三、隠された素顔

 榎本の個人の真意は再三述べてきた通りである。

 すなわち、榎本が自ら認めた嘆願書類でそれは明らかであるように、食うに困っている徳川旧臣の救済と、その者たちによってあくまで日本という国のために蝦夷を開拓し、また他国の侵略に備えて北方を防衛することである。

 徳川家には忠誠を誓うが、徳川家が朝廷に対して恭順の態度をとっている以上それに倣い、朝廷への敵意は持っていない。しかし黙っていれば、徳川旧臣は野垂れ死にしてしまう。だからこその蝦夷開拓であり、今のこの行動は主家の徳川家の恭順政策に反抗するようにも見えるが、実際は徳川家への忠誠心ゆえのことである。

 また、蝦夷は未開の荒野であり、これを手つかずに放置するのは朝廷にとっても不利であり、ロシアに対して無防備極まりなくたいへん危険である。この北方防備に徳川旧臣を使えば一石二鳥ということである。

 だが、榎本の意図に反して戦争は行われ、そして必ず官軍との全面戦争になるという局面のただ中で、明治2年(榎本らは慶応5年)の年が明けた。

 官軍は前述の榎本の真意を解してはいない。榎本が徳川氏の血筋のものを蝦夷島大総裁に迎えようとしていた動きは、徳川旧臣の救済のために徳川家の者の下で開拓に従事させようとしただけで、いわば後の開拓使長官のような役目を徳川一族のものに請うたのである。

 だが官軍はその動きを、徳川王国を蝦夷地に作ろうとしていることに他ならないと断定し、箱館軍討伐の方向へと向かっていた。

 ところで、これを「榎本個人の考え」と限定したのは、この榎本の考えは、必ずしも五稜郭にいる榎本軍全体の代表意見ではなかった。榎本軍の中には純粋に薩長相手に戦争をすることが目的で加わったものもあり、あわよくば新政府を転覆させ、徳川幕府の再興をはかるか、あるいは東京の新政府とは別個に自らの政権を作ろうという目的で加わっているものも多いのである。

 その多くは諸隊出身で、仙台額兵隊、彰義隊、新選組、遊撃隊の生き残りたちだから、いかに抗戦的であるか分かる。彼等は榎本の嘆願書を、榎本のジェスチャーとしかとらえていなかった。

 このように榎本軍の本質は、いろいろな意見の持ち主がモザイクのように組み合わさった複合団体で、思想的統一を全く欠いていた。

 榎本の考えに同調する者が集まったのではなく、意見は異なってもほんの少しでも共通項があるなら一緒にやろうという連中の寄せ集めなのである。

 従って、この榎本軍を明治のはじめに多発する士族の反乱のはしりのように見る見方もあるが、榎本群は多面的な要素が絡み合った意見のるつぼであり、さまざまな主義主張の合成であるから、ある意味では士族反乱だが別の意味では朝幕戦争の延長ともいえる。つまり、どちらも誤りとはいえない。

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