第3話 不測の事態

「食事?」

『はい。このような雑兵どもでも、命は命。人間の魂は比較的存在力が高いので、色々と利用価値があります。現状が未知である以上、得られるものは得ておきましょう』


 よくわからないが、ともあれ食欲を我慢することはできなかった。

 そして見えてしまう。

 魂らしき何か、が。

 俺はその場にぺたんと座り込み、本が言う魂とやらを貪り始める。


『この世界の構成要素を入手。世界への接続を開始。不可。再接続開始。不可。再接続を――』


 本が何やら声を上げていたが、耳になど入らない。

 俺は手元に集められた九人分の魂を平らげて、恍惚とした気分に浸っていたからだ。


 とんでもなく気持ちがいい。

 たった今人を殺したばかりだというのに、その死体の中にいるというのに、まるで気にならない。

 どうやら完全に俺はおかしくなってしまったようだが、だからどうだというのだろう。


『接続が可能になりました。状況を確認。……。……。……』


 壊れたラジオみたいに何やら声を発する本へとようやく意識が戻り、俺は血だまりの中からそれを拾い上げた。

 これだけ血を被っているというのに、嘘のようにそれらが滴り落ちていく。


 軽く振ってみれば、あっさりと血は無くなってしまっていた。

 物凄い撥水加工でもしてあるかのようである。


 食欲を満たした余韻が少しずつ薄れていき、ある意味で我に返った俺は、改めて本に尋ねずにはおれなかった。


「状況を説明しろ」

『明確には説明できかねます』

「いいからしろ」

『――はい。どうやらこの世界は、主様がいた世界とは異なるようです』

「世界が異なる……?」


 確かに変なことは分かる。

 足元に散らばっている死体は、足軽のような恰好をした者ばかりだ。

 よくテレビドラマとかで目にした具足や胴丸らしきもの。


「過去……とかじゃなくてか?」


 自分で信じて言っているわけではないものの、そんな印象だったのだが。


『主様がいた世界の過去に非常に酷似していると思われますが、当初、世界への接続ができませんでした。つまり、元の世界とは構成が異なっており、異なる世界であると判断せざるを得ません』


 いや、よくわからないぞ。


『現在は世界への接続が可能となっています。検索中ですが、時間を要します』


 そもそも接続って言うけど、何のことやらさっぱりだ。


「……まあ、いい」


 良くないが、とりあえず置いておく。


「もう一つ質問だ。この……俺の身体はどうなっている? 明らかに色々と……違うんだが」


 世界も違えば身体も違う。

 せめてどっちかは、はっきり原因が知りたいところだ。


『それは問題ありません。むしろ大成功なので』


 そういえば一番最初にも、この本は何か言っていたよな。

 理想通りの姿になったとか何とか。

 嫌な予感はするが、これもしっかり確認しなくてはいけないことだ。


「説明しろ」

『はい』


 何やら嬉しそうに頷く……ような雰囲気をみせる本。


『我が創造主によって私と主様は契約が成立し、接続が完了しています。そのはず、でした。しかしどういうわけか、うまく交感することができませんでした。当初は無視されているのかとも考えたのですが、どうも違うようで、主様の方に何か不明な問題があると結論付けたのです。それというのも我が創造主の存在の一部を得たはずなのに、それがまるで発芽しなかったこと。そのため私の声が聞こえなかったのだと思われましたが、原因は不明でした。そのためこれまでの間、どうにか交感できるよう、主様の身体を調べ、私の理想とする設計図を構築しつつ、作り変えを行う予定だったのですが……』


 ぺらぺらと相変わらずよく分からないことを喋りだす本。

 饒舌というより、話がしたくてたまらないといった感じだ。

 うるさいくらいである。


『――ところがあの瞬間、急に主様との交信が可能となりました。未知からの接触により、何者かに干渉されていたことは判明していたのですが、それを受け入れることで更なる交感を図れるのでは、と考えたのです。つまり……』


 話は続く。


『――召喚の類はいったん身体の構成をバラバラにし、しかるのちに再構成します。しかし常人……というより人間ではバラバラになるだけで、元には戻れません。召喚されて再構成されても、現れるのはミンチだけです。ですが非常に良い機会でした。なぜなら――』


 あれやこれや、と更に話は続く。どこまでも。


『――私はそれまでに練りに練って構築していた理想体を、再構成の際に割り込んで書き直したのです。その結果が今の主様であり、思惑通り、我が創造主から得た力をあまねく使用できるばかりか、容量に余裕を持たすことにも成功しています。創造主には遠く及ばぬとはいえ、それでもいつかは準じることのできるほどの――』

「よくわからないが、とりあえずお前のせいだということだけは分かった」


 そう言ってやると、マシンガントークがピタリと止まった。

 そして、


『お褒めに預かり恐縮です』


 などと言いやがった。

 いや、褒めてないから。


「くそ……。つまり改造されったってことか? この口うるさい本に……?」

『本、では無く、アカシア、とお呼び下さい』

「どうすればいいんだこれから……?」


 本の言葉はとりあえず無視し、どうしたものかと頭を抱えていた時だった。

 入口の方から再び足音がした。

 重々しい音に、甲冑の擦れる音。


 現れたのは、骸骨武者だった。

 全身を返り血で染め、ここに来るまでにかなりの戦闘を繰り広げてきたことが想像できる。

 そういえばと今さらのように思い出して周囲を見ると、足軽どもにあっさりとやられていたはずの骸骨二体が、いつの間にやら起き上がり、片膝をついて俺から離れて控えていたりした。


「……ご無事であったか」


 骸骨武者は一体どうやってかは知らないが、まるで人間のように声を発し、他の二体と同じように礼をとった。

 何故だか俺に対して。


 どうやら敵対行為をするつもりはないらしいが、何といっても相手は骸骨だ。目の前にして気持ちのいいはずもない。


 とはいえ最初に比べると、さほど何とも思っていない自分に驚いていた。

 直感だが、この骸骨より俺の方が遥かに強い。

 そう思うがゆえの自信からだろうか。


 ついでに素っ裸ではあるのだけど、相手がそれ以上の骨では何とも思えるはずもない。

 骨格標本を相手にしている気分に近いからだ。


「何なんだ? お前らは」


 怖くなくなったのを幸いに、俺は会話してみることにした。

 情報は必要である。


「ご無礼を。拙者は真柄と申す。後ろに控えるは弟と、我が愚息であります。残念ながら力不足のため、声は出せませぬ。理解することは可能ですが」

「真柄? 元は人間……だったってことか?」

「左様。我らは三田村合戦にて討死を遂げたのであるが、その地に居合わせた南蛮人によって蘇らされ、この地にて使役されていた次第でありまする。そしてその南蛮人はこの地の者と協力して、何か得体の知れぬものを呼び出すつもりであったようですが」


 その得体の知れないものというのが、俺なんだろう。


「ふうん。俺をこんな所に呼び出したのは、つまりお前らってことか」


 何気なくそうつぶやくと、後ろにいた骸骨二体が小刻みに震えだし、後退さりながら平伏した。

 それどころか目の前の骸骨武者も、身を震わせて膝をつく。


「お、お気をお鎮め下され……! 拙者どもにはその妖気、耐えられませぬ……!」


 え? 妖気?

 何のことを言っているのやら分からない。

 確かに今、ここに理不尽に呼び出されたことを知って、少しイラッとはなったのは確かだが。


 俺も俺で困っていると、足元で何かが動き出していた。

 散らばっていた死体がぎくしゃくと動き、立ち上がろうとしている。


「こ、これは……!」


 真柄と名乗った骸骨が驚愕を表に出す。

 ……表情なんて無いけど、そんな雰囲気だ。


「何だよこいつら……? まさか死んでなかったのか?」


 俺もちょっと驚いていた。

 動いているといっても脅威はまるで感じてはいない。それでもびっくりはする。

 死体が動く。

 それはおぞましい光景には違いないからだ。


『違います、主様。これは主様の影響を受けて、いわゆる死霊呪のような影響が自動的に発動してしまっているようです』

「……死霊……呪? 何だそれは?」

『死者を使役する呪法です。元の世界にも存在したものですが』

「何でそんなものが勝手に発動したりするんだよ?」


 正直気持ち悪い。

 だってこいつら、急激に肉が腐り落ちて、下から白骨が見え始めている。

 悪臭もなかなかのものだった。


「何とかしろ」

『問題ありません。これらは使役が可能な上に、主様の絶対の忠誠を誓う奴隷です。役に立てましょう』


 ずいぶん前向きな発言だけど、だからといって素直にうんとは言えるものでもない。


「馬鹿言え問題だろう? 俺がいるだけでこんな――ええと、何ていうんだ。アンデッド、か? ――とにかくこんなのがうじゃうじゃ湧いてくるんじゃ、精神衛生上いいわけないだろうが」

『では主様の存在力を抑えるしかありません。そうすれば勝手に湧き出ることもないはずです』

「お、抑えるって……そんなこと言われてもできないぞ?」

『すぐにできるようになると思いますが、今はこちらで調整いたします。どうして死霊呪が常時発動するのかは不明ですが、すぐに解析いたします。私は役に立つのです。ですからアカシア、とお呼びを』

「それは……助かるが」


 何やら自慢げな本を相手に鼻白んでいると、骸骨どもが完成していた。

 腐肉は完全に落ちて、骨だけになってしまっている。

 まあ下手に肉が残っていると、それはそれでかなり気持ち悪いものだが。


「申し訳……ございませぬ。我々が非力なばかりに、ご迷惑を……」


 真柄という鎧武者がようやく、絞り出すかのようにそんなことを言った。

 よほど辛かったのか、怖かったのかは知らないが、肩が未だに震えている。

 とりあえず俺からそのおかしな妖気とやらは、消えたらしい。


「別に謝らなくてもいい。それよりも、俺を呼び出した南蛮人とやらはどこにいるんだ?」


 そいつに話を聞くのが手っ取り早い。

 そう思ったのだが、話はそううまく進まなかった。


「すでに息絶えました。貴方様を呼び出す儀式の際に、その魂をまるごと食われたらしく、あるいは失敗したかと思っていたのですが」

「食われたって……何に?」


 疑問を口にして、すぐに犯人に気づいた。

 多分俺だろう。

 というか、恐らく黒幕はこの本だろうが。


『未知なる状況で、必要な情報や材料は無駄にできませんので』


 などと本から声がぼそぼそと聞こえてきたので、もはや間違いないだろう。

 しかし……俺はいったい何になってしまったんだ?

 人間の魂とやらを食いまくって……これじゃあ悪魔か何かのようだ。


「まあ……いい。それよりも次の質問だ」


 よくは無いが、確認すべきことはまだある。


「ここはどこだ? どうしてこんなやつらがここにいる? あと、外の騒がしいのは何だ?」


 自分自身の状況確認はとりあえず置いておいて、今度は外的な状況を確認する必要がある。


「ここは大日方氏の居城、古川城内の地下でありまする」


 真柄が語った内容に、俺は眉をひそめた。


 どうやら真柄を蘇らせたその南蛮人とやらは、戦乱続くこの国を移動しながらいわゆる骸骨の手勢を増やし、この信州までやってきて、地元の怪しげな連中と結託。

 何かしら利害が一致したようで、その目的が俺だったらしいが、結果として似て非なるものを呼び出してしまったらしい。


 つまり俺は、その南蛮人らが呼び出そうとしていたものとは、結果的に違う存在だったということだ。

 要はその南蛮人と結託した連中――戸隠衆というらしいが、この古川城を占拠して、俺の召喚を行ったとのこと。

 この場所でやったのは、地形的な問題だとか何とか言っていたが、それはまあどうでもよかった。


 とにかくそんな目立つことをしたせいで、元々この城の城主だった連中や、近隣の援軍に囲まれて、落城寸前――というのが現状らしい。


 その戸隠衆とやらは骸骨ではなく人間だったらしいが、先の総攻めですでに壊滅したという。

 真柄は一騎になっても戦い続け、その甲斐あってかいったん敵は撤収したとのこと。


「最悪な所に呼び出してくれたものだな」


 薮睨みになって言えば、真柄は恐れるように平伏する。


「さ、幸いにして総攻撃はどうにか跳ね返しました。一時的なものでしょうが、時間的な余裕はございまする。搦手からの脱出路を見つけてありますので、お早く移動すれば、あるいは」

「ふうん……」


 相手がどれだけの戦力かは知らないが、この身体ならば、突破は可能なような気もする。

 とはいえ未知の世界で油断は禁物だ。

 大事を取って、取り過ぎることなどないはず。


 それにまずは、落ち着ける場所を探すのが先決だ。

 ここはどうやら敵の中らしいし、そもそもにしてこの格好では少しも落ち着けない。


「いいだろう。案内しろ」

「はっ!」


 そうやって。

 俺は初めて、日の光りの当たる場所へと出たのだった。


     /


「なんと! 貴殿はこの期に及んで兵を退けと申すのか!」


 古山城を囲む一角で、冗談ではないとばかりに怒号が上がった。

 仮設の陣に現れたエルネスト・ガレアーノという南蛮人の言葉に、大日方貞宗は激高したのである。


「貴殿の追ってきた南蛮人は、すでに息絶えていたとの報告もある。今更何を恐れよう。あとは掃討するのみではないか」

「だからこそ、危険なのです。あのメネセスが命を落とすほどの悪魔……これは想像もできないほどの脅威です。あのスケルトンなどオモチャのようなもの。実際に、一時とはいえ禍々しい気配も城内から溢れました。今は消えていますが……」

「確かに頑強な抵抗はあったが、もはやそれも瓦解している。今が攻め時であろう」


 貞宗の言葉に、エルネストは首を横に振った。


「なりませぬ。この脅威、確かめるまでは手を出すべきではございませぬ。しかし現状ではそれも危険。なればいったん外へ出してしまうのです。その上で、確かめるのがよろしいかと」


 つまるところエルネストは、この包囲の一角にわざと穴をあけて、城の中で生まれたであろう脅威を外に出せと言っているのだ。

 貞宗にしてみればあり得ない決断であり、受け入れることなどできなかった。


 ここで逃せば将来の禍根になる。

 それは実際にあの骸骨どもと刃を交えた貞宗が、一番よく分かっていたからだ。


「……ご当主殿の許可は得ていますぞ」


 駄目押しとばかりに、エルネストは言う。

 しかしそれでも、貞宗は聞けなかった。


「馬をひけぃ!」

「貞宗殿!」

「黙れ! 者ども、後に続け!」


 エルネストを押しのけた貞宗は馬に跨ると、十数名の手勢を引き連れて城の搦手へと向かっていく。

 脱出するならばあの道しかない。

 この城のことを熟知している貞宗には確信があった。


 ならば先回りをして、待ち構える。

 そこで滅ぼしてやると意を決し、貞宗は自身を奮い立たせた。



◆あとがき◆

 物語序盤での主人公の劣勢、というか、立場の弱さを埋めるために、知識の手助けとしてアカシアを登場させています。

 序盤の伝奇要素が濃いのもそのあたりを補うためで、話が進むにつれて薄らいでいきます。

 また、朝倉家臣で有名な真柄兄弟などはこの時点ですでに戦死していますので、こういう形での登場となりました。

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