第83話 上杉華渓・道満丸母子
幼子とはいえ、それが敵将の嫡子であればこれを討つことなど、この戦国の世ではよくあることだ。
一方で子供の命を奪うことに抵抗を覚えるという感情は、まあわたしでも理解できる。
というかごく一般的で当然の感情ともいえるだろう。
で、雪葉だけど。
雪葉は基本的にとても優しい。
わたしに対してのみ口うるさいところがあるが、とにかく控え目で人当りが良く、今回の上杉家への調略に用いたほどである。
とはいえそれは表面上のことであり、内面は雪女だからであるかどうかは知らないが、かなり冷酷で冷淡だ。
怒らすととても怖く、この辺りはわたしも乙葉も意見の一致をみている。
かなり暴力的で残忍なところのある乙葉ですら、雪葉に対しては一目置いている――というか、単純に怖がる時があるくらいだから、かなりのものである。
アカシアにそうあれ、として指導されたせいもあってわたしへの諫言は多いが、一方で認めたわたしの命に関しては忠実に、それこそ冷徹にこなしてきた。
他人の命を奪うことに関しても否やはなく、冷淡な一面を垣間見せてくれる。
そんな雪葉が例え幼子とはいえ、ただ単に憐れに思ったから殺せなかった、ということに関しては、やはり単純に驚きだったのだ。
「ふうん……」
だいぶ雪葉や乙葉のことは分かったつもりでいたけれど、まだまだだった、ということか。
ともあれ雪葉の動機が意外なものであったとはいえ、当初の答え通り否やがあるわけでもない。
とはいえ、だ。
「食べたり奴隷にしたりするのなら、さほど後腐れも無いと思っていたけど、そういうのは望まない、ということなんだろう?」
「はい」
「そうなると、その出自は少々厄介だな」
この上杉道満丸の出自はかなり複雑である。
生かしておくと、後々面倒な気もするな……。
史実でも景勝に殺されているし、その判断は間違っているとは思わない。
まさにこの世の倣い、である。
しかし雪葉が殺したくない、というのであれば、どうしたものかとも思う。
わたしが殺してもいいが、単純に雪葉が手を下さないですむことを望んでいる、というわけではなく、助命を望んでいる以上、そういう判断もできないだろう。
それでも雪葉は従うだろうし、忠誠が揺らぐこともないだろうが、それではわたしとしても面白くない。
雪葉を大切にしている行動、とは思えないからだ。
さてどうしたものかと考え込んでいると、雪葉の困ったような顔が視界に入って、思わず苦笑してしまった。
わたしよりも上背が小さかった、出会ったばかりの頃を思い出してしまったからだ。
「うーん……。なあ、アカシア? この歳なら今後の教育次第で、朝倉に忠誠を誓えるようになると思うか?」
『……教育次第、本人の性格次第でしょうから、一概に予測することは難しいです。調教して奴隷のように扱うのならば、無論可能であると申し上げます』
アカシアは誰でもすぐに奴隷扱いするから、あまり参考にはならないな。
まったく……。
いや、待てよ。
なら……。
「雪葉」
「は、はい」
「お前が育ててみるか?」
「わたくしが……ですか?」
「そうだ」
頷きつつ、わたしは自分の考えをまとめていく。
ばらばら、と浮かんだ案を、うまく組み立てられるかやってみて、ぼんやりとではあるが形になったところで笑みを浮かべた。
これはこれで悪くないのでは、と思ったからだ。
「別段母親代わりをしろと言っているわけじゃない。いや、その母親ごとお前が手なずければいい。そうすれば将来、色々役に立つ気がする」
上杉道満丸の父親は無論、上杉景虎であるが、その母親は華渓といい、景勝の姉だ。
そして景勝は謙信の養子ではあるが、その姉である綾の子であり、つまり越後守護代を世襲した謙信と同じ血統である府中長尾家の血を引いていることになる。
また当然、府中長尾家の分家であり景勝と同じ上田長尾家の血をも引いており、さらには父・景虎の血統である相模北条家の一門とみることもできるのだ。
複雑な血縁関係ではあるものの、だからこそその存在は邪魔であるともいえるし、役に立つともいえるのではないか。
「お前にだから言うが、越後を攻略するつもりはないものの、近い将来に上杉を臣従させるつもりだ」
謙信が健在であった頃の上杉家は精強であったが、今回の大規模な内乱を経て、上杉家の力は大きく減衰してしまったといえる。
史実においても御館の乱以後、織田方の攻勢にあって窮地に陥り、滅亡の危機を迎えることになるが、信長が横死したことで九死に一生を得た、という有様になってしまうのだ。
そしてその後、豊臣秀吉に臣従することになる。
「姫様はそれを見こされて、わたくしを遣わせて今のうちから準備をされていたのだと思っておりました」
「そうだ。察しがいいな」
にやりと笑い、首肯する。
「武田とは対等な同盟関係を維持するが、上杉ではその魅力も乏しい。何よりわたしたちが東国に打って出る際に、越後が同盟国では都合が悪いからな?」
今回のことで、相模の北条家と朝倉家は敵対関係に入ったも同然である。
そして関東を支配している北条家は、いずれ潰さなければならない相手だ。
「まずは目の前の織田との関係があるから、関東に手を出すのは先のことになるだろうが、それでも将来について考えておいても損は無いだろう」
どういう状況になるかは分からないが、道満丸の存在は何かしらの大義名分を得るのにちょうどいいのでは、と考えたのだ。
「それに血筋は悪くないから、今からしっかり育てればいい駒になる。案外拾い物かもしれないぞ」
そのためにはいくつか根回しや何やらと、動いておく必要もある。
考えているうちに、自然に口の端が歪んで笑みをこぼしてしまう。
「姫様……」
普段ならば一発で窘められるような表情をしても、今日の雪葉は強くは言わず、困った顔になるだけだ。
「ああ、すまない。ただ色々考えていたら、面白くなってきてな?」
笑みを堪えつつ。
わたしはそう謝罪したのである。
/
天正六年十月中旬。
絶体絶命の窮地に陥った景虎の籠る御館に対し、景勝方は総攻撃を開始した。
景虎方の士気はすでに落ち、陥落は避けられなくなった時点で、景虎は自害を決意。
しかしこれを思いとどまらせ、脱出の道を選ばせたのが、その継室であった華渓である。
景虎は実家の相模北条家を頼るべく、関東へのもはや唯一脱出路となっていた鮫ヶ尾城へと逃がしたのだった。
そして華渓は一人御館に留まり、景勝からの降伏勧告を拒絶し、今まさに自決に至ろうとしていたのである。
「死ぬのは結構だが、その前に少し話を聞く気はないか?」
すでに火の手が回っている中、平然として現れた少女を見て、華渓は驚きに目を見開く。
「何をしているのです! 逃げられる者は逃げろと――」
「ああ、そうじゃない。わたしは朝倉色葉という。景虎の家臣ではないぞ」
見ればその通りで、華渓の記憶にこのような侍女はいなかった。
というより、とても侍女などに収まる容姿や雰囲気ではない。
そして特徴的な獣の尾。
これが噂に聞く朝倉の姫なのだろう。
色葉はそのまま歩み寄ってくると、華渓の目の前にすとん、と座り込み、雑談でもするかのように寛いだ様子を見せた。
炎の中で、である。
毒気を抜かれるとはこのことで、華渓は手にしていた短刀を落としてしまうほどだった。
「いいぞ。聞く気にはなった、ということか」
「……いったいこのような時、このような場に何用であると言うのです……?」
「ん、大したことじゃない。お前に死なれると道満丸を育てる者がいなくなるからな。まあこの時代は乳母がすることなのかもしれないが、別に実の親がしてはいけない、というわけでもないだろう」
「それは……息子が生きていると、そういうことですか?」
「そう聞こえなかったか?」
和議が破綻し、光徹が戻らなかった時点で道満丸は死んだと思われていたのだろう。
「……そうですか。それは、あなたが助けてくれたと?」
「そうなるな」
一応、事実である。
「では、あの子をお願い致します。敵であるあなたが何故助けてくれたかは、今は聞く時間もないでしょう。そのことを知って逝けるだけでも幸せです」
「待て待て」
死に急ぐ華渓へと、色葉は苦く笑った。
「わたしはお前が必要だ、と言ったんだ。話は全て聞け」
「私は――」
「死ぬ覚悟は結構だが、わたしが迷惑だと言っている。それにお前の弟も助けると言っているのに、どうして死にたがる?」
「それが武家の娘の倣いなれば」
「ふうん。本当にそれだけか? 景勝のことは憎くないのか?」
それはある意味で天魔の類の囁きであった。
「いくらこの世の倣いとはいえ、家族を殺されるんだ。そう思うのが当然だろう?」
「殿は――」
「逃がしたのは知っている。でも死ぬぞ? 鮫ヶ尾城の堀江宗親はすでに景勝に寝返っているからな。自ら檻に飛び込むようなものだ」
「な……」
唯一の希望を断たれ、華渓に絶望の色が過ぎったことを見て取った色葉は、薄く笑う。
「復讐、したくはないか?」
燃え盛る炎の中、色葉の雰囲気はまさに異様ともいえるもので、しかしこの異常な空間にあっては自然に思えたのである。
「景勝の元に戻るのが嫌なら、わたしの元に来い。そこで復讐の機会を待てばいい」
「ふ、復讐など……」
「別に景勝を殺せ、と言っているわけじゃない。それはわたしも困るからな。ただ今回の戦乱で上杉家の力は失墜した。ならばお前の子である道満丸が朝倉で功を上げれば、その勢力を越えることができるかもしれない。あるいは景勝を顎でこき使える立場になれるかも、な。それはそれで、多少は溜飲が下がるんじゃないのか?」
「――――」
「ふふ、その気になってきたな。いいぞ。それでいい。お前には後で景虎の魂をくれてやる。少しひとの道からは外れるが、わたしに仕えるということはそういうことだ」
「…………はい」
ぼんやりと頷く華渓を見て、色葉は満足げに笑う。
熱気と酸欠から、すでにその意識は朦朧とし始めていたのだ。
「ではまず、この場を脱出しないとな」
立ち上がった色葉は崩れ落ちた華渓を抱きかかえると、妖気を解放する。
色葉にとってはさほどでもない炎も、華渓にとっては致命的であり、それを守るためだ。
もっとも妖気そのものも、ひとにとっては毒である。
結局のところ、ひとであることを捨てねば華渓に生きる術はなかったとも言えた。
「後はアカシア任せだけど……こんな状況下で妖になるとしたら、やっぱり炎に関連するものか? まあ、何でもいいが」
自身の妖気で変化する華渓を抱えながら、色葉は悠々とその場から立ち去ったのだった。
◇
果たして色葉が言葉にしていたように、鮫ヶ尾城経由で小田原へと逃亡しようとした景虎一行は、その地にて最期を迎えることになった。
鮫ヶ尾城主・堀江宗親は景虎方ではあったものの、安田顕元とすでに内通しており、景虎を裏切っていたのである。
そうとは知らず鮫ヶ尾城主に入った景虎であったが、宗親は城に火を放って退去し、残された景虎は裏切りを悟ってついに自刃し、果てたのだった。
顕元と通じていた雪葉は事前にこの情報を得ていたため、色葉に報告し、そしてその最期を見届けるように色葉に命じられていたのである。
景虎の死によって、御館の乱は事実上終息。
上杉景勝が、正式に上杉家の家督を継承することになった。
しかし越後国内の乱が景虎の死によって、全て平定されたわけではなく、栃尾城主・本庄秀綱、三条城主・神余親綱らは依然抵抗を続けることになる。
色葉はこれを降伏させるために軍を派遣することは可能ではあったが、敢えてせずに簡単な事後処理を済ませると、本格的な積雪となる前に越中へと引き揚げたのだった。
その理由は上杉領国内に、不安要素を残すためである。
景勝方は勝利したものの、国内を二分した騒乱の影響は甚だ甚大で、これを立て直すのにはそれなりの時間を要すことになるだろう。
そして何より未だ完全平定に至っていないことが、さらに時間を必要とする要因になる。
上杉に対して生かさず殺さずを旨とすることを決めていた色葉にしてみれば、当然の処置であった。
越後情勢については越中を任せている姉小路頼綱に監視させ、越後遠征軍はいったん解散となり、色葉もまた一乗谷へと帰ったのである。
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