第33話 乙葉


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「へえ……あれが千代女の言っていた朝倉の狐か」


 それまでしおらしくしていた乙葉は、色葉の姿が見えなくなるとひとの姿に戻り、面白げにそうつぶやいた。


「あれ、すごい強いじゃないの。千代女と互角だったってのも頷けるわね。それに妾が妖だっていうことも、ちゃんと気づいたみたいだし」

「そう言ったであろう。色葉様は貴殿よりもお強いと」


 そう答えるのは隆基である。


「その確信、ちょっと気に入らなかったけど、まあ納得ね。それにあなたに抱き着いていたあの青い女……雪女か何かかしら。あれもとんでもないわね。あれって隆基の知り合い?」

「いや……それがよくわからぬのだが。しかし、雪女、だと? とするとあの時の雪ん子……か? 確かに顔は似ていたが、もっと小背だったと思ったが。それにあの色葉様に劣らぬ妖気……とても同一人物とも思えぬ」

「なにそれ?」


 要領を得ない隆基の説明に、乙葉は眉をしかめてみせた。


「でもあんなのを従えているのだから、朝倉の狐は相当なものね。千代女のこと、殺してくれれば良かったのに」

「望月殿は貴殿の主であろう。その物言いは不敬ではないのか」

「はっ、主、ね。無理矢理こき使われているだけよ。正直忌々しいわ。人間ごときに使われるなんて」


 不愉快そうに答える乙葉は、尻尾を地面に叩きつける。

 乾いた地面が砕かれて埃が舞ったものの、彼女の気が晴れた様子もなかった。


「隠形が半端ではないのか? 耳と尻尾が残っているが」

「いいのよ。朝倉の狐だって堂々と晒していたでしょ? 隠形できるだろうにしていないのだから、それはあの姿に矜持があるということよ。妾ばかりが隠しているのは負けたようで愉快じゃないわ。だから、よ」

「然様か」


 隆基にはよく分からない心境ではあったものの、乙葉がそう言うのならそうなのだろう。


「まあ良いが……。ともあれ参るぞ。色葉様は存外お優しいが敵対者には容赦されない方だ。この城に籠っていた者どもも、お一人で皆殺しにされてしまった。貴殿も気を付けるがよかろう」

「そうして作った骸どもは、千代女に全滅させられたんでしょ? 妾なら許さないけど……どうして生かして帰したのかしら。話に聞くよりも寛大なのかしらね」


 もう少し様子を見るかとつぶやいて、乙葉も城門を潜り、色葉の後を追った。


     /色葉


 夜になり、ようやくここであったことの大体を把握することができた。

 鳥越城が望月千代女によって壊滅させられた件については、ほぼ雪葉の説明通り。


 異変に気付いて氏綱が手勢を率いて向かった時には、すでに全滅していたという。

 ただその時は何者の仕業か分からなかったそうだ。


 その後一乗谷からの連絡を受けて、氏綱は白峰一帯の防備を強化。戦力が大きく落ちてしまっていたからである。

 積雪のせいで一乗谷との連絡も難儀したものの、逆に冬の季節が幸いして、白峰の防備の不備は外部に漏れることもなく、大きな問題にはならなかった。

 春までにはわたし自身がいったん赴くとし、それまでに何かあれば軍勢を派遣するつもりでいたが、その必要も無かったのは僥倖である。


 しかし冬の寒さも緩んだ三月に入ってより、氏綱の前に二人の人物が訪ねてきたと言う。

 一人は鳥越城を壊滅させた張本人である千代女で、もう一人が乙葉だったらしい。


 千代女は一応謝罪らしきものを口にした上で、自身が壊滅させた骸どもを蘇らせ、いつの間にか回収していた隆基も、その場で蘇らせたという。

 そして骸どもを統率するために、乙葉を城に残していったそうだ。


「なるほど……。しかしあの女、素直にわたしに謝罪とかできないのか」


 あの女にも責任を感じるような心があったのは驚きだけど、どうにも素直じゃないらしく、わたしに下げる頭は無いらしい。


 不快に思ってつぶやくと、それにつられて尻尾が不穏に動き、貞宗や景成や氏綱がぎょっとしたように顔色を変えていた。

 最近家臣どもは、尻尾を見てわたしの機嫌が分かるらしい。


「姫様、尻尾が少しはしたないですよ?」


 笑顔でそう言うのは雪葉である。


「うるさい。勝手に動くんだ」

「駄目です。もう少し精神修養を心掛けて下さい」


 相変わらず厳しいやつである。

 仕方ないから尻尾をひっこめたが、その分苛々が発散できず、むっつりとした表情になってしまった。


「しかも腹立たしいのは、いかにも元に戻しました、という体裁にしているが、実際はわたしから隆基らの支配を奪ったことだ。わたしを虚仮にでもしているつもりか?」

「姫様?」

「む……」


 我慢していた尻尾がまた動き出そうとしていたのを見て、雪葉がやんわりと声をかけてくる。

 ああ、くそ……。

 だって腹立たしいのは仕方ないじゃないか。


 千代女が隆基らを復活させたといえば聞こえはいいが、実際には改めて死霊呪をかけて支配し直しただけである。

 だからこそ今の隆基にとっての主は千代女であり、その千代女に派遣された乙葉のことを仮初の主、と呼んでいるのだ。


 ついでにいえば、今の鳥越城は隆基らの認識の中では、一度千代女に落とされて、その城主はあの女、ということになってしまっているらしい。

 だから乙葉が城代を務めている、と。

 ああ、不愉快である。


「お待ちください、朝倉様。隆基様はこうおっしゃっていますが、我が主はこの城を手に入れたとは思っておりません。妾もあくまで朝倉様がいらっしゃるまでの繋ぎ……その後の甲斐までの道案内のため、ここで待っていただけでございます。この城は、速やかに朝倉様にお返しする所存です」


 そう言うのは乙葉だ。

 初見の時は見せていなかった尻尾と耳が特徴的な、娘である。

 というか耳とか尻尾って、隠せるものなのだろうか。

 後で聞いてみるか。


「ふうん。だとしても他人に唾をつけられたものを返してもらっても、嬉しくないぞ?」

「ここの方々は、一応は千代女様が復活させましたが、そのための妖気は妾のものを用いております。そのため実際に支配しているのは、妾ということになるのです」

「どうしてそんな面倒なことを?」

「千代女様は妖や亡者の類がお嫌いで、虫唾が走るとおっしゃっていましたから」


 確かにあの女ならさらっとそんなことを言いそうだ。


「嫌いなくせに、お前みたいな狐を部下にしているのか?」

「……妾のこともお嫌いのようで、ひどく虐め――いえ、罵詈雑言を浴びせられております。ですが、信濃巫の中には妾ほどの力あるものはおりませんので」


 ……うん?

 今一瞬だけど、この娘の目に殺意だか憎悪といった、年相応とは思えない感情が過ぎったように見えた。

 どうやら心から千代女に従っているわけではなさそうだ。


「あの女の性格が悪いことはわたしもよく知っているが」

「お察しいただき、ありがとうございます」


 そこは嬉しそうに、乙葉は笑顔をみせて頷いた。

 どうやらけっこう溜まっているらしい。


「それはいいとして、仮に千代女じゃなくお前が隆基らを支配しているとはいえ、他人に奪われた事実は変わらないだろう。いざという時、隆基はわたしではなくお前の言葉に従わざるを得ないわけだからな?」

「……では、妾を配下として迎えてはいただけませんか? 妾が朝倉様にお仕えすれば、つまるところ妾は朝倉様のもの。妾のものである隆基様は、当然朝倉様のものとなるわけですから」

「……千代女を裏切るというわけか?」

「というより、そのつもりで千代女は妾をここに置いていったのでしょう。――体のいい厄介払いよ、あの女」


 不意に乙葉の口調が変わった。

 ついでに千代女への敬称すら無くなっている。


「朝倉様――いえ、色葉様。妾を使ってみない? 貴女様がもし弱ければ、取って代わってやろうと思っていたのだけど、今の妾ではとても敵いそうもないし……かといってこのまま千代女にこき使われるのもうんざりなのよ。どれだけ命令通り敵を殺しても、魂一つ食べちゃいけないって言うし……。一度こっそり食べたらバレてしまって酷い目に遭わされたし。本当、酷いのよ? あの女、妾の尻尾を一本切り落としたんだから」


 ……多分、これがこの娘の地なのだろう。

 相当鬱憤が溜まっていたらしく、愚痴だか罵詈雑言だかは果てしなく続くかに思われるほどだった。


 しかし尻尾を切り落としたって……えげつないことをやっているな、あの女。

 まあわたしもやるかもしれないが。


「――乙葉様? 少し、お口をおとめ下さいね。色葉様は騒々しいのがお嫌いですから」


 にこりと笑ってそう言う雪葉に、乙葉はぴたりと口をつぐんだ。


「……そうね。少しはしたなかったかしら。でも、格上の同族に出会えて嬉しかったのは事実なの。それは信じて欲しいわ」


 同族……ね。

 わたしってやっぱり狐の妖なんだろうか。

 世間ではそう通っているけど。


『その一部、が紛れ込んでいるのは確かですが、目の前の者と全く同じ、というわけではありません。どちらかというと、我が創造主に近い種であります』


 よくわからん説明をアカシアがしてくれる。

 どうやら純粋に狐の妖、というわけではないということか。

 とはいえ自分に似た存在が目の前にいるというのは、当然この世界に来てからは初めてのことなので、とても新鮮ではあった。


「確か道案内を、とか言っていたな?」

「ええ」

「なら今回の旅路で役に立ってみせろ。納得がいったら、末席に加えてやってもいい。ついでに褒美もやろう」

「それは――本当に?」

「疑うのなら、同行せずともいい。それだけのことだ」

「いえ……分かったわ。お役にたってみせましょう」


 深々と、乙葉が頭を下げる。


「明日には飛騨に向かう。すぐに出立できるな?」

「もちろんです」

「ならば今日のところはもう休め。他の者もだ」


 そう告げれば、この場に集まっていた家臣どもは頭を一斉に下げたのだった。


     /


「大日方様」


 その夜、山崎景成は大日方貞宗の所を訪れていた。


「景成か。どうした?」

「夜分に申し訳なく……」


 申し訳なさそうに入ってきた景成は、どこか疲れた様子を見せていた。

 そしてその後ろには小柄な人影があった。

 乙葉である。


「失礼するわ。貴方が色葉様の側近の大日方貞宗ね?」


 どこか尊大な態度のまま、遠慮も無く貞宗にあてがわれた室内に入り込むと、勝手に座り込んでしまう。


「何用だ?」

「色々とね、色葉様のことを聞いておこうと思って」


 答えつつ、乙葉は景成へと視線を移す。


「この子にも聞いてみたんだけど、あまり詳しそうじゃなかったから。それどころか無礼なとか言って、勝負を挑んでくるんだもの。ああ、大丈夫よ? 怪我なんかさせていないから。ただ、もう少し相手の強さを見る目を養わないとね。すぐに殺されてしまうわ」


 どうやら景成が意気消沈としているのは、ここに来るまでに色々あったことが原因のようだ。

 確かに怪我をしている様子は無いものの、心は折られてしまったらしい。

 いつもの若々しい覇気が失せてしまっている。


「景成、下がって休んでおけ。明日も早い」

「しかし……この妖を前にお一人というのは」

「構わん。お前が一人増えたところで、どうせ敵う相手でもない。いいから休め」

「はい……申し訳ありません」


 景成が退出した後、貞宗は改めて乙葉を見やった。

 見た目は十代半ばの小娘であるが、自身が妖であることを隠そうともしておらず、その表情には不敵な笑みが浮かんでいる。

 すでに数百年を生きている妖なのだから、当然の貫禄だろう。


 とはいえ貞宗は気圧されることもなかった。

 普段色葉に仕えていることもあって、こういう雰囲気には慣れてしまっているからでもある。

 もっとも気を抜くことは無かったが。


「隆基も言っていたけど、やっぱり貴方が色葉様の一番の家臣のようね」

「さてどうだかな。煙たがられていることも多いと思うが」

「直言するんだ。あの色葉様に。ひとにしては、いい度胸しているみたいね」

「で、何用だ?」


 当然警戒しつつ、貞宗は尋ねた。


「聞きたいのよ」

「何を」

「色々とね」


 くすり、と笑む乙葉。


「色葉様って……ひとを食べているでしょう? 正確には魂を。あの雪葉っていう雪女もそう。同じ臭いがしたもの。つまり貴方たちって色葉様の餌のようなものでしょ? なのにどうして従っているのかなって思って、ね」

「あまり、思い出させて欲しくないのだが」


 貞宗が思い出したのは、初めて色葉と出会った時のことだ。

 あの時色葉は、貞宗の配下を食い殺している。


「ふうん、ちゃんと分かっていて仕えているのね」


 貞宗の反応を見た乙葉は、少しつまらなさそうに唇を尖らせた。


「もし知らないんだったら、これで心が離れるかもって期待したのに。まあ、そうよね。あんな亡者連中を従えている色葉様と一緒にいるんだもの、知らない方がおかしいか」

「何のつもりだ? 先ほど色葉様に仕えると言ったのは偽りか?」

「違う違う――そんなわけないじゃない。ただ単に、一番になりたかっただけ。色葉様の、ね」

「あまりつまらぬことはしない方がいいと忠告しておこう。色葉様はそういうことは、お嫌いだ」

「そうそう――それよ!」


 これまでの試すような雰囲気は消えて、乙葉はにわかに真剣な面持ちになった。


「今のはちょっとした戯れよ。そんなことよりも妾が聞きたかったのは、色葉様の好き嫌いのこと。お好きなことは何なのか、お嫌いなことは何なのか……ってね。このあたりを知っておかないと、うまく付き合えないでしょ?」

「どうして私に聞く?」

「貴方が一番詳しいでしょ? あの方の良いところも悪いところも全て見てきたのでしょうから」


 それは確かに乙葉に言う通りで、付き合いの浅い景成では不足だったことだろう。

 それでわざわざこんな夜分に訪ねてきたのだろうが……。


「ついでに言うと、色葉様にはあの雪葉っていう側仕えの雪女がいるじゃないの。あれってどう見ても強敵なのよね……」

「明日も早い。今度では駄目か?」

「駄目よ? 時間は一日だって無駄にできないわ。まずは家臣に取り立ててもらわなくてはいけないし、その後は出世しなくちゃいけないわけだものね?」


 どうやらそう簡単には追い返すことはできなさそうだ。

 とはいえこれは、逆に機会でもあった。

 この妖のことを知る、という意味での。


 もし何かしら邪まなことを心に隠し持っているのであれば、早いうちにそれを知り得なければならない。

 これも家臣の務めか……と、貞宗はやや諦めつつも、乙葉に付き合うことになったのだった。

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