街の便り

 メイクもやる気も根こそぎ溶かしていく連日の日射を呪いながら帰宅すると、アイスブルーの封筒がポストに入っていた。掴みどころのない緩い筆跡は、相変わらず我が家の、私ではない誰かをご指名だ。春の間に届いたものからすると、封筒の色目がどことなく変わったなと思い、溜めこむばかりであった春の手紙らを手に取って比べてみると、切手と消印が変わっていた。どうやら手紙の主はエリアを移動したらしい。しっかり届いているし日本語ではあるものの、一体日本のどこなのか、およそ見当もつかない未知の地名からいつも手紙は届く。根無し草、という手合いなのだろうか。名前が名前だけに、実はこの部屋の元主の性別には確証がないのだが、男女の仲なのだとしたら相当特殊な方だなどと、お節介なことを考える。そしてふと、差出人の名前については気にしたことがなかった、と思い至った。今までに一度も見なかったということはあるまいが、いざ思い出せと言われるとぱっと出てこない。差出人はなんと言うのだっけ、と封筒を裏返すと、そこにはそれらしいような、拍子抜けしてしまうような、簡素な答えがあった。

〈トオル〉

その三文字で終わりだ。少し昔ならまだしも、昨今でこの名前では差出人の方も男だか女だか分らないし、名字ごときを省きたがるとはと、私に呆れられるようでは、相当まずいだらしなさである。とはいえ、書けない事情もあるのかもしれない。なにしろ、宛先人の事情も知らず、都度都度辺境の地から手紙を送り続けてくる、雑なのかマメなのかよく判らない奇特な人物だ。芸術家の類であるとか、やんごとなき家柄の人が訳あり逃亡中であるとか、何も知らない私には妄想し放題だ。そう考えると春から続く、亡霊(仮)とトオル氏の間の不毛な書簡は、特段迷惑というほどではないし、むしろ私の人生にスパイスを加えているのではないかとさえ思えてきた。缶ビールのプルタブから弾けた小気味よい「プシッ」が「エウレカ!」に聞こえないこともない、そんな夏の夜であった。

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