第6話 初めてのお泊まり 後編

陽の光をまぶたに感じて、微睡む思考のままゆっくりと目を開ける


「えっ!?」


目の前の状況が理解できずに思わず驚きの声を上げてしまう

なんで姫乃さんが私の布団で寝ているの!?


パニックになりながら昨日あった出来事を、まだノロノロ運転中の脳味噌で思い出していく


そういえば昨日は…


ようやく昨日あった出来事を思い出す。

隣を窺ってみるが、先ほどの驚きの声では起きなかったようで、姫乃さんは可愛らしい寝息を立てている


しかし自分の状況はあまり良いとは言えない。

今自分は、壁と姫乃さんに挟まれてい寝ている。

そして私は今猛烈に朝のトイレに行きたい。


トイレに行くなら姫乃さんの上を跨がないといけない。

でも、移動中にこんな気持ち良さそうな寝息を立てている子を起こしてしまうかもしれないと思うと…


いやヤッパリ無理!漏れちゃう!


我慢ができそうにないと悟った私は、布団をゆっくりと剥がす。

そして、姫乃さんを起こさないように4つんばいになりながら上を通ろうとする。


慎重に慎重に…


しかし、私の運動神経の無さがここぞとばかりに発揮される。

あろうことか、私の膝と姫乃さんの膝が勢い良くバッティングする。


姫乃さん起床。

そして目の前の光景に驚きを隠せない模様。


「紗希先輩!?こんな朝早くから何しようとしてるんですか!?」


何しようとしている?

何やら勘違いしてそうなセリフを放つ姫乃さん。

ただトイレに行こうとしているだけだと言おうとするも、矢継ぎ早に姫乃さんが言葉を続ける


「なんで私が寝ている時に襲おうとしているんですか!もしかしてそういう性癖ですか!襲うなら私が起きている時にしてください!」

「いや違うから襲うつもりなんか全くないから!ただ朝のおトイレに行こうとしているだけだから!」


このまま姫乃さんに喋らすと話がとんでもない方向に行きそうだったので、ヤバイと思い速攻で訂正させてもらう。

しかし、信じてもらえないのか姫乃さんの顔には不快という文字がかいてあった。


「本当だから!本当にまったくこれっぽっちも姫乃さんを襲うつもりなんかなかったから!それに私たち女性でしょ?100%あり得ないから安心して」

「分かりましたから…もう良いですよ。私をおいてトイレに行ったらどうですか」


これでもかと否定したにもかかわらず、姫乃さんの顔つきは未だ不快の表情のままだった。

しかし、トイレを我慢するのも限界だったのは事実だ。


「うん…それじゃあゴメンね?」


何に対して謝っているのか自分でもわからないが姫乃さんを跨いでトイレへと向かう。


帰ってくると姫乃さんは、壁側を向いて布団に包まっていた。

なんだかご機嫌斜めな感じがする。

とりあえず違う話題にして気分転換させておこうかな?


「そういえばさっきは私もビックリしたよ」

「…どうしてですか?」

「だって、いつもは岩倉先輩って呼んでいるのに、さっきは紗希先輩って呼んだでしょ?」

「えっ!本当ですか!?・・・すみません馴れ馴れしくしちゃて…」

「いや全然気にしてないよ?むしろ昨日のサシ飲みのおかげで仲良くなれたのかなって嬉しくなったから」

「いえっそういうわけでは無いです」


えっ違うのか。ちょっと残念だな…


「あっ違うんです!確かにいつもは岩倉先輩って呼んでます。…けど心の中では紗希先輩って呼んでたので咄嗟にそう呼んじゃったんです」

「そうなんだ?でもなんで心の中でだけ紗季先輩って呼んでたの?」

「…紗季っていう名前が先輩に似合って可愛くて、つい呼んでました」


可愛い…私に似合ってる?これまで言われたことがない感想だ。


「あと、紗希先輩って頭の中で呼んでいるとなんだか仕事も頑張ろうと思えるので、心の中では紗希先輩って呼んでましたね」

「ふ~ん。それじゃあ普段から紗希先輩って呼べば良いのに?」


私は自分の名前に特に愛着があるわけではない。

だからどうとも思わないが、そんなことで仕事のやる気が出てくるならそう呼べば良いと思う。


「…良いんですか?」

「うん、むしろなんでそこまで遠慮するのか不思議」

「会社での岩倉先輩を見てたらそう思いますよ?」


まぁ確かに仕事上ではお硬いイメージだし、休憩時間は田中くんが話しかけてくるまではずっと一人でスマホ触っていたもんなぁ。納得だわ。


「じゃあ姫乃さんだけには特別に、会社でもフランクに話すことを許してあげよう!」

「本当ですか!」

「ただし、社内にいる間はちゃんと先輩後輩の立場は弁えるんだよ?」

「はいもちろんです。紗希先輩!」


とっても嬉しそうな姫乃さんを見るとこっちまで嬉しくなっちゃうよ。


「それじゃあ紗希先輩も私のことを、…香代って呼んでも良いんですよ」

「いや私はこのままでも良いかな」


特に名前呼びにしてテンションが上がるわけでもないしなぁ


「えぇ~そんなの不公平ですよ!私が呼び方を変えるんだから紗希先輩も変えてくださいよぉ~」


う~んいきなり名前呼びはちょっと身構えちゃうんだよな。これまでの友達も名字呼びが多かったし…


「…なら姫乃ちゃんじゃだめ?」


とにかく名字で話を収めてしまおうという妥協案だが。


「どうしても名前を呼びたくないようですね…。はぁ、まぁ良いでしょうその呼び方で」


…おかしい。先輩は私のはずなのだが主導権を握られている気がしてならない

なにはともあれさっきまでの不機嫌オーラはどこかにいって、ニコニコした姫乃さん、いや姫乃ちゃんが帰ってきたので良いとするか。




「それじゃあ目が覚めたことだし、一緒に朝ご飯食べる?まぁ食パンしかないんだけど」

「はい、是非いただきます!」


そういえば誰かと一緒に朝ごはんを食べたのはいつぶりだろうか?

高校や大学では友達の家にお泊まりなんかはしなかったからなぁ。

最後に食べたのは小学校ぐらいだっけ?


ぼぉ~と別のことを考えながら、毎朝食べているパンを、いつもと同じトースターに、今日は2枚並べておく。


「姫乃さんって牛乳は好き?」

「…むぅ~」


どうしたんだろう、急に可愛い声をだして?


「…呼び方が戻ってます」

「あぁ~ゴメンねまだ慣れないからついつい。ヤッパリこれまでと同じ呼び方でいいんじゃない?」

「ダメです!いまさら姫乃さんって呼ばれたら仕事のやる気が出ませんから!」

「もう、分かったよ姫乃ちゃん。牛乳は好き?」

「とある理由で大好きです」


姫乃ちゃんのスレンダーな体型を見て、理由については触れないでおこうと思った。


「…紗希先輩って小さい頃から牛乳が好きだったんですか?」

「そうだね気がついた時には朝は牛乳のんでたなぁ」


「やっぱりそのメリハリの効いたエロい体は牛乳が要因の1つなのか」


姫乃ちゃんが小さな声で呟いている。でも聞こえているよ?エロイ体ってもうセクハラだからね?

聞かなかったことにして、食器棚から100均で買った安っぽいコップと皿を2個ずつ机の上におく。

そして先ほどのセクハラの原因の牛乳をコップに並々と注ぐ。


「先輩って食器に頓着しないタイプなんですね?」

「まぁあんまり気にしないかな。可愛いものは好きではあるけど、使えれば良いかなって」

「ふ~ん、そうなんですね」


取り止めのない話をしながらパンが焼き終わるのを待つ。

チンッという音がしたので、トースターからこんがり焼き色が付いた麦色のパンをとりだした。

そして、タップリとマーガリンを塗りたくる。

そしてその上から砂糖をまぶせば朝の糖分摂取の準備完了だ


「紗希先輩って結構マーガリン塗りますね?しかも、その上に砂糖をまぶすとは・・・罪深い」

「えっ普通じゃない?」


自分としてはこの量をずっと塗っていたからなんら違和感がない。

でも姫乃ちゃんがパンに塗る量を見たらすこ~しだけ多いようだ。


「紗希先輩って体に悪そうな食生活をしてそうですよね」

「う~んそうかなぁ?今のところ健康診断ではまったく問題ないよ」

「ダメですよ!私の父も30までは何にも異常が無かったのに、31歳の健康診断で急にイエローカードが乱舞したって言ってましたもん!」

「へぇ~怖いね~」


まぁダメになったらその時はその時だ、幸い私は結婚しているわけでもないし、誰かに迷惑をかけることはない。

1人身のいいところだね。


「…先輩。全然気にしてないですよね?」

「いや、気にするよ?」


そう、あと5~6年したらきっとね?


「む~~~」


疑惑の眼差しをこちらに向ける姫乃ちゃん。

おかしい、思ったことが顔に出てたのだろうか?全く信用されていないようだ。


「分かりました」

「分かってくれましたか」


意外とあっさりと納得してくれたので若干肩透かしを食らった。

と思ったら、


「昨日は紗希先輩に助けられたので今度は私の番です。私に先輩の食生活を改善させてください!」


全然分かってくれてなかった。


「いや昨日のことは気にしなくて良いよ~」

「ダメです。何かお礼をさせてください。…それとも迷惑でしょうか?」


なんで途端に不安そうな顔をするのよ!そんな顔も可愛いけど。

って違う違う、あれだけのことでそんな大層なお礼は大変すぎる。割りにあってないだろう。


「やっぱりいいよ。昨日の一件だけで私の食生活を改善させるなんて。かなり大変だからお礼は別のでいいよ?」

「あれっ紗希先輩。なにか勘違いしていませんか?」

「勘違い?」

「はい。確かに食生活の改善を申し出ましたけど、今後ずっと毎日やるだなんて一言も言ってないですよ?」


姫乃ちゃんが急にニヤニヤ笑い出した。くそ~ニヤニヤは私の役目のはずなのに!

でも恥ずかしい。なにを私は勘違いしていたんだ、普通に考えたら1度お礼をしたら終わりに決まっているじゃないか!


「紗希せ~んぱい」

「…なぁに?」

「今後ずっと、死ぬまで、食生活の改善をどうしても私にして欲しいって。そうお願いしてくれるなら考えてあげてもいいですよ?」

「大丈夫です」


満面の笑顔で語りかけてくるが、そんな結婚のお願いみたいなことできるか!

ノータイムでご遠慮させてもらった。


「あら残念です。それじゃあ昨日のお礼は、紗希先輩の食生活改善のきっかけを提供するということでいいですか?」

「もうそれでいいよ」


恥ずかしくて雑に返事をする。この話はこれで終わりにしておこう、うんそうしよう。


「ところで今日はこれからどうする予定なの?」

「家族に合鍵を渡しているので、鍵を開けにきてもらいます。それが大体9時頃ですね」

「そっか。家族と連絡は取れてたんだね」

「はい。昨日は両親揃ってお酒を飲んで早く寝ちゃったみたいで、朝になったら返信がありました」

「なら、もうそろそろ準備しないとね」


昨日は色々あったせいで、今は8時といい時間だ。

私だったら、休日に家族にあうだけだったら化粧なんかは絶対しない。

けど、姫乃ちゃんなら家族に会うだけでも丁寧にやりそうだ。


「私のでよかったら化粧品は好きに使ってもいいからね?」

「…」

「どうしたの?」


時間があまり無いから早く身支度を整えられるようにしているだけなのに、何故か姫乃ちゃんは不満顔だ。


「なんでもないです。ただ、紗希先輩と一緒にいられる時間がもう終わっちゃうのかと思っただけです。それと、この後は1人の部屋に帰るのかと思って」

「1人?ご家族が来られるでしょう?」

「今日は別の予定があったみたいで、鍵だけ渡したらすぐに帰るって、申し訳なさそうに言われちゃいました。まぁいい大人なんで全然平気ですけどね!あと基礎化粧品だけお借りしますね」


寂しそうな顔でそう言った姫乃ちゃんは朝食を再開した。

そう言えば、この会社に入社するまでは実家暮らしだって言ってたな。

実家から近いとは言っても初めての一人暮らしで寂しいのかもしれない。


「またこうしてお泊まりでもする?」

「えっ?」


また脳から直送で話してしまった。

姫乃ちゃんの何を言っているのかよく分かってなさそうな顔を見て、急速に今行ったことを撤回したくなってきた。


「だから、今回みたいにお酒飲んだり私の家にお泊まりしたり。もし寂しいならそういうことしても良いよって言ったの」

「えっあっひゃい」


やはり姫乃ちゃんの反応は芳しくない。やっぱり普段やらないような事はしない方がいいね。

食べ終わった食器を持ってシンクへと向かう


「…やっぱり今の聞かなかったことにして。そういえば姫乃ちゃんは、田中くんと付き合うことなるかもしれないから少しだけの辛抱だもんね」


恥ずかしさのあまり、自分でもわかるほどの早口で言い切った。洗い物をして頭を冷やそうと、姫乃ちゃんの食べ終わった食器に手を伸ばした。

すると何故か、私の手首をガシッと効果音が聞こえてきそうな勢いで姫乃ちゃんにつかまれた。


「紗希先輩、本当にいいんですか?」

「えっなにが?」

「だから、今回みたいに私がお泊まりしちゃっても?紗希先輩って1人が好きなんですよね?そこまで気を遣ってくれなくても、私は1人でも大丈夫ですよ?」


大丈夫といいながらも、私の手首を握る力は絶対に離したくないって言っているみたいに逆に強くなった。


「自分でも不思議なんだけど、姫乃ちゃんといても他の人みたいに一緒にいても疲れたりしなかったんだ~」

「そうなんですか?」

「うん、同性で後輩でとっても真面目ですんごく可愛いからなんだと思うけど。だから、もしも寂しい日があるなら遠慮なく泊まりに来ても良いよ?ただし!」

「…ただし?」

「おもてなしの心は期待しないでくださいね?」

「分かりました。ではお泊まりをさせていただく代わりに私は、紗希先輩をもてなしてあげますね!」


そう言って嬉しそうに言う姫乃ちゃんはようやく私の手首を話してくれた。



その後は、私は食器の後片付けを行い、姫乃ちゃんは簡単な化粧だけ済ませた。

そして諸々の準備を整える姫乃ちゃんをぼ~と眺めていると8時50分ほどになった。


「それでは紗希先輩。今回は本当にお世話になりました」

「良いよこのぐらい。大したもてなしもできなかったしね」

「いえ、私からしたらすんごいもてなしをされたのでとっても満足です」

「そう?」

「そうなんです!」


まぁ満足してくれているなら良しとしておこうか。


「じゃあ気をつけて帰ってね。まぁ歩いて数分の距離だけどね」

「はい。それではまた」


そう言って、姫乃ちゃんは玄関のドアを開けて外に出る。

私は鍵を閉めるため玄関でぼーと姫乃ちゃんのが見えなくなるのを待っていた。


すると、朝日の暖かい光を横から浴びた姫乃ちゃんがこちらを振り返って小さく手を振っていた。

その可愛さに思わず見惚れていると、気づけばゆっくりとドアが閉まり姫乃ちゃんとの時間が終わりを告げていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る