空の青さが眩しくて
俺にとって、空はただのコースでしかない。
小型戦闘機『シエラ』による空中戦競技、通称『エアレース』は全世界で人気になっていた。
陸地の大半が海に沈み、未だに紛争が続いていても、兵器をモータースポーツに転用したエアレースはまだ続いている。
この平和な『ノースポイント諸島』と呼ばれている地域は、戦火や汚染とは無縁だ。
むしろ、この地からモータースポーツとしての『エアレース』が発信され続けてきた。
難民や他の島で受け入れられない住人を生活させるために造られた埋立地の島――アレク島。その規模はどんどん大きくなり、今ではメガフロートさえ建造されている。
かつて、素人の貧乏学生だけで設立されたレースチーム。
『アレク島立高等学校飛行機部』も、第4軍まで組めるほどの規模になった。
それでも他のチームのように軽空母を保有せず、飛行艇とボートでサポートチームを編成している。
――ブルー・ウィングストライカーズ。
その伝説は、もはや過去のものだった。
俺は、紛争地域から逃れてきた難民だった。
民兵のシエラパイロットだったが撃墜されて乗機を失い、結果的に逃げることしかできなかった。
運良く外洋に脱出し、新天地として……このノースポイント諸島に移住した。
ここの暮らしは悪くなかった。
飲み水は汚染されていないし、銃撃戦は起きないし、食料も豊富で、住人も理知的だ。
何もかもが揃っていて、満ち足りた日常。
俺が生き延びてきた世界と、同じ次元にあるというのが信じられないくらいだ。
それでなんだかんだ、今もシエラに乗っている。
レースチームの第2軍、そのパイロットの座を勝ち取っていた。
ノースポイント諸島での生活に不満は何も無かった。
だが、地上での平穏な時間を過ごすだけ――違和感が積み重なっていく。
俺の居場所は、ここでいいのか――と。
シエラのコクピットに収まり、スロットルを握り、操縦桿を引き起こし、フットペダルを踏む。
それが、俺の生き方だった。
だけど、今ではそっちの方が「おまけ」になっている。
『エアレース』は過酷だ。
軍用スペックに匹敵するシエラを酷使し、性能の限界を攻めなければならない。
加速や旋回によるGで身体を痛めつけられ、離着陸やレース中の水上補給では精密な操縦が要求される。
空を飛ぶということは、体力も気力も消耗する。
たった10分の空戦で、立てなくなるほど疲労してしまうこともある。
シエラで飛ぶ苦しみは嫌というほど味わってきた。
だから、俺には信じられないことがある。
この世界には、『空を飛ぶことが楽しい』と思っているヤツがいることだ。
そいつはいつも俺の後ろを飛び、地上でも俺の周りをうろちょろしている。
置き去りにしても追い掛けてきて、気付けば隣に並んでいる――そんなヤツだ。
男子寮から出ると、そいつは必ず俺を待っている。
眩しいくらいの笑顔を輝かせ、俺に挨拶を投げてくる。
そして、こう言うのだ。
「――今日も、良い天気だね!」
ノースポイント諸島の天候は基本的に晴れが続く。
時々、台風がやってくることもあるが、天候が極端に悪化することは希だ。
「絶好のフライト日和だよ!」
俺より数段小さな身体が跳ねる。
貧弱な体形、細い手足、同年代とは思えないような幼さ。
そんな彼女が、同じ機体に乗って飛んでいる。
それが、俺には信じられなかった。
学校に行き、授業を受け、昼食を取って、シエラに乗り込む。
いつでも笑顔で、騒がしくて、元気いっぱい。
そんな彼女がどうしてシエラに乗るのだろうか。
どうして、空を飛ぶのが楽しいと思えるのだろうか――?
今日もまた、彼女の明るい声を聞きながら空を飛ぶ。
スロットルを押し込み、フットペダルを踏み、操縦桿を引く。
空と海が入れ替わり、青と碧に囲まれ、痛みと緊張の中でシエラを操縦する。
そして、今日もまた――俺は眩しい空を見上げた。
ちっとも楽しく思えない空を、俺はどうして飛んでいるのか――
生きるためでもなく、強要されたわけでもなく。
ただ、居場所を求めて飛んでいるということに、なんとなくは気付いていた。
でも、それを認めてしまっては、彼女の言う『楽しい』と同列になってしまうのではないかと憂鬱になりそうだった。
だが、俺は自分の意思でシエラに乗り込み。自分の意思で操縦している、
それが、全てだった。
色んな物を放り投げ、逃げてきた俺には――――それくらいがちょうどいい。
この先に何が待ち受けていようと、俺はただ逃げる。
真っ正面から向き合っても、何も解決できないし、する気もない。
ただ、逃げる――
空の青さの眩しさから目を背け、ただ流されるように飛ぶ。
今は、それでいい。
この、空の青さに慣れてしまったら……きっと、自分が自分でいられなくなってしまうような気がした。
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