六、目指すものは
脱走した諸隊の目的は何であったのか。官軍に対して武力抗戦で臨んだということは確かである。大鳥圭介などは、市川に集結した時点ではすぐに戦争を始める意図はなかったようだが、いずれは戦争になることは予感していたようだ。彼が3月の時点で弟の鉄二郎に宛てた手紙には、
「上様は朝廷に二心なく、どこまでも恭順を貫かれておられる。そうである以上、すぐに戦争というのはないであろうけれど、やはりゆくゆくは必ず戦争になろう。機会があれば幕府のために忠義の旗を翻すのもありだと思う」
とある。
大鳥はそうであったが、木更津義軍、特にその第一大隊は前述のようにすぐに戦争を始めた。遊撃隊もまたそうであったが、木更津義軍も江戸城が官軍に明け渡された以上すでに身の置き場がなく、彰義隊のように江戸に踏みとどまって戦争をすることのほかには今後のことは分からない。だが、分からないまでもとにかく官軍の進駐する江戸から離れて、江戸以外の所に行こうというのが脱走の真相だったかもしれない。
では、榎本武揚の場合はどうであったのか。
彼の場合は若干事情が異なるようにも思われる。4月の脱走は薩長に対する徹底抗戦のためだったとする見方がある一方で、そうではなくて軍艦を引き渡さねばならないことへの反抗、つまりデモンストレーションだったという考え方もある。
いずれにせよそれは未遂に終わったが榎本はあきらめず、さらに脱走の機会をうかがっていたことは先に述べた。
徳川だ、薩長だというよりも日本全体を考える勝とあくまで徳川への忠義を主張する榎本との間には、もはや埋められない亀裂が入っていた。
実は8月の再脱走に際して、榎本が出した檄文が残っている。それは、自らの脱走の目的を天下に公表するための文章である。そこには「王政維新は皇国の幸福で、自分もまた希望するところである」と述べながらも、現実は「いくつかの強藩の独見私意で成立したものであって真の王政維新ではない」と非難する。その強藩によって自分の主君の徳川家が朝敵の汚名を着せられ、居所さえ定まらない状況であることを嘆き、故に江戸を去り「長く皇国のために一和の基業を開くのである」とする。
またその檄文には「徳川家臣大挙告文」という文章が付されている。檄文の「一和の基業」の具体的内容は書かれておらず、「告文」の方でもそれは同様だが「告文」には「私はかつて徳川家臣のため、蝦夷地開拓のことを嘆願してきた。だが未だにその許可が下りない。このことこそ二君に仕えないという義を守る者たちが、安心して従事できる事業である」と、蝦夷地という名称がはっきりと出てくるのである。
「一和の基業」の内容は具体的には書かれていなくても、この文でそれは明らかであろう。榎本たちが江戸を脱走してどこへ行こうとしたのか、この「告文」の行間に、それは読み取ることができるのである。
4月の脱走をもし軍艦引き渡し反対のデモンストレーションとするなら、この8月の再脱走はそれよりもさらに次元の高い動機と目的があったということになろう。しかもそれはこの時点での思い付きではなく、実際に3月ごろより彼は勝に、しきりに蝦夷地開拓のプランを話している。もちろんそれは、勝の賛同を得られるものではなかった。そしてこの時に至り、彼はそれを、言葉で言うよりも行動で示したのである。
この8月の脱走時に、榎本が勝海舟宛に書いた手紙の中にも、
「日々の形勢は言葉で言うよりも、行動で示すほうがよいと決心しましたのでこういった行動に出る訳でありまして、他意はございません」
とある。この檄文と告文に、箱館戦争の性格が凝縮されているといっても過言ではあるまい。
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