ニ、幻の共和国
もう今さら、何も言うことはない。榎本らが共和国独立を宣言したなどというのはとんでもない虚構である。
国際法の立場からいえば、国家はその機能と体制を整えて国家と名付けられるが、法的人格のある国家となるには他国の承認を必要とする。いずれにせよまず自らが国家であると名乗ることからすべてが始まるのだが、榎本らは自らが国家であるなどとは全く主張していない。
次にこれまで再三述べてきた交戦団体だが、国家の一部が分離して独立国家を作ろうとするか、あるいは既存の政府を倒して取って替わろうとする場合に、その叛徒の武力抗争が一定の規模に達して影響を受ける外国がそれを交戦団体と認めれば、その団体は法律上は国家でないと持ち得ない権利を持つに至る。
こういった団体が交戦団体となり、成功すれば独立国または新政府と承認される。つまり、交戦団体とは叛徒から国家または新政府に発展するその途中段階にある状態である。
先に書いたように榎本らが事実上の政権と認められたと祝砲を打ったのはとんだ榎本のジェスチャーであって、実際は交戦団体として認められていない。だから、局外中立も撤廃されたのである。
榎本らが、自分たちは叛徒ではなく平和的に蝦夷を開拓することが目的だといくら主張しても、法律上は叛徒である。
パークスは、榎本らが交戦団体として認められない理由について、次のように説明した。
「徳川脱藩家臣は内乱の当事者である新政府と旧幕府のどちらでもない。ただ、徳川家に所属する一部の団体にすぎない。この団体は天皇や徳川藩主に従順であると公言しているが、その主君や天皇の命令を無視して、天皇政府に引き渡されるべき一部の軍艦を奪って蝦夷島を急襲した」
つまりパークスは、榎本らをただの盗賊としてしか見ていなかったのだ。交戦団体とは既存国家からの分離独立や武力で政権交代をいとする団体のことだが、榎本の嘆願書などを見ても分かる通り榎本にそのような意図はない。たとえあったとしても、諸外国から交戦団体と認められなければ国家となり得る全段階を否認されたことになり、共和国独立などとんでもない話である。
さらに、交戦団体と微妙に違うがほぼ同義ともいえる「事実上の政権(デ・ファクト政権)」だが、在留民の保護や通商貿易のため、新国家と同様「事実上の承認」が諸外国によって行われる必要がある。ただ、デ・ファクト政権とは占領を完了し、相当に安定し、国家の体裁を備えたものが対象になる。
つまり、榎本らの場合、蝦夷地を完全占領し、新政府の支配力を全く排除した場合でないと適用されない。しかし榎本らは、そのような状況には至っていない。
前にも言ったが、内戦状態にある場合、交戦団体と認められて初めてデ・ファクト政権と認められる資格を持つ。交戦団体と認められないのにデ・ファクト政権と認められるなどということは、理論上あり得ない。だから、「交戦団体」と「事実上の政権(デ・ファクト政権)」は厳密には同一でないにしろ、ほぼ同義語と考えてもよいのだ。
交戦団体と認めないということは、その占領地に本国もしくは既存政府の主権を認める、つまりその団体が完全に同地を占領し得ていないということであり、そこにデ・ファクト政権など存在し得ない。
仮に榎本らがデ・ファクト政権と認められたとするならば、このような矛盾した状態におかれることになるが、実際は彼らをデ・ファクト政権と認めるという英仏艦長の覚書は両艦長のミスによる無効文書だ。
その後に英仏公使よりあらためて榎本に宛てられた最終覚書には、「事実上の政権」などという表現は一切なく、もっぱら「脱藩家臣」と表現されている。フランス公使のウトレイも、榎本らが事実上の政権と認められたと主張していることに対し、「かかる徳川家臣の主張は全然認められないものであり、私は断固としてそれを拒否する」と、英仏艦長の覚書を打ち消している。英仏公使にとっては榎本らが箱館港を封鎖することを一番恐れていたのだから、交戦団体と認めるはずはないのである。
繰り返すが、榎本軍は交戦団体ともデ・ファクト政権とも認められていないのだから、ましてや共和国として独立したなどということはあり得ない。そもそも、榎本自身が、自分たちを共和国などとはひと言も言っていない。
榎本の五稜郭に立て籠もった勢力をして「共和国」と称したのは明治7年(1874年)にアダムス英国書記官が、その著書『日本史』の中で比喩的にそういった表現を使ったのが最初である。
その比喩表現を日本人の方が真に受けてしまい、榎本らが「共和国として独立宣言をした」などという考え方が広がってしまったのである。
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