三、青葉散りゆく

 先に述べたように8月に江戸を再脱走した榎本艦隊は途中の銚子沖で暴風雨に遭い、美加保は座礁して大破、咸臨と蟠龍の二艦は清水港へ漂着。咸臨丸は官軍に没収されたが、蟠龍は九月に艦隊を追って出航した。

 艦隊というので日露戦争の日本海海戦のような時の連合艦隊を連想して、各艦が並んで航行しているところを連想しがちだが、このころの艦隊は特に途中で暴風に遭遇した場合など航行はてんでばらばらである。

 8月の末にまず長鯨が仙台沖に到着、二日後に開陽が石巻に到着。9月に入ってから千代田、神速、中旬になって蟠龍、回天がそれぞれ仙台に到着し、9月下旬に全艦が塩竈の寒風沢さぶさわ東名浜とうなはまに集結した。

 その榎本艦隊が仙台領に到着し、大鳥軍と合流した頃の奥羽列藩同盟だが、9月には米沢藩降伏、慶応から明治へとの改元を挟んで仙台藩降伏、月末には会津鶴ヶ城落城となる。

 つまり、榎本艦隊が到着した9月下旬は、すでに奥羽列藩同盟は崩壊状態にあって、わずか庄内藩のみが官軍に抵抗していた。


 榎本武揚自身が仙台城下に入ったのははっきりしないが、8月末に旗艦開陽の石巻到着以降であろうし、9月中旬にはすでに仙台にいることは確認される。

 つまり、榎本が仙台城下に入ったのはすでに米沢藩が降伏し、仙台の青葉城中では降伏派と抗戦派の内訌紛々たるときであった。そして9月末には、列藩同盟最後の砦の庄内藩も降伏する。

 榎本が仙台までやってきて列藩同盟のためにしたことといえば、輸送艦第二長崎丸と千代田形丸を庄内藩へ援軍として派遣したのみで、それも上陸できずに本分を果たせず、長崎丸に至っては台風で沈没している。それ以外としては、反論が二分している仙台藩を周旋することに専ら従事していた。

 それより先に大鳥軍の土方歳三も、松本捨助や斎藤一諾斎らとともに青葉城に登城し、藩主伊達慶邦に徳川への忠誠を促す談判をし、藩主よりその佩刀の下緒を賜っている。

 そして9月中旬に藩論が降伏へと決まりつつあると聞いた榎本は土方とともに登城し、官軍といえどもその実態は薩摩と長州であることを力説して翻意を促すが虚しく終わる。

 こうして降伏派によって藩論が固められた仙台藩は降伏するのである。

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