第63話 敗戦の夜
/色葉
真夜中だったのだろう。
真っ暗の中、わたしは目を覚ました。
すぐにも夜目が利き、周囲の状況が知れた。
城内、か。
夜中で一見ひとの気配も無いように思えるが、妙な重々しさと緊張感が漂っている。
戦の中での特有の雰囲気だ。
しかもこれは、劣勢時のもの。
武田で似たような雰囲気を味わったことがあるから、何となくそう思った。
「……というか、生きてるのか」
少し意外だった。
あれはさすがに死んだと思ったのだけど……。
『お目覚めですか!』
嬉しそうな声が脳裏に響く。
うるさいくらいの音量に、わたしは顔をしかめた。
「起きた。……ちょっと静かにしろ。頭がガンガンする……」
『脳波に異常はありません』
なんだ、脳波って。
戦国時代でそんな言葉を耳にするとは思わなかったぞ……。
「ん……?」
そこで、ようやく身体の重さに気づく。
自身の身体が重いというよりは、何かが物理的に乗っかっていて重いのだ。
「雪葉、か……?」
わたしに覆いかぶさっていたのは、雪葉だ。
眠っているようだけど、頬に涙の跡が残っている。
更に周囲を見回してみたら、氷の玉が至る所に散らばっていた。
「……雪女って、涙が氷でできてるのか。道理で涼しい……いや、寒いな」
冷気が漂っていることに気づいて、苦笑する。
夏だから丁度いいが、冬だとたまったものじゃない。
とはいえ心配してくれた結果だろう。
「うん?」
そこでおかしなことに気づいた。
よく見ると雪葉の様子がおかしい。
というより、いつもの妖気が感じられない。
「弱まってる……のか?」
以前景気よく雪葉に魂をあげて、その妖気はかなり強化されている。
単純な妖力だけならば、四百年を生きているという乙葉よりも強いくらいだ。
それが今、感じられない。
『……主様のためにどうして自分のものを使って欲しいと懇願するので、使用した結果です。実際、主様が持つ未消化の魂よりも、雪葉の魂の方が馴染み易かったのも事実であり、結果、主様に後遺症は残っていません』
「後遺症?」
『はい。身体的には左腕と尻尾を、またこれらの損傷を受けた際に主様の持つ妖力のかなりのものが失われました。通常の刀傷ではこうはなりませんので、恐らくは上杉謙信自身の持つ神通力による副作用かと』
「…………」
『妖気を失ったことで、肉体の再生に支障をきたしていたこともあり、雪葉の魂を使用して肉体の再生を行えたことは僥倖でした。現在は未消化の魂を使って妖気を回復させるため、鋭意努力中です』
「……まあ、なんだ。結局死にかけたということか」
そうだろうな、とは思う。
それにしても上杉謙信、か。
噂は聞いていたけど、噂以上である。
しかも妖にとっては相性が悪いようで、わたしですらこの様というわけだ。
どうにか助かったようだけど、ボロボロだな。これは。
「……姫様?」
不意に、胸元から声が聞こえた。
雪葉の目が覚めたらしい。
「ん、起こしたか。すまないな」
「姫……様!」
「うわっ?」
雪葉の抱き着き魔は相変わらず健在のようで、上半身を起こしていたわたしはそのまま押し倒されてしまう。
抵抗しようにも、ちょっと力が入らない。
そのまま号泣し始める雪葉の姿は、普段のお姉さんじみた雰囲気は全くなく、最初に出会った頃の子供のような雰囲気そのままだった。
そんなせいもあって、毒気を抜かれたわたしはしばらく為されるがままになっていた。
まあいいか、とそう思って。
雪葉が落ち着いてから、大体の状況説明を求めた。
まず一番の確認は晴景の安否だ。
これは問題無く、当人も大きな負傷は無かったようで、わたしが意識を失っていた数日間、代わりに指揮を執ってくれていたらしい。
しかし代わりに失うものもあった。
まず杉浦玄任。
彼が討死したと知らされた。
本来ならば晴景を守って第二陣の頼綱と共に退却を命じていたはずなのだけど、玄任は残ったのだ。
それどころか頼綱まで上杉勢に吶喊し、わたしを救出して退却を成功させた。
しかし玄任はそのまま上杉勢に突撃して、果てたという。
どちらも命令無視であるが、あそこで二人が駆け付けなければわたしは確実に死んでいただろう。
そして乙葉。
彼女は晴景を守って増山城まで送り届けると、何を思ったのか転進して第三陣の堀江勢に合流し、自ら殿を買って出て奮戦したのだという。
ただこの時の乙葉はすでに尻尾を二本失っており、謙信と戦った後で妖気も減退していた。
そして多勢に無勢。
敵に囲まれてあわやというところまで追い詰められたらしいが、景実がどうにかこれを助け、撤退したという。
ただし乙葉はさらに尻尾を一本失い、わたし以上の重傷となって、未だに昏睡状態だとか。
また景実が率いていた第三陣も壊滅したという。
その後、この増山城は上杉方に包囲されたが、わたしが事前に指示していた甲斐もあって守りは固く、攻め込まれることは無かった。
そして上杉景勝より捕虜の返還の申し出があり、捕らえられていた朝倉景胤、山崎長徳が解放された。
その折に対応した晴景の判断で、こちらが捕らえていた斎藤朝信、本庄繁長を返礼として解放したとか。
上杉からは捕虜交換の申し出ではなかったらしいが、結果的には交換、という形で収まったのである。
どうやら晴景の性格を見抜いていたようで、何も言わずとも応じると踏んでいたのだろう。
相手は上杉景勝だというが、人を見る目はあるようだ。
ただこの会談の折に、朝倉方の武将である赤座直保の戦死が確認されている。
見事なまでの負けっぷりだった。
この時点ではまだ勝てないとは最初から思っていたものの、想定外の大敗である。
それでも上杉謙信は増山城の包囲を解いて守山城に入り、景勝は富山城に入って増山城を牽制しつつ、能登攻略を再開する模様だ。
堀江景忠が加賀から能登に入ったことを受けて、多少なりとも慌てたのだろう。
もちろん景忠は実際には攻めず、七尾城包囲隊への牽制だけに留めているはずだ。
説明を聞いて、わたしは溜息をついた。
わたしなどまだまだだということを、痛感させられたからだ。
これまで順調にきていたが、世の中そうは甘くない、ということである。
何よりの痛手は人的損害だ。
特に玄任や直保の死は痛かった。
玄任は加賀衆であり、家臣になって日は浅いが優秀だった。
直保は平凡でこそあったものの、まだ若く、将来を期待できた。
つい最近、妻が身ごもったと喜んでいたというのに。
「雪葉、乙葉の様子は?」
「目を覚ます様子はありません。わたくしも姫様のことだけで頭がいっぱいで、乙葉様には何の処置もできていないのです……。申し訳ありません」
雪葉は身を削ってまでして、わたしを助けたのだ。
乙葉に構えなかったからといって、責められるようなことではない。
『乙葉は著しく妖気を減退させたため、一種の冬眠状態に入っているようです。命に別状はありませんが、放っておいては百年ほど、目が覚めないかもしれません』
「百年か。それは困る」
乙葉はわたしの予想を超えて、働いてくれた。
意外なほどである。
わたしが健在な限り従いはするだろうが、そうでなければ見限ることを躊躇わないと思っていたのだが……。
人を見る目が無い、ということだろうか。
やや反省させられる気分である。
「乙葉はすぐにも目覚めてもらう。人手不足だからな。寝かせている余裕は無い。雪葉、お前もだ。わたしのために魂を削ってくれたことには感謝するが、そこまで力が落ちると今後に不都合だ」
「ですが……?」
「アカシア。わたしが保有している未消化の魂を、残らず二人にくれてやれ」
迷うことなく、そう命じた。
早速戸惑ったような気配が、アカシアから漏れてくる。
『しかし主様。それでは主様の妖気の回復がままなりません。大いに力を落とす結果になります』
「だろうな。どのくらい弱くなる?」
『古山城で目覚めた時と同じ水準にまで落ちるかと』
つまりこの世に生まれた時に戻る、というわけか。
「なんだ。それなら問題無い」
『しかし全ての魂を分け与えた場合、雪葉や乙葉の方が主様を上回る妖気を持つことになると、概算できます。よろしいのでしょうか?』
「ん、構わんぞ。いくらわたし個人が強くとも、一人でできることなど限られる。だが二人がいれば、わたし一人で為せることよりも遥かに多くのことができるだろう。それに失った魂はまた集めればいい。どうせ戦国だ。ひとの死には事欠かない」
『――畏まりました。そのように致します』
「よし」
わたしの判断に、雪葉は驚いたように何も言えず、口をぱくぱくしていた。
「呆けた顔をするな。それだけわたしはお前達に感謝しているし、信頼しているということだ。その分、働いてくれればいい」
「――承知、致しました。少しでも多くの色葉様の敵を殺し、その魂を捧げさせていただくことで、恩返しとさせていただきます!」
「いや、積極的に殺戮に走らなくてもいいからな。特に上杉相手はわたしにも考えがあるから、あまり鬼畜なことはするなよ? 結果的に魂を拾えれば、それを献上してくれるだけでいい」
「はい!」
普段はおしとやかであるが、雪葉は乙葉以上に冷酷で怖いところがある。
その気にさせると一国の民を皆殺しにしかねないし、しかも計画的にやりそうだ。
雪葉には普段アカシアを預けていることもあって、アカシアの際どい人格も影響されており、場合によってはまるで手段を選ばない。
わたしがしっかりと健在であれば、何も問題はないんだけどな。
逆に普段は戦場で残忍な乙葉であるけど、わたしに何かあった際にその意を酌んだ行動をとれることは、今回のことで実証された。
意外といえば意外だけど、思わぬ結果でもある。
だから乙葉がたとえ一時的にわたしを上回る力を得たとしても、裏切ることは無いと踏んだのだ。
そして何より、褒美は必要だろう。
今のわたしがやれるものといったら、こんなものしかないわけだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます