろう? わたしを姫に仕立て上げようとしているのは」
『何のことか分かりません』
空とぼけるアカシアであるが、絶対にその趣味をわたしに押し付けているはずである。
女になってしまったこととか、尻尾やら耳とか、あと目立つ容貌とか、みんなに姫って呼ばれることとか……さすがにもう慣れたとはいえ。
「まあ、いいけど」
『良いのならば良いのです』
「でもまんじゅうは食べる」
『…………』
アカシアの言うように、確かに目立っている節はある。
いつだったか飛騨国を初めて旅した時のように、白衣に黒の掛襟、そして黒の切袴をはいた上で、黒の千早を羽織り、裾を長くした仕立てで尻尾を、さらに塗笠をかぶって耳を隠してあまり目立たないように配慮はしているのだ。
あの時も貞宗に、噂になっているからあまり動き回るなって言われたような。
でもじっとしているのはつまらない。
読書以外の時は、やはり動きたいし、せっかく京に来たのだから物見遊山はしたいのだ。
とはいうものの今の京は、少し物々しくなっている。
摂津の荒木村重が謀反したことにより、織田方の軍勢が集結しつつあるからだ。
これを直で見るのも、目的の一つである。
噂によると、織田信長自ら率いた軍勢五万余は、数日後には摂津と山城の国境である山崎へと進軍するのだという。
「ここで謀反が起きなければ、この兵どもは越前を目指していたかもしれない、ということか。やれやれだな」
五万ともなると、相当な大軍である。
当然まだ余裕はあるはずで、動員力はもっともっと高いだろう。
対して朝倉の方はといえば最大規模で動員したとして、五万を揃えられるかどうか、といったところだろうか。
もっとも守勢に回ることを念頭に置けば、同数で戦う必要も無い。
地の利があるため、守る側の方が有利だからである。
現に謀反した荒木村重の動員兵力は一万五千。
史実では離反などが相次ぎ、五千余にまで下がってしまうのだが、それでも信長はこれを落とすのに、一年以上の時をかけることになる。
逆に言えばどんなに堅城な城での籠城であっても、援軍の見込みの無い籠城は必ず失敗する、ということだろう。
そんなことは村重も承知しているはずで、石山本願寺や毛利の援軍を当てにしているはずである。
そしてそれを遮断することが、信長の最初の戦術になっていることは疑いようも無い。
支城をまず最初に落とし、本城を孤立した上で包囲し、更には援軍を断つ。
信長が高槻城の高山右近への調略を頻繁に行っているのも、その証左だろう。
また石山本願寺と和睦交渉を行っていることも、その一つである。
「ん?」
ここでわたしの名前を呼ばれたような気がして振り返る。
耳がいいので、よく聞こえるのだけど……ああ、いた。あれか。
「色葉様――――っ」
遠くから物凄い勢いで駆けてくるのは、どう見ても乙葉である。
嬉しさ全開で駆け寄ってくる犬のような有様だ。
あっという間に距離を詰めて、跳躍。
やれやれと思いつつも、抱き留めてやる。
……だからこの勢い、常人相手にやったら吹っ飛ぶって。
やや胸を詰まらせながらも無難に受け止めることができたのは、まあ慣れである。
「お久しぶりです色葉様……! とても会いたかった!」
「ああ、久しぶりだな」
乙葉とは数ヵ月ぶりの再会であり、確かに懐かしくは思う。
……しかし衆目も憚らずに甘えてじゃれついてくる乙葉は、もはや小動物のそれである。
感情表現も家中随一だしな。
見た目が可愛いから、絵になるのでよろしいです、とかアカシアが訳の分からんことを言っていたりもしたか。
「ご無沙汰を、姫」
ようやく追いついてきたらしい正信が、わたしの足元に跪いて、一礼する。
「ん、ご苦労。お前も息災だったか?」
「まずまずです」
「まずまずか」
相変わらずの物言いである。
苦笑しつつ、わたしは抱きかかえていた乙葉を下ろしてやる。
名残惜しそうにしていたものの、文句は言わない。
「まんじゅうでも食べるか? わたしは食べるから少し付き合え」
まだ食べるのですか――などとアカシアの声が聞こえたような気もしたが、無視。
「うん!」
「では、遠慮なく」
乙葉と正信が頷いたので、わたしも満足げに追加の注文をしたのだった。
◇
今年の七月以来、貞宗や乙葉、正信、景成には畿内方面で動いてもらっていた。
貞宗と乙葉の目的は、大和の松永久秀の調略である。
史実なら謀反を起こした挙句に鎮圧され、最期は爆死したことで有名な人物だ。
が、この世界では謀反に至っていない。
久秀が上杉謙信の上洛を謀反成功の目算の一つにしていたようだが、わたしがそれを足止め……というか、そもそも上洛の動きをみせていないことが原因である。
史実では越前国は一向一揆が平定されて織田領となり、加賀の一向一揆を駆逐されつつあり、焦った一向宗どもはそれまでの敵であった上杉謙信と協力することになったのである。
つまり石山本願寺と和睦し、織田との同盟を破棄して、越中や能登を平定し、加賀、越前を侵攻して上洛に至るはずだったのである。
実際に加賀の手取川において上杉勢は勝利し、織田方はその動きに警戒せざるを得なかったのは間違いない。
ところが謙信はそれ以上は進軍せず、撤退。
久秀は当てが外れ、北陸情勢をひとまず放っておいても問題無いと判断した信長は、久秀を一息に討伐してしまった、というわけである。
そういう事情のため、勝算ありと認めなかった久秀は謀反に至っていない。
とはいえ、そもそもにして謀反への動機があったわけだから、機会さえあれば飛びつく可能性は高く、その機会をこちらで用意してやった、というわけだ。
すでに久秀とは話をつけて、こちらのお膳立てした状況に従って謀反を起こす手筈になっている。
その間、乙葉は久秀の元にいたわけであるが、いよいよ事が動き出してきたので働いてもらうためにこちらに来てもらった、という次第だ。
ちなみに久秀の元には改めて貞宗がわたしの指示を持って戻っており、乙葉の代わりの護衛として、景成が途中で合流し、同行している。
また正信は丹波の赤井忠家への調略を初め、石山本願寺や荒木村重らの間を、わたしの命を受けて動き回っていた。
そして今回、丹波へと向かわせることになっていたのだが、その護衛として乙葉を呼んだのは、やや危険な荒事になる可能性も想定してのことだった。
「でも色葉様? どうして色葉様もここに?」
隣で団子をかじりつつ、不思議そうに乙葉が尋ねてくる。
「何だ正信。話してなかったのか?」
「その方が喜ばれるかと思いまして」
茶をすすりつつ、正信はしたり顔で言う。
どうやら結局わたし自身が説明しなければならないらしい。
「今回の任は危険だからな。初めはお前たち二人に任すつもりだったが、まあ事が事だ。あと、もしかするとうまくいくかもしれない。わたしが出張った方がな」
「妾を心配してくれて? でも大丈夫だから。波多野なんで妾一人で皆殺しにできるもの!」
人目のあるところで物騒なことを言わないで欲しいものである。
それに別に皆殺しにする必要は、そもそも無いのだ。
目的ですら無いのである。
「でも止められなかったの? 色葉様お一人だなんて……雪葉は? まだ越後?」
乙葉にはああ言ったものの、実のところは京への物見遊山、という理由が大半だった。
つまり今回の件は二人に任せても良かったのである。
そしてお察しの通り、同行した貞宗にはあれこれ文句を言われ、ため息までつかれたものだ。
そしてわたしがここに来た理由を物見遊山であると知っている正信は、敢えてその理由を乙葉に伝えなかったらしい。
「雪葉も一乗谷に戻っている。ただ新しい傍仕えの侍女を見つけたから、その教育で忙しくてな。それに越後では色々頑張ってくれたし、休養も必要だろう」
「ふーん……。雪葉、お手柄だったんだ。そう……妾も負けないんだから」
相変わらずというか何と言うか、乙葉の雪葉に対する競争心はいつものことである。
「ところで正信。畿内の方で動きは?」
今現在、畿内各地の情報に最も通じているのは、間違いなく正信だ。
直接その情報を聞きたかった、というのも、一応の京まで来た理由の一つと言えなくもない。
「すでにご存じの通り、有岡方面に対してもいよいよ開戦かという雰囲気になっていますな。この京も、実に騒がしくなっている様子ですし」
「そうだな」
「また石山本願寺の方ですが、これの補給を巡って毛利と織田が海戦に及ぶ可能性が濃厚です」
天正四年に行われた第一次木津川口の戦いにおいて、織田水軍は毛利水軍らに敗れ、壊滅的被害を受けている。
そもそも織田水軍が大坂湾を封鎖していたのは、毛利から石山本願寺へと海上からの補給を断つためである。
しかしこの戦いに敗れたことで、封鎖は解かれて物資の補給は成功し、石山本願寺の抵抗がより頑強に継続することになるのだった。
「一度は敗北した織田水軍ですが、織田信長は九鬼嘉隆に対して鉄甲船なるものを伊勢にて建造させ、今年の六月に伊勢大湊を抜錨。七月には再び大坂湾に陣取り、これを封鎖しました。信長自身もこれを見るためについ最近まで堺にいたことが確認されています」
「噂の鉄甲船か」
いわゆる第二次木津川口の戦いである。
「そっちはどうしようもないから放っておく」
「よろしいので?」
「ああ。もちろん戦局には影響するが、織り込み済みだからな。問題無い」
「はあ……」
史実を知っているわたしとすれば、最初からそういう結論に至っていた。
いや、できるのならば毛利に手をまわして対抗措置を取るべきであったが、そんな余裕は無かったというのが実情だ。
それにこの結果は織田方の勝利となるが、毛利方の主目的であった物資の搬入には成功しているから、戦術的には敗れても戦略的には問題無いわけで、だからこそ放置したともいえる。
とはいえ、この第二次木津川口の戦いで信長が勝利したことにより、本格的に有岡城攻略が開始されることにはなるのであるが。
「さて、時間もあまり無いことだし、丹波に向かうとするか」
散々まんじゅうやら団子を食い散らかしたわたしは、ようやく満足とばかりに立ち上がった。
畿内の情勢が緊迫する中、さらにその混乱に拍車をかけるために、わたしは丹波国の八上城へと向かったのである。
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