六、行きゆきて
土方の戦死や各地での敗戦、それに加えて弾薬や軍資金の欠乏、これらが榎本軍の士気を完全に衰えさせていった。
5月13日、官軍は高松凌雲の赤十字ルートで榎本らに降伏を勧告した。この赤十字ルートとは、かつて幕府の奥詰医師の蘭方医で榎本軍の医師である高松凌雲が開設した箱館病院がすでに官軍によって取り調べを受け、攻撃対象から外されたことによって成立した。
高松の箱館病院は敵味方の区別なく医療を施しており、高松こそ組織としての佐野常民の日本赤十字社よりも早く、しかも確実に日本の赤十字の創始者といえる。その赤十字の契機が、この箱館戦争だったのである。
その官軍の勧告を受けた榎本は、降伏を拒否した。しかし、それだけではなく、自らの蔵書である「万国海律全書」を榎本は官軍の参謀の黒田清隆に贈ったのである。
世人はこれをもって、黒田が榎本の心意気に感じ、降伏後に黒田は榎本の助命嘆願に尽力したという。だが実は、降伏勧告の前の9日の時点で、黒田は官軍の曽我祐準軍務官らと合議して、榎本らが降伏した暁には榎本の助命嘆願を新政府に対して行うということを密かにすでに取り決めていた。
その動機は、榎本の学問技術が新日本にとってなくてはならないものだということを、黒田がひしひしと感じていたからだ。だから榎本から「海律全書」を受け取った時の黒田の感激は倍増したし、また黒田が返書で同書の和訳出版を約してたことに榎本も黒田の人となりを感じた。
ここで二人の友情が芽生えたというと、それは表面的すぎる。お互いに「新しい近代国家」建設のためという共通意識が生じていた。
榎本はやがて降伏するが、黒田への友情と信頼がその背後にあった。さらに加えると、榎本が箱館に立て籠もった真意である蝦夷開拓、北門防備の意志を、別の形で遂行し得る可能性を敵将の黒田に見出したための降伏という一面もある。榎本は黒田に賭けた。
榎本個人の意思はこんなところだが、榎本軍全体となると榎本軍の敗因は、とにかく軍資金がなかったのである。脱走に当たっては幕府の公金をかなりの額で持ち逃げしているが、それは減るだけで増えはしない。だが、それだけに限定して考えると、大局を見失う。
榎本は新政府に開拓を容認してほしくて嘆願書を書いたのだが、新政府にとっては榎本らは許容すべからざる存在であった。だから、榎本らは負けた。
かくして5月18日、五稜郭は開城。榎本軍は官軍に降伏した。その後8月になって蝦夷地は北海道と称されるようになり、箱館も函館と改称された。
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