第62話 神通川の戦い(後編)
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「――む」
敗北が確定した色葉の姿を見て、謙信はやや戸惑ったような素振りをみせた。
色葉の鬼気迫る斬り上げの一撃を、どうにか寸前でかわしていた謙信は、反射的に斬撃を返してしまっていたのである。
先に宣言した通り、相手が妖であれ、女子供の命を奪うようなことを、謙信は忌避していた。
にも拘わらず、この結果。
ある意味で失態である。
「……すまぬな。そなたが強かったこともあり、手を抜けなかった。それがこの結果……私もまだまだ修行が足りぬようだ」
地面に転がった色葉の姿は、もはや無残としか言い様が無い。
袈裟懸けに斬撃が走り、尻尾は斬り落とされ、肩口を深く斬られたことで左腕の自重に負け、左腕そのものが千切れ落ちてしまっていた。
出血は夥しく、普通であればもはや助かるような傷ではないだろう。
「今、楽にしよう」
太刀を振り上げる謙信を見返す色葉の目には、まだ爛々と目を光らせている。
それでも、何も言わずにその運命を受け入れているかのようだった。
謙信は色葉の細首目掛けて太刀を振り下ろそうとして――突然の轟音に、手を止める。
「銃声?」
今の世の戦場にあって、もはや珍しくも無い音となっているが、それでも今回の朝倉と上杉の戦いにおいて多用されなかった戦道具、火縄銃の銃声だ。
「いたぞ! 狙え!」
周囲の乱戦の中、一つの集団が怒涛の勢いで突進してくる。
数百騎の騎馬隊だ。
それらを先頭に立って率いていたのは、杉浦玄任。
玄任の号令のもと、周囲の騎馬兵が持つ火縄銃の銃口が、謙信を捉えていた。
「撃てぃ!」
複数の銃声が一度に響き渡る。
さしもの謙信も、これを正面から打ち返すなどといった芸当など、できるはずもない。
いったんかわし、即座に戦場を駆けて間合いを取る。
「続けて撃てぃ!」
更なる銃撃で謙信を色葉から引き離した玄任は、手にしていた火縄銃を投げ捨て、馬を走らせながら倒れ込んでいる色葉へと近づき、止まることなく掻っ攫うようにして拾い上げる。
「よおし! 姫様はご無事だ! 姉小路殿、受け取れ!」
色葉の決して大きくない体躯だからこそできたのだろう。
玄任は渾身の力を振り絞り、後続の騎馬武者――姉小路頼綱に向かって放り投げた。
「確かに受け取ったぁ!」
「ならば行けい!」
もはやひとの扱いでは無かったが、一刻を争う事態である。
飛んできた色葉を全身でどうにか受け止めた頼綱は、片腕でそれを抱きかかえつつ、即座に転進を図った。
玄任が率いていた数百騎の内、約半数が頼綱に従って方向を変え、乱戦の中を駆け抜けていく。
残りの半数は玄任に合流し、謙信目指して吶喊する。
しかし周囲の上杉勢もそれに気づき、前進を許さぬとばかりに殺到した。
「越後の龍とやらよ! 尻垂坂の雪辱、今こそ果たさせてもらおうぞ!」
かつて謙信を相手に越中一向一揆を率いて戦い、これに大敗した経験を持つ玄任は、むしろ良き思い出とばかりに呵々大笑しつつ、上杉勢に雪崩れ込む。
色葉との一騎打ちで謙信も軍の統制が直接取れていなかったこともあり、混戦になっていたところを絶妙に突いた玄任の突撃は、謙信をして唸らせるに十分な采配であったといえる。
しかし多勢に無勢。
玄任に付き従った手勢は次々に打ち減らされていき、馬から転げ落ちた玄任は太刀が曲がり、折れるまで縦横無尽に暴れ回った後、数騎になるまで戦い続け、ついには討たれ果てたのだった。
玄任の決死の覚悟の色葉の救出と突撃は、文字通り玄任の死をもって終わったのである。
本願寺の坊官として加賀一向一揆の大将を務め、越前の朝倉氏や越後の上杉氏と戦い続けた人生であった。
◇
天正五年九月四日。
神通川の戦いにおいて、朝倉方は大敗を喫した。
敗走する朝倉勢に対し、謙信の命を受けた上杉景勝は追撃戦を開始。
同日夜、堀江景実率いる三千の殿軍が上杉景勝勢五千とぶつかり、激戦となる。
この時、堀江勢は鉄砲隊による迎撃を徹底。
上杉勢は元々鉄砲の備えが少なく、逆に朝倉勢は加賀を平定した際に多くの鉄砲を得ることができていたため、その差はそのまま戦力の差となっていた。
石山本願寺と同様に、北陸の一向一揆勢も多数の火縄銃を保有していたからである。
元亀三年九月に行われた尻垂坂の戦いでは、杉浦玄任が上杉謙信に敗れているが、これは一揆勢が大量に保有していた自慢の火縄銃が、秋雨が長く続いたことで火縄が湿り、使えなくなった所を謙信に突かれ、劣勢となり、敗北に至ったのだった。
火縄銃さえ十全にその戦力を活かせていれば、そう簡単には負けていなかったともいえる。
ともあれ今回、景実が行った鉄砲の集中運用による迎撃は一時功を奏し、景勝勢に対して優位に立ちつつあった。
しかし昼前には上杉謙信が三千の兵を率いて合流。
景実はこれに対しても果敢に立ち向かったが、謙信率いる騎馬隊が機動力を活かして足の遅い鉄砲隊を翻弄してこれを撃破。
夕刻までには景実の部隊は事実上壊滅した。
敗残兵を蹴散らしつつ、上杉勢は更に前進し、ついには朝倉勢が逃げ込んだ増山城を包囲するに至ったのである。
朝倉方は窮地に陥ったかにみえたが、上杉方による包囲は長くは続かなかった。
増山城は堅固な山城であり、その北側には支城である亀山城、また北東には孫次山砦などが築かれ、朝倉方は徹底した防御態勢を築いていたからである。
また神通川で大敗したとはいえ未だ余力を残しており、増山城やその周辺に六千の兵を配置しており、城砦郡の防御力と相俟って、容易に落とすことが叶わない状況であったのだ。
更に上杉の陣中へと、急報がもたらされる。
金沢城の堀江景忠が軍勢を率い、七尾城に向かって進軍しているというものだ。
敢えて救援に来ず、七尾城を突くというやり方に、謙信は朝倉方が未だ冷静に状況を判断していると分析。
朝倉勢を越中から追い出してしまうべきである、という家中の意見もあったものの、結局能登平定を優先させたのだった。
そんな謙信へと具申したのが、景勝である。
「先の戦勝により、降伏した朝倉方の将である朝倉景胤、山崎長徳を我らは捕らえておりますが、これを返還すべきかと考えます」
「自身が富山城で情けをかけられたことを、返したいと申すか」
「それもありますが、敵の大将である朝倉晴景は義をわきまえているかと。であれば恐らく」
「ふむ……なるほど」
謙信は景勝の言葉に理解を示し、ただちに使者が増山城へと遣わされた。
上杉方からは、あくまで景胤、長徳を返還したいという旨の内容に過ぎなかったが、景勝からの書簡を一読した晴景は、迷うことなくこれを受け入れ、返礼として朝倉方で捕らえていた斎藤朝信や本庄繁長の返還を申し出ることになる。
この時の色葉は増山城に帰還を果たしていたものの、傷深く意識も無い状態が続き、全ての判断を晴景が担っていたのだった。
その責任において、色葉が敢えて殺さなかった二人を解放することを決めたのである。
「やはり返していただけたか」
両陣営が睨み合う中、代表として進み出たのは晴景本人と、景勝本人であった。
馬上とはいえ、異例の会談である。
「礼には礼を、だ。貴殿は父君同様、義に厚いと聞く。我らとて同じ度量を見せねば朝倉の名が廃ろう」
交わした言葉は少なく、その後両者が伴っていた捕虜の交換が速やかに行われた。
「では」
「しからば」
朝倉晴景この時二十歳。
上杉景勝この時二十一歳。
両者とも弘治年間に生まれたこともあって歳も近く、お互いに義理堅く、偉大な父を持つという点でも二人は通じるものがあった。
お互いに戦い、一勝一敗となったことはさて置いても、この時の景勝の行動は晴景の心証を非常に良いものとし、のちに景勝の窮地を救うことになるのである。
この会談で何かが決められたわけでは無かったが、九月七日、上杉勢は包囲を解いて、北へと転進し、守山城へと入った。
それを朝倉方も追撃していない。
晴景は多くを語らなかったが、晴景と景勝の間で暗黙の了解があったのではと家中ではささやかれ、ともあれ追い詰められつつあった朝倉勢が息を吹き返す時間を作ったことは事実だった。
そして九月九日。
昏睡状態が続いていた色葉が意識を取り戻したのである。
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