第86話 八上城にて
◇
八上城。
丹波高地内の篠山盆地中央にそびえる高城山と、西隣に位置する法光寺山を支城と共に要塞化したのが、八上城だ。
大抵の山城に言えることではあるが、この八上城も攻めにくく守り易い堅城である。
波多野氏の籠るこの八上城攻略を担当しているのが、織田家臣である明智光秀であったが、その攻めにくさから力攻めを避けて、兵糧攻めを行っているのだった。
つまり八上城は明智勢に包囲されているのであって、その突破はなかなか容易ではない。
わたしや乙葉がいなければ、正信一人での突破はまず不可能だっただろう。
「……相変わらず恐ろしき力ですな」
夜間の突破を試みたわたしたちの手際の良さに、正信はやや戦慄したようにそんな感想を漏らしていた。
「そう? こんなの朝飯前よ。それに色葉様もいるんだから、楽勝でしょ?」
一人でばっさばっさと見張りの明智兵を斬り殺して回った乙葉は、事も無げに小首を傾げてみせる。
今の乙葉はわたしよりもかなり強い。
その乙葉に斬られようものなら、悲鳴を上げる間も無く即死である。
両断された死体の転がる中をわたしは進み、少し妖気を解放してやれば、死体の肉が腐り落ちて、物言わぬ骸兵の出来上がり、だ。
これを何かの戦力に使う気は毛頭無い。騒ぎが大きくなるからである。
あくまで死体を隠し、何が起こったのか分からなくするためだけに、死者を冒涜して回った、というわけに過ぎない。
一乗谷を知っている正信にしてみれば骸兵など見知った存在であるが、それが実際に目の前で生まれる様は、やはり慄くものがあるのだろう。
ともあれそういうわけで八上城の包囲を突破したわたしたちは、八上城に侵入。
当然拘束された。
抵抗すれば蹴散らすのは容易であるが、それが目的ではない。
この中で波多野秀治と面識があるのは乙葉だけであり、それによって身元を確認させたことで、ようやく朝倉の使者として認められ、秀治との面会が叶ったのだった。
「確かに見覚えがある。大日方殿……だったか。かの者の護衛として参った者であったな?」
面会に現れた秀治の様子は、お世辞にも調子の良いものには見えなかった。
明らかにやつれており、兵糧攻めの影響であることは間違い無い。
当主である秀治ですらこの様なのだから、他の者など言わずもがな、である。
「お初にお目にかかります。私は朝倉家の使者として参った、本多正信と申します」
秀治の向かいの中央に座り、頭を下げる正信。
乙葉も倣って同じ行動をした。
普段は傲慢な乙葉も、時と場合で態度を作ることができるのは、わたしも評価するところである。
それはわたしも同様で、いくらでも本性を偽れるのだけど、それをすると何故か家臣どもの評判がすこぶる悪くなるのだ。
気味が悪いだの、どうせすぐ本性が出るだの、何だの。
まったくけしからん連中である。
とはいえ面倒なのも事実であり、ここでは単刀直入に話がしたかったこともあって、最初から猫を被るのはやめるつもりだった。
「……そちらの者は?」
頭も下げず、どこか不遜なわたしの雰囲気に気づいた秀治が、正信へと問いかけてくる。
「こちらの方は――」
「朝倉色葉、という。以前お前に渡った手紙を覚えているか? あれを父上に書かせたのはわたしだ」
開口一番の台詞に、秀治もさすがに面食らったような顔になった。
わたしの正体にか、それとも態度にか、あるいは両方にかは分からないけど。
しかし、思ったほどは驚かなかったようだ。
すぐに冷静な表情に戻る。
「……なるほど。貴殿が噂に聞く朝倉の姫君か」
その通りではあるが、いったいどんな噂なんだろうって考えてしまう。
「して、その姫君がわざわざ窮地にあるこの城までお越しいただいた理由について、お聞かせいただけるかな?」
「話が早いな」
わたしはにやりと笑ってみせる。
「まどろっこしいのは面倒だ。単刀直入に言おう。わたしに臣従しろ」
「な、何を言うか!」
暴言、とでも思ったのか、それまで黙して控えていた男が半ば立ち上がりながら、そんな声を上げた。
まあ当然の反応だろう。
「控えよ、秀尚」
「しかし兄者……!」
「良いのだ」
なるほど。
誰かと思ったら、今のが秀治の弟の秀尚か。
となるともう一人、秀尚の反対側に控えているのは多分、その弟の秀香といったところだろう。
「とはいえあまりに突然の言ではないか? 真意を問いたい」
「別に大したことじゃない」
わたしは軽く肩をすくめつつ、説明してやる。
「これまであれこれ支援してやったが、こうも完全に包囲されていてはどうにもならないだろう? 兵糧の不足は深刻なはずだ。このままではこの城は落ちるし、丹波も織田に奪われる」
「しかし打って出たところで寡兵の我らに勝ち目はない」
「その通り。もう詰んでいるんだ。この城は」
実際、このままではあと半年程度で秀治は明智光秀に降伏することになる。
史実では、だが。
「ではどうせよと?」
「盤をひっくり返す。お前がわたしに臣従するというのなら、朝倉が援軍を出す大義名分が立つからな。越前と丹波の間には織田領である若狭があるが、これに兵を出す口実になるだろう?」
「援軍を出す、と?」
「今は冬だから、実際には雪解けを待っての春になるだろうが、現状の兵糧の残りを鑑みても、その判断をするには今がまさに許される極限と言っていい」
「…………」
「いいか? わたしはお前のことをそれなりに評価している。地の利があったにせよ、あの用兵家の明智に対して、ここまで粘ってみせたのだからな。ここで失うのは惜しい。だからわざわざわたし自身が来たというわけだ」
一応、本音である。
朝倉の領地は増えたが、それを統べるための人材確保は以前からの課題であり、目ぼしい人物は極力手に入れておきたかった。
もっとも――……。
「光栄なことだ。されど、受けられぬ」
思った通り、秀治は首を縦に振らなかった。
「それに、受けぬ方が良いでのはないか?」
「――――」
少し、驚いた。
思っていた以上に頭がいいらしい。
「図星であるか。姫君は思ったよりも、感情豊かなようであるな」
「……ふふ、侮っていたようだ」
素直にわたしは認めた。
正直に言えば、わたしの計画では秀治らにここで玉砕してもらった方が、都合がいいのである。
「使い捨てるのを躊躇うものではないが、この波多野にはそれなりの支援……つまり投資をした以上、未回収で終わるのもつまらない。だがまあ、そんなことはどうでもいい。父上が、波多野には恩があると言うのでな。義理立てしただけのことだ」
「宗高のことだな?」
「そうだ」
わたしの計画を知った景鏡が、好きにすればいいと前置きした上で、朝倉と波多野の関係について少し話をしてくれたのだ。
元亀元年の頃、朝倉家と織田家は本格的な開戦に及ぶわけであるが、この時に朝倉の援軍として派遣されたのが波多野家臣・波多野宗高であったという。
丹波鬼との異名をとったほどの、武勇知勇に優れた武将であったらしい。
しかし越前にて討死したのだと、景鏡は言っていた。
「父上とは……朝倉景鏡殿か」
わたしは頷く。
「景鏡殿は、波多野が滅びるのを忍びないとお思いか」
「さて、どうだろうな。父上の噂は知っているんだろう?」
「……義景殿を自刃に追い込んだことであるな」
その通りで、そんな景鏡が他家の一家臣の死になどに恩を感じるものかと思ってしまうところであるが、あれでなかなか武士なのである。
そういう恩は、忘れないらしい。
「……まあ、ともあれだ。わたしは父上ほど優しくは無い。お前が臣従する気が無いというのなら、それも良し。わたしはこの丹波を信長にくれてやる気は無いから、そのためならどんなことでもするぞ?」
丹波は京から見て北西の出入口にあたる要衝であるため、ここを抑えれば京の頭を押さえるに等しい。
京を押さえている信長にしてみれば、丹波は目の上のたんこぶのようなもので、うっとうしいことこの上無いだろう。
「我らはすでに進退窮まっておる。朝倉殿は、朝倉殿の最善と思われる道を取るがよかろう」
「……ふん。物分かりが良すぎると、嫌われるぞ?」
もう少し説得しようかとも思ったけど、やめた。
どうせ秀治の決意は変わらないだろう。
すでに死を覚悟しているのが明白だったからだ。
それに、このままの方が都合が良いことは確かなのである。
そういうわけで交渉はここまでとなり、わたしたちは速やかにその場を辞した。
ただその前に一つだけ、秀治に告げるべきことを告げて。
「……よろしかったのですか?」
尋ねてくるのは正信である。
「仕方ないだろう。……そういえばすまなかったな、正信」
「はて、何がでしょう?」
「交渉はお前に任せるつもりだったのに、つい出しゃばってしまった。許せ」
「姫自ら参られたというのに、臣こそ出しゃばる道理はありますまい」
「ふん。お前も物分かりがいいな。しかしたまには馬鹿を装った方が、可愛げがあって嫌われずにすむぞ?」
「……耳が痛いですな」
苦笑する正信。
聞いた話ではあるが、徳川家臣をしていた頃の正信は、同僚である徳川の家臣どもに嫌われていたらしい。
腰抜けだの、腸の腐った奴だの、何やら散々な言われようだったとか。
「まあいい。それよりも、これで計画通り進められる。義理も果たしたことだしな」
「ですが、本当によろしかったので?」
念を押してくる正信に、くどい、とわたしは唇を尖らせる。
「波多野には捨て駒になってもらう。もう決めたことだ。くどくど言うな」
「はっ……申し訳ありません」
本音を言えば。
景鏡への義理など関係無しに、秀治を失うことは勿体ないと思う自分がいるのも、また確かである。
未練、だな。
残念ではあるけれども。
「行くぞ。帰りは警戒が厳しくなっているだろうから、強硬突破だ」
「行きも強硬突破だったけどね」
「そうとも言うか」
「うん。――とにかく任せて色葉様。あんな雑兵、一捻りなんだから」
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