海の便り
年々季節の継ぎ目がなくなっていく。暦上の秋のど真ん中に、突然冬の寒さが到来しても困らない程度に重衣料がすぐ出てくるのはそのせいだと、誰に向けるともなく言い訳をしながら帰宅した十月のある日である。濃藍の封筒が届いていた。いつもの宛名は灰白色の筆文字で書かれている。こんな渋い便箋セットと筆記具が一体どこで売っているんだろうかと思いつつ、コートを廊下に脱ぎ落しながらひっくり返して、裏面に「トオル」の三文字を確認した。確認したところで、やはり開封はせずに「保留ゾーン」に差しこむだけだ。だいたい季節をひとまわりして、亡霊(仮)宛の手紙は「保留ゾーン」の中でだいぶ領土を広げた。いつまでこうしておくかなぁ、引っ越すとしたらどうするかなぁなどと、端から答えを出す気などない事柄を形だけ考える。しかし実際、私がここから引っ越したら、本当に手紙を受け取る人間はいなくなるのだろう、とは頭の片隅に引っ掛かる。そう気安く売れる物件とは思えないが、別の人間が住む可能性は当然それなりにあるし、次の人間が再び、自分宛でもない手紙を保管し続けるような奇人である可能性はかなり低い。さりとて、この手紙がこの部屋から外へ出るのはどこかしっくりこない。では、いつまで続くか分からない他人宛の手紙を受け取るためだけにここに住み続けるのか?賃料は当然、部屋自体にも不満はないが、だからと言って手紙のために引っ越さないなどと考え始めたら、それは私の人生ではない。珍しくお堅いことを考えていたら、燗徳利を温めていた電子レンジが景気の良い音を立てた。それを合図に私は、杞憂を蟹味噌缶詰の蓋とともに生ごみ箱に捨てる。本来の受取人などとうにいないかもしれないし、送り主の存在とて、霞のように現実感がない。すべては想像に過ぎない。考えるのが面倒で、判断を先送りにした結果、体のいい郵便受けとなった、私の立場はそれ以上でもそれ以下でもない。もしこの部屋を出ることがあれば、手紙のことはその時に考える。いい加減で楽観的な人間の考え事なんて、それくらいしか続かない。
そしてもう少し時計の針は進み、幾つかの樹々から春色が芽吹き始める。あと少しで始まりの薄紅色に季節が重なる、そんな折、思いがけない形で溜まりに溜まった手紙は日の目を見ることになった。
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