四、未明の襲撃

 明治2年(1868年)も明けて2カ月以上が過ぎた3月、官軍はいよいよ榎本を追討するため、8艘の軍艦を組織して品川沖で抜錨した。

 その旗艦は、これまで再三にわたって述べてきた例の甲鉄艦である。他に陽春、丁卯、飛龍、戊辰、晨風、豊安、ここに薩摩の春日も加わった連合艦隊で、軍艦4艘、輸送艦4艘で構成されていた。

 この新政府艦隊が南部領宮古に停泊中に榎本艦隊の奇襲を受け、宮古湾海戦が起こる。この海戦こそが、後の箱館戦争の勝敗を決する重要な戦闘となる。


 官軍出航の報を受けた榎本軍では甲鉄艦を奪取することを図り、すでに開陽なき今、回天、蟠龍、高雄の三艦で宮古へ向かって箱館を出航した。奪取とはいっても榎本の意識では、甲鉄艦はもともと幕府が買い付けたものだから、自らに所有の正当性があると考えていた。

 戦術はアボルダージ・ボールディング(接舷攻撃)を計画していた。蟠龍と高雄の二艦で甲鉄艦を左右から挟むようにして接舷し、陸兵が乗り移って甲鉄艦を奪取しようという作戦だ。

 発案者は、回天艦長の甲賀源吾であった。陸軍の総指揮は土方歳三で、全軍総司令官の荒井郁之助とともに回天艦上にあった。

 しかし、途中暴風雨に遭ったことが榎本らには災いした。宮古の南20キロの山田港大沢に回天と高雄が到着した時点では蟠龍は行方不明、仕方なく回天と高雄のみで襲撃を決行することを余儀なくされた。

 3月5日午前2時に2艦は山田港を出航、本州最東端の魹ヶ埼とどがさき沖を北上して、閉伊崎を南へと旋回、宮古へと向かった。そして東の空がその白さを増してくると同時に、回天艦上の人々の目前に大パノラマが姿を現した。

 リアス式の三陸海岸の岸壁、それを洗う荒潮、かつて霊鏡和尚が極楽浄土もかくやと賛美して命名した浄土ヶ浜の一列に並んだ白い岩肌、それらの光景に誰もが息をのんだ。

 朝日とともにどこからともなく飛来した海猫の群れは、海の雪のように回天の周りを群れ飛ぶ。この日、潮吹き岩は勢い良く潮を吹きあげていた時間からはやや衰えていたものの、満潮からわずか二時間しかたっていないだけあって、潮を噴き上げる様子がよく見えた。

 回天の乗組員たちは、箱館に行く前に一度は見た光景である。しかし蝦夷の、しかも冬の白銀の大地ばかりを見てきた彼らの目に、この光景は新鮮だった。

 だが、そのような感傷にはふけっていられない。それは、これから戦が始まるという緊張感だけではなかった。

 なんと、高雄の姿がどこにもないのだ。朝の4時に襲撃と決めていた。この季節、東京ならまだ暗い時刻だ。しかしその時刻を過ぎても、高雄は来ない。

 間もなく日の出である。日が昇ってしまっては好機を逃す。

 そこでやむなく、襲撃は回天一艦で行われることになった。回天はアメリカの星条旗をあげて甲鉄艦に近づいた。そして戦時国際法に基づき、接舷間際に星条旗をおろして榎本軍が自分たちの旗印にしていた日章旗をあげた。ちなみに、官軍の旗は菊章旗である。

 そこまではうまくいった。ところが、もともと接舷の予定のなかった回天である。だから数々の計算違いがあった。回天は甲鉄艦よりも船橋せんきょうが高く、兵が乗り移るには飛び降りないといけない。

 さらに、甲鉄艦とは平行ではなく、甲鉄艦の船べりに回天の船首が乗り上げる形になってしまった。さらには、甲鉄艦にはガントリックガンという当時の日本には数台しかなかった最新式の連射式機関銃もあり、これがために回天は惨敗。甲鉄艦奪取をあきらめて箱館に帰航した。これが宮古湾海戦の顛末である。

 回天が甲鉄艦と平行に接舷できなかったのは、回天が外輪船だったからだ。当時の軍艦は汽船でもあり帆船でもあって、スクリュー船と外輪船が混在していた時代である。

 甲鉄艦はスクリュー式だが、回天は外輪式だったのである。だがそのことは当初の接舷予定だった蟠龍や高雄とて同じことであるから、T字接舷は当初の計画通りだったかもしれない。甲鉄艦よりも甲板が高い回天が襲撃することになったのは不運であろう。

 さらにこの戦いで、高雄は官軍に捕獲された。さらに甲賀源吾、大塚浪次郎、新選組の古参の野村利三郎が戦死した。

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