第五章 その後
一、逆流の中で
ひとことで戊辰戦争というが、箱館戦争は鳥羽伏見の戦いおよび奥羽戦争とは大きく性質を異にする。
鳥羽伏見の戦いは幕府(中央)対薩摩藩、奥羽戦争は薩長中心の新政府(中央)対奥羽列藩であったのに対し、箱館戦争は新政府対脱藩徳川家臣の戦いであり、一部の者には戦い自体が意図されたものではなく、やむを得ず起こってしまったのである。
そして、箱館軍の持つ多面的性格と、開拓派・抗戦派という二重の構造のため、最後の朝幕政権戦争ともいえるし、最初の士族反乱ともいえる。
いずれにせよ、それを新政府は制圧した、いや、制圧せざるを得なかった。箱館軍がどんな性格であれ、新政府にとってはこれほどあって困るものはない。榎本軍を制圧して初めて全国平定が完了し、版籍奉還、廃藩置県の断行と進み得たのである。
榎本の嘆願書を見る時、筆者は源義経の腰越状を思い出す。兄の頼朝の勘気を被った義経が書いた、これも一種の嘆願書である。
自分の無実を訴えたその腰越状は、しかしながら当然のこととして却下された。なぜなら、義経は頼朝の鎌倉開府の意義を全く理解していなかったからだ。それは、西国朝廷に対する関東の独立宣言である。だが義経は、その西国朝廷から官位をもらったことを誇らしげに記している。そんな嘆願書は却下されてしかりだ。
同じことが、榎本の嘆願書についてもいえる。いくら朝廷への忠誠を誓ったところで、土地よこせの要求には新政府としては絶対に応じる訳にはいかない。
中央集権化の過程上にある明治政府において、蝦夷の開拓という名目はどうあれ、封建的土地所有を新たに認める訳にはいかないのだ。
世は版籍奉還、廃藩置県へと向かう。その過程上に、時代に逆行するような旧幕臣への土地の新規付与などあり得ない。このことが見抜けなかったのは、榎本の誤算である。その点が、義経と似ている。武家政治の開始と終焉という両端に、似たような嘆願書がそれぞれ存在するのはおもしろい。
大政奉還、王政復古によって、政権は平和裏に移行するはずだった。それが、将軍慶喜の意図だった。だが、鳥羽伏見の戦いが起こってしまった。そして江戸城が無血開城されたにもかかわらず、奥羽で、そして箱館で先端が開かれる。結局、血を流さずに政権の意向は完全にはできなかった。
その背景はこれまで再三述べてきた。つまり、奥羽列藩にせよ榎本軍にせよ、彼らに共通しているのは、自分たちが戦っている相手は朝廷ではなく薩摩であり長州であるという認識だったし、実際その要素がきわめて強い。つまり、王政復古は建前であって、相手が朝廷ではなく薩長である以上、平和裏に政権が移行するのは困難な状況だった。
ただ箱館戦争だけは諸外国が、貿易の問題、武器輸出の問題、条約の問題などで絡んでくる。なにしろ貿易港である箱館が占領されているのだから諸外国にとっても自らの損益がかかわってくるし、それだけにただ高みの見物をしているわけにもいかない。とにかくこの内乱が早期に集結するのが彼らの望みだった。
だから新政府としては諸外国との良好な関係と信頼の獲得という点からも、一刻も早く箱館軍を討伐する必要があったのである。
さらに軍事面から見ると、日本一の攘夷藩だった長州藩が洋式軍隊をそろえ、それに鳥羽伏見で対した幕府軍は甲冑に身を固めて法螺貝を吹いて名乗りを上げている始末。ところがその幕府軍もたちまち洋式化し、箱館軍は完全に西洋化された軍隊だった。
あの、新選組副長だった土方でさえ散切り頭にして洋服を着ているのである。まさに、一般的な文明開化に先駆けての、軍事的な文明開化がすでに起こっていた。
この戦争の影響が、後の帝国陸軍・海軍に及ぼす影響は大きい。明治の陸海軍を代表する大山巌や東郷平八郎も実はこの戊辰戦争に、まだ二十代の若年だったが参戦している。
また、榎本はたびたび遭遇した暴風雨によってその軍艦を失っている。また、宮古湾海戦も暴風雨のため当初の計画が挫折し、機を失して大敗した。
この経験から榎本は軍事に気象の重要性を痛感し、榎本が明治政府に出仕するようになってから函館に日本最初の気象観測所を設けた。軍事のみならず、開拓においても気象は重要な要素であると彼は確信した。
それはまさに、この戊辰戦争の時の彼のつらい経験から発案されたものであって、外国人の進言を待つまでもなく、榎本が自ら行ったことである。
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