第82話 上杉光徹暗殺


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 天正六年十月。


 北条勢の撤退や、景虎方の中心勢力であった北条高広・景広父子の降伏は、景虎を窮地に陥れた。

 景虎の籠る御館では兵糧が窮乏し、景勝はこの機を逃さず、景虎方の諸城を次々に落としていくことになる。


 この時に高広が城主であり、その家臣が守っていた北条城も陥落。

 事ここに至り、絶体絶命となった景虎は、和議を求めて春日山城へと使者を送るという、苦渋の決断をすることになる。


 使者として選ばれたのは、元関東管領・上杉光徹。

 和議の条件として、景虎の嫡男でこの時九歳であった、上杉道満丸を人質として差し出すことにしたのである。


 その道中のことであった。


「雪、か?」


 光徹は空からちらついてきた白いものを認め、足を止めた。

 それに合わせて引き連れていた僅かな手勢の者も、倣ってその場に留まる。


「やけに寒いとは思っていたが……」


 そこで、光徹は前方に人影があることに気づいた。

 まだ日は落ちていないが、どこか視界が悪い。

 はっきりとは見えないその人影へと目を細めれば、ゆっくりと近づいて来るのが見て取れた。


「止まれ!」


 近習の者に呼びかけに、その者の歩みが止まる。

 白い衣装。

 白を基調とした打掛を羽織った女であり、このような野外では場違いにも思えた。

 それが一人。


「何者か?」


 誰何の声に、その女は非の打ち所の無い仕草で、一礼してみせる。


「わたくしは朝倉色葉様より遣わされた者で、雪葉と申します」

「何、朝倉と?」


 光徹も当然その名は知っていた。

 景虎が窮地に陥っているのも、朝倉家が派遣した援軍が北条勢を打ち払ったからに他ならない。

 それが一体何の用であるというのか。


「はい」

「して何用か?」

「お命をいただきに参りました」

「何だと?」


 思わぬ言葉に、近習達は色めき立った。

 気の早いものは、すでに太刀を抜き放っている。


「それは、わしの命を、ということか?」

「その通りです」

「何故に」

「姫様は景勝様と景虎様の和議を望まれておりません。ですからその前に、こうやって参った次第です」


 雪葉の言に、光徹は小さく呻いた。


「なるほど……。朝倉殿は、やはり裏で色々と動かれていたようだな。景勝方も、弄ばれた口か。されど……見たところ、そなたは一人の様子。こちらは多数。さすがに先の言を為すは難しいと思うが」

「いえ。皆さま方を皆殺しにする程度ならば、容易く」


 そして悲劇は起こった。

 光徹にはそうとしか思えなかった。


 気づけば供回りの者は全て息絶え、足元に肉片となって散らばっている。

 その中で白い打掛を返り血で真っ赤に染めた雪葉が、まるで表情を見せずに佇んでいた。


「……このような雑兵の魂など、何ほどのもでもありませんが、あなた様は関東管領としての名声を得ていた身。乙葉様が献上した上杉謙信様の魂とは比べるべくもないとはいえ、有象無象の輩のものよりは、価値があるでしょう……」

「な、何を言っている……?」

「姫様は身を削ってまでして、わたくしたちを大切にしてくれます。わたくしは恩返しをしたいのです。そのためにはどれだけひとが死のうと、わたくしはいっこうに構わないのですよ?」


 無造作に、雪葉は腕を振り上げる。

 手刀と化したそれは、あまりにもあっさりと、光徹の首を落としていた。


 上杉光徹――かつては上杉憲政と名乗っていた――は、自身よりも年長で名将とされた北条氏康や武田信玄と戦い敗北を重ねるものの、越後の長尾景虎を頼って抗戦を続け、上野国の諸将もこれを支えた人物である。


 長尾景虎こと上杉謙信の父・長尾為景は、光徹の祖父の仇でもあったが、これに頼らなければならないほどの没落を味わいつつも北条家と戦い、その北条氏康の子である上杉景虎に協力したことで命を落とすという、皮肉な最期を迎えることになったのだった。


「……やはりこの程度、でしたか。乙葉様の功には敵いそうもありませんね」


 吹き出る血を避けようともせず、身体から離れた魂を捕らえ、吟味する。

 そこで初めて、雪葉は視線に気づいた。


 視線を落とせば、恐怖で身体を震わせながらも悲鳴を堪える童の姿がある。

 これが上杉景虎の嫡男だろう。

 これを殺せば、景虎は交渉材料を失うことになる。

 だから迷わず殺そうと手を振り下ろし、寸前で止めた。


「…………」


 逡巡してしまったことに、小さくため息をつく。


「乙葉様ならば迷うことなどないのでしょうね……」


 幼い命の奪うことに対し、躊躇ってしまったことは色葉への忠誠が足りないからだろうか。

 それとも自分の心が弱いからか……雪葉はやや葛藤しつつ、それでも手を引いてしまっていた。


「助かりたいですか?」


 道満丸は震えたまま、頷く余裕すらない。

 構わず、雪葉は続けた。


「あなたに運が……利用価値があるのならば、助かるでしょう。姫様はそういうお方です。一度、お伺をたててみます。もし駄目であれば、その時はわたくしが殺すことになるでしょうが……構いませんね?」


 やはり返事は無い。

 勿論、そんなものはどうでも良かった。


 自身の躊躇いが、この童の運に助けられるのであればそれでいいと思ったまでのこと。

 下手をすれば色葉に叱責されるかもしれないが、その時は素直に謝罪し、務めを果たす。


 我を優先させてしまったことに罪悪感を覚えつつも、結局雪葉はそういう選択をしたのだった。


     /色葉


「別に構わないぞ?」


 景虎方の北条城を落とし、ここに駐屯していた朝倉勢の元に戻った雪葉は、何やら子供を連れていた。

 聞けば上杉景虎の嫡男であるという。


 わたしの命で景虎と景勝の和議を妨害すべく、その使者となった上杉光徹を暗殺するために雪葉を遣わしたのだが、光徹の首は首尾よく落としたようだった。


 ちなみにわたしの知る史実においても、やはり景虎は光徹を使者として和議を求めている。

 もっともこれは景勝方が光徹を暗殺することで、失敗した。


 今回も放っておいても同じ末路となったかもしれないが、史実に比べて時期が早いこともあり、念のために行わせたのだった。


 それに加え、雪葉が功を立てたがっていたから、というのもある。

 わたしにしてみれば、雪葉は今回の越後入りで十分に働いてくれていた。


 事前の情報収集や、景勝方諸将との友好関係の構築である。

 特に五十公野治長と誼を通じることができたことは大きい。

 実際に治長もこの北条城に入ってわたしと面会をすましており、現在篭絡中である。


 要するに人材確保の急務を感じていたわたしは、今回の越後遠征において拾える人材は拾う算段だったのだ。

 北条父子にわざわざわたし自ら降伏を促し、臣従させたのもその一環である。


 また景勝方でも、のちに問題を起こすような人物には当たりをつけ、将来的に引き抜くつもりでいたし、また上杉家自体に親朝倉派の武将を増やすことは、後々にとって好都合になることを見越してのことだ。


 斎藤朝信、本庄繁長、五十公野治長、新発田長敦、安田顕元らは比較的朝倉家に対して好意的である。

 これに加え、この北条城において新たに誼を通じた将が二人いた。

 それが山浦国清と朝倉景嘉である。


 山浦景国とは上杉謙信の養子の一人で、景勝とは義兄弟でもある人物だ。

 今でこそ山浦上杉家を継いだことで山浦姓を名乗っているものの、元の名は村上国清といい、その実父はあの武田信玄が純粋な武力においては全く敵わず、二度も大敗を喫することになった勇将の村上義清である。


 信玄は謀略によって義清を北信濃から追い出すことに成功するものの、越後の謙信を頼った義清は客将としてこれに仕え、上杉、武田による川中島の戦いへと繋がっていくことになったのだ。


 それはともかくとして、この山浦国清なる者は実は朝倉家と縁がある。

 景国が謙信の養子となった際に、その養女を娶っているのであるが、その養女こそ朝倉義景の娘であったからだ。


 つまり、義景の娘であると自称しているわたしにとって、国清は義理の弟、ということになる。どう見ても国清の方が年上ではあるけれど。

 ともあれそういう縁、というわけだ。


 もう一人の朝倉景嘉は、その名から分かるように元朝倉家臣でその一門だった人物である。

 織田信長に朝倉家がいったん滅ぼされた後、景嘉は織田家に臣従することなく越前を脱出し、朝倉家再興を目指して謙信を頼ったらしい。


 謙信には信頼されたようで、その客将としてあったようだが、そうこうしているうちにわたしが朝倉家を再興してしまい、さらには上杉との間で戦に発展し、悶々とした日々を送っていたそうだ。


 しかし謙信が死に、景勝とわたしが和睦し、更に今回のことで朝倉が景勝に全面協力したことを機とみなし、朝倉家への帰参を願い出てきたのだった。

 景勝の了承を得る必要はあるが、とりあえずわたしはこれを許している。


 ともあれこのように思わぬ収穫もあったりして、越後遠征の目的は果たされつつあった。

 後は御館に立て籠もる景虎を討ち取るだけである。


「……よろしいのですか?」


 少し驚いたように、雪葉が繰り返し尋ねてきた。


「お前が何かをねだってくるのは珍しいからな。そんな童一人、欲しいのなら好きにすればいい」


 そう答えつつ、周囲に誰もいないことを確認してから、わたしは改めて尋ねてみた。


「で、食べるのか?」


 もちろん魂を、という意味だ。

 わたしもそうであるが、雪葉にしても乙葉にしても、ひとの魂を食べる嗜好がある。

 食べなくても問題無いが、食べれば存在力の底上げになるし、何より美味しい。

 いわゆる嗜好品の類だ。


 もっとも基本的にはこれを禁じている。

 具体的には、自衛や戦場以外でひとを殺戮して魂を得ることを、である。

 わたし自身も誰彼構わず食べることはしていない。

 色々と面倒なことになるのが明白だからだ。


 今では慣れてしまった乙葉も当初は食べたがっていたが、雪葉はそういったものを欲しがる素振りを見せたことが無い。

 わたしが与えたものは喜んで食べていたので、嫌いではないことは確かなのだが。


「い、いえ。そういうつもりではないのです」

「そうなのか? 幼い魂の方が好みなのかと思ったが」


 魂、といっても千差万別で、個体によってかなり違ってくる。

 中には特別なものもあり、そういった魂を得ることができれば、相当な存在力の底上げが可能だ。

 それを実感できたのが、上杉謙信の魂である。


 これはその死を確認した乙葉が偶然手に入れることができたのだが、彼女はそれをわざわざわたしに献上してきたのだ。

 自然死で得た魂に関しては、特に食べることを禁じていなかったにも関わらず、である。


 そしてこれが凄かった。

 伊達に毘沙門天の化身とやらを名乗っておらず、あの出鱈目な強さにも納得がいくような、そんな極上の魂だったのである。


 これに歓喜したのがアカシアで、単に食べるのは勿体ない、とか何とか言いだして、あれこれ解析しながらわたしの魂に定着させてくれているらしい。

 おかげで食べ損なった、というわけである。

 ……美味しそうだったのに。


「それともそういう外見の童が好みなのか?」


 ごく純粋な疑問から、わたしは小首を傾げてみせた。

 そういえば雪葉の趣味趣向については、よく知らない。

 乙葉は分かり易いのだけど。


「好みなら、そういう小姓を与えてもいいぞ?」


 会ったことは無いが、上杉景虎は容姿端麗であるとか。

 当然その息子のこの道満丸とやらにも受け継がれているようで、確かにそれなりの容姿である。

 雪葉が気に入ったとしても、別段不思議ではないと思えたのだが。


「お気持ちはありがたく……しかしそういうつもりではないのです」


 違うのか。

 では何なんだろうと、わたしはまたもや首を傾げる。


「ただ、この幼子の命を奪うことを躊躇ってしまったという……それだけのことなのです。姫様の命を果たせずにいる、このわたくしをお許し下さい」

「雪葉が?」


 意外な答えに、わたしは思わずきょとん、となってしまった。

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