第2話 目覚め


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 元亀四年四月。

 信濃国水内郡にある古山城は、この地を治める大日方氏の居城だった。

 しかし今現在、大日方氏の軍勢は自らの居城であった古山城を囲んでいる。


「殿、貞宗様より搦手の方は貞宗様と武田の援軍により包囲し、退路は完全に断ったとのことにて、総攻撃の下知をとの仰せです」

「分かっている。すぐにも命じるゆえ、しばし待てと伝えよ」

「はっ」


 伝令が足早に陣を離れるのを見守りつつ、大日方氏当主である大日方直親はもう一度古山城を眺めやった。

 すでに小競り合いが続いて数日になるが、こちらの優勢はもはや揺るがない。

 武田の援軍を得た時点で、勝利は確実だろう。


 直親が仕える武田氏当主・武田信玄が西上作戦を発動し、遠征軍を率いて三河侵攻を開始したのが元亀三年九月のこと。

 今年に入り、信玄不在をつくかのように、直親が治める領内で戸隠衆に不穏な動きありと報告してきたのが、その監視を担っていた直親の従兄弟である大日方貞宗だった。


 しかし時すでに遅く、戸隠衆は南蛮の異端者と結託して怪しげな呪術を行うため、決起して古山城を占拠したのである。

 小勢であった戸隠衆に大日方勢が遅れをとったのは、南蛮渡来の怪しげな技によるものだ。

 曰く、死者を蘇らせ亡者の軍を作り上げ、それを使役しているという。


 最初直親は信じることができなかったが、目の前で甲冑をまとった骸骨に太刀を振りかぶられ襲われれば、嫌でも信じる他無い。


 そのような輩に強襲された古山城の大日方勢は恐慌し、城を捨てての撤退の憂き目に遭ったのだった。

 あまりの出来事に一時は大混乱となったが、今では落ち着き、逆に敵を包囲するに至っている。


「しかし大丈夫であろうか。敵は亡者の群れ。今さら恐れるものではないが、切っても殺せぬのでは戦にもならんだろうが」

「心配には及びません」


 直親にそう答えたのは、明らかにこの国の者ではない無い容姿の人物だった。

 名はエルネスト・ガレアーノ。

 ポルトガルの宣教師である。


「クリストヴァン・メネセスは呪われた死人遣いではありますが、死霊呪の力とて無限ではありません。術者に依存するところは大きく、これを討ち取れば亡者どもはただの土に還るでしょう」

「であれば良いのだが」

「またあの程度の亡者であれば、こちらの戦力でも十分に対応可能です。約二体ほど危険な個体がいましたが、うち一体はすでに私が葬っております。あと一体にだけ気を付ければ、どうとでもなるでしょう」


 その言葉に、直親はぶるっと身を震わせる。

 古山城を強襲してきた亡者の中に、五尺三寸はあろうかという一際目立つ大太刀を振り回していた具足の亡者がいたのだが、あれのことだろう。

 あれに当たった雑兵は、木っ端のように吹き飛んでしまっていた。


 亡者という存在は、この時代かなり認知されるようになってきている。

 この国古来の妖怪変化や魑魅魍魎の類ではなく、南蛮からもたらされた悪しきものとして。


 南蛮人はその種子島といった新たな技術や文化、宗教と共に、彼らが抱えてきた負の遺産というべきものも、この国に持ち込んでいたのだ。

 そのため南蛮人はこの国にとって悪しきものをばらまいた張本人達であり、忌避される一方で、その対策のためには必要不可欠な人材でもあり、この国の者は複雑な感情を抱いているのである。


 直親もこのエルネスト・ガレアーノという南蛮人を心の底から信頼しているわけでもなかったが、さりとて他に良き知恵も無く、この人物の協力を受けるしかなかった。


「そのメネセスとやらは、そなたに任せて良いのだな?」

「そのためにここまで追ってきたのです。お任せを」

「よし……! ならば出陣だ!」


 伝令が走り、総攻撃が伝達される。

 城に立て籠もるは亡者の軍勢を含めても、百ばかり。

 こちらは武田の援軍も得て、五百の軍勢で囲んでいる。

 落城は必至だろう。


 亡者という未知の相手に戸惑いや不安もあったが、どうにか撃退できていることもまた事実だ。

 今ではなりを潜めたものの、数百年前には鬼や妖の類が悪事を働き、朝廷が軍勢を派遣してこれを討ったという。


 そして現在ではまさに乱世と呼ぶ他ないほどに、秩序は失われてしまっている。

 こういった時代に得体の知れない輩が跳梁してしまうのは、世の常なのかもしれない。


 ともあれ今は殲滅あるのみだ。

 それに平定を急がねばならない理由もある。

 まだ風の噂程度だが、三河に侵攻していたはずの武田勢が引き返しているという。


 徳川勢を相手に勝利の報ばかりだったため、にわかには信じられないが、何かあったのかもしれない。

 それに主君である武田信玄が死んだ、という不吉な噂すら聞こえてきている。


 とにもかくにも今はこの場を速やかに平定し、万が一の変事に備えるべき時だろう。

 もっとも、今回のような事自体がすでに、この先の変事を予感させるものではあったのだが。


     /京介


 目が覚めると、ひどい喧噪が聞こえてきた。

 悲鳴やら怒号、そんなやつだ。


 うるさいな……。

 頭ががんがんする。

 瞼も重い。

 それでもぼんやりと視界が開けてきた。


「…………?」


 まだ寝ぼけているのだろうか。

 視界に映ったものは、骸骨だった。


「うわぁああああっ!?」


 目覚めが悪いとはこのことだ。

 何やら武者鎧らしきものを着込んだ骸骨が二体、こっちを見ていたのである。

 しかも間近で。


 俺の悲鳴の反応したように、その二体もびっくりしたように後退った。

 いや、骸骨のくせにびっくりとかどうなってるんだよこれは。


「な、ちょっと待て! 何の冗談だよこれは――!?」

『冗談ではありません。現実です。ようやくお目覚めのようですね。随分お寝坊のようですが』


 変な声がした。

 一瞬骸骨かと思ったが、違う。声は足元から聞こえてきたのだ。


 そこにあったのは黒い本。

 あの少女にもらった変な本だ。

 そしてここはどこかよく分からないが、どうも湿っぽく、じゅくじゅくしている様子から地下のようだった。


 訳が分からない。

 そして骸骨が二体。

 再び骸骨が近寄ってくる。どこか恐る恐るといった感じで。


 俺はもちろん後退る。

 怖いし気味が悪い。ホラー映画もびっくりだ。

 もう悲鳴は出なかったが、単に声にならなかっただけである。


「え……? 何だよこれ……! 意味が――」


 そこでさらに意味不明なことに気づいてしまう。

 裸だった。


 尻もちをついて後退っているのだから、当然自分の足が目に入る。

 白くて細い足。


 一瞬骨かと思ってしまったけど違う。

 ちゃんと肉がついている。

 白くてすべすべ。

 場違いではあるけれど、思わず感心してしまうほどの艶をもった足だった。


「は、はあ……!?」


 そういうわけで、混乱は更に増した。

 慌てて自分の身体を見下ろす。まさぐる。


 どういうわけか胸には多少の膨らみがあり、今までの自分の身体とは明らかに違う。

 腕も手も細く、華奢だ。


 そしてまるで服のように肩口から上半身にかかっているものは、明らかに髪だ。

 しかも長くて狐色の。

 これまた信じられないほど艶がある。


 思わず頭に手をやって――何か突起物を見つけて手が止まる。

 触ってみる。触られている感触がある。

 これって……まさか耳なのか?

 しかもこのふさふさ感、いわゆる獣耳というものでは……!?


 そして更に信じられないことに気づいた。

 ちょうど腰の下のあたりから何か生えている。

 尻尾だ。

 それもやはりふさふさの……。


『どうやら私の理想通りのお姿になられたようですね。成功です』


 声がする。

 あの本だ。

 一人? だけ納得したような響きの持つ声に、俺は慌ててその本を掴み上げた。


「何がどうなってるんだ!?」


 叫んでから違和感。

 軽い。

 今まで重くてどうしようもなかった本が、異様に軽く感じられた。


『どうもこうもありません。未知の事態が発生したため、その機を生かして――』


 得意そうに、俺からすれば呑気にそんな話をし始めた本だったが、それは怒号に遮られることになった。


「ここか!」


 入口の方に複数の人の気配がし、扉が蹴破られる。

 現れたのはやはり武者姿の人物と、軽装の足軽のような恰好をした人間だった。

 ざっと十人近くはいるだろうか。


 骸骨じゃなかったことに安心したのも束の間、そいつらの放つ血臭と血塗れの具足を目にして、ぎょっとなる。

 俺にせまっていた二体の骸骨は即座に反転し、俺の前に立ちはだかるかのようにその兵と思しき人間を前に対峙した。

 まるで、俺を庇うかのように。


「いたぞ! ……うん?」


 先頭で入ってきた武者姿の男は、俺の姿を見て一瞬呆けたようになる。


「あの南蛮人はとんでもない化物が呼び出されたとか言っておったが……何だ、小娘ではないか」


 小娘……。

 そうか、やはり俺は……。


「尻尾と耳が生えてますぜ。化け狐? ……それ以外は普通ですな」

「普通なもんか。すっげえ上玉じゃねえか」


 取り巻きの足軽がそんなことを口々に言う。


「やっちまう前に、楽しんだって罰は当たんねえだろうさ。なあ旦那、いいだろ?」

「馬鹿を言え。速やかに首を取れといわれている相手だ。それに辱めなど――」

「かてえことは言いっこ無しだぜ旦那。こんなご時世、よくあることじゃねえか」


 嫌らしい視線というのは、ああいうのを言うのだろう。

 男だった俺に向けられることは無縁だったが、ここで初めて体験することになるとは。

 というか待て、俺。もしかしてやばい状況なんじゃないか……?


「あの化け物二匹、ぶっ倒したらご褒美くれたっていいじゃないっすか」


 どうやら骸骨のことを言っているらしい。


「……好きにせよ」


 結局鎧武者の男は、足軽どもの言い分を聞いてしまったようだった。

 やれやれ、といった具合だが、やられる側の俺としては阿保かと言いたい。


『問題ありません。あのような輩、今の主様にとっては塵芥も同じ。踏み潰せば良いだけです』


 こっちはこっちで相変わらずの訳の分からんことをほざいているし。

 俺が心臓の鼓動が聞こえるのではいと思うほど緊張して成り行きを見守っていると、取り巻きだった五人くらいの足軽どもが前に出て、骸骨二体と対峙する。


 骸骨の方はボロボロになった太刀を引っ下げており、それなりに強そうに見えなくもない。

 が。


「うりゃああああっ!」


 足軽の一人がでたらめな動きで太刀を振りかざし、骸骨へと振り下ろす。

 それに対する骸骨は蝸牛もびっくりな速度で反応し、当然対応などできるわけもなく、太刀に当たってもんどりを打った。

 呆れるくらいの弱さである。


「やっぱりな! あの南蛮人が死んじまってから、急にこいつら鈍くなったからな。くそ弱えぜ!」


 そうこうしているうちに、もう一体もあらぬ方に吹き飛ばされる。

 骨だけあって、軽いらしい。

 いや、などと冷静に観察している場合じゃないって……!


「く、来るな……!」


 思わず声を出して、後退る。

 でももう後ろは壁。

 石で出来たひやりとした感触が、背中に触れる。


「おお……可愛い声じゃねえか……! やべえなこれ、一回じゃ満足できそうもねえぞ……!」

「馬鹿言えとっととやって、とっとと回せや。時間ねえんだぞ?」

「けどよぉ……」

「なら最後にしろよ。おれが先にやるぜ」

「馬鹿野郎! 俺が先だ!」


 ほとんど狂気の沙汰である。

 どうやら俺の運命は、この雑兵共に回されることなのらしい。

 あまりといえばあまりだ。

 しかしどうしようもない。


『主様?』


 だというのに呑気に声をかけてくる本。


「た、助けてくれ……」


 情けないが、俺にはそれしか言えない。


『……お手伝いはできますが、しかし主様の身体を私が使用することは不敬となりましょう。やはりご自身で――』

「いいから助けろっ!』


 だって下卑た手がもうそこまで迫ってきているのだ。

 貞操の危機――というか、もはや生命の危機である。


 俺の身体は――認めたくなかったが――明らかに女性体になっているし、しかもまだ成熟しきっていない身体だ。

 確実に二十歳には届いていない程度の。

 こんな身体で抵抗などできようはずもないではないか。


『承りました。では僭越ながら』


 了承の意が伝わってきたと思ったら、不意に意識が凍り付いた。

 といってもしっかりと意識はある。

 ただ単に、思考がひどく冷たくなったような気がしたのだ。


「信じらんねえな、この肌――」


 伸ばされた男の手が、もう目前にあった。

 反応するように、勝手に自分の手が動く。


 伸ばされた手を俺は左手で無造作に掴み取り、適当に捻れば、ボギリ、という鈍い音と、男の悲鳴が同時に響いたのだった。


「うぎゃああああっ!?」

「うるさい」


 俺が言ったつもりは無かったのだが、そんな声と共にまだ握っていた男の腕を引き寄せると、今度は右手をその胸板に突き立てる。

 あっさりと鎧を貫いた俺の手は、男の身体の中に潜り込み、脈打っている何かに触れると、一気に引き抜いていた。


「か――――」


 もう悲鳴らしい悲鳴もなく、男は倒れ伏す。

 引きずり出した心臓をしばらく弄びながら無感動に眺めていた俺は、それを握り潰すと放り捨て、初めてその場に立ち上がった。


 たった今、一人死んだ。

 俺が殺した。

 だっていうのに、恐ろしいほど冷静で、何も感じない。


「こ、こいつっ……!」


 呆気にとられていた一同だったが、足軽の一人が我に返ったように太刀を振りかぶった。

 でも、遅い。


 俺は軽く踏み込むと、右手を一線。

 それだけで足軽の首が千切れ、地面に転がる。


 これで二人目。

 やっぱり何も感じない。


「こ、殺せっ!」


 誰かが叫ぶ。

 俺は地面に落ちていた、今ほど殺した足軽の持っていた太刀を拾うと、次に襲い掛かってきた足軽を脳天から真っ二つにしてやった。


 刃こぼれだらけの刃だったが、込められた力や速度が異常だったせいか、綺麗に半分になってくれたようだった。

 そんな調子で続けて三人ばかり切り捨てると、力加減が悪かったようで、太刀は曲がって使い物にならなくなってしまった。


 まあ素人が使えばこんなものだろう。

 それを力任せに一番遠くにいた足軽に投げつける。

 それなりの重量の太刀がとんでもない速度で飛んできて避けられるはずもなく、その足軽は血煙を上げてその辺に転がった。


「くそおおおおおおおっ!!!」


 いつの間にか背後に足軽が迫っていたようだったが、どうということもない。

 俺は振り向くこともなかったが、足軽は何かに強打されたように壁まで吹っ飛んでいた。


 相当な勢いだったせいか、半分ひしゃげた死体がずりずりと壁を伝って地面に落ちる。

 何のことは無い、俺の尻尾に叩かれて、吹き飛んだだけでこの有様だった。


 思考が冷えている今だから冷静に判断できるのだが、どうやら俺――俺を操っている何か、まああの声の主なんだろうが、俺に学習させる意味もあってかやたらめったら丁寧に、ともすれば残虐に、連中を殺しているようである。


 不思議なのは、俺の心境の方だ。

 これだけの殺戮を手ずから行っているというのに、ここまで無感動になっている自分がよく分からない。

 冷静というか、そもそも何も感じていないのだ。


 それを自覚した途端、やや怖く思う。

 自分自身を。

 何なんだこれは……と。


「く、な、何だこの化け物は……!?」


 最後に残った鎧武者の男がさすがに怖気づいたのか、逃げ出そうとしていた。


「逃がすと思うのか? この姿を見ておいて?」


 俺の言葉ではなく、あの本の言葉なのだろうが、まあ同感ではあった。

 正直見られて嬉しいものではないし、どうせなら皆殺しだ。


 足元に落ちていた死体の頭をもぎ取ると、それを逃げ出しかけていた男に向かって思い切り投げつける。

 それは見事に兜を被った頭に命中して、二つとも爆ぜてしまったようだった。


 あっという間に生きている者がいなくなってしまった。

 あまりに簡単で、拍子抜けしてしまうほどだ。

 脅威が去ったせいか何なのか、冷えていた思考が元に戻ってくる。


 むせ返る様な血の臭い。

 そんな死体だらけの中に佇んでいると、どういうわけか急に飢えと渇きが襲ってくる。

 あちこちに散らばる死体から、どうしようもなく甘い香りがしてくるのだ。

 これが食欲を刺激しているらしい。


 吐き気を覚えるどころか腹が減るなんて……いよいよ俺の身体はおかしくなってしまったらしい。


『ではお食事を。魂は拡散しないよう集めておきましたので、どうぞお召し上がりください』



◆あとがき◆

 現実世界の過去とは異なり、妖の類や南蛮の魔術的存在など、いわゆる伝奇っぽい要素を含んだ時代設定になっています。

 特に導入部分は伝奇要素が色濃いですが、基本的には戦国時代を舞台にした架空戦記ものとして推移していく予定です。

 またこの物語での主人公は決して善人ではありませんので、悪しからずご了承下さい。

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